前回のメルマガ「高島断易」で
高島嘉右衛門について少し触れましたが
もう少し詳しく知りたいとのご要望にお応えして
過去のメルマガを再掲することにしました。
高島嘉右衛門
明治の初年頃、横浜に高島町と嘉右衛門町という
二つの町が誕生しました。
高島町は現在も東横線の一駅として名を残していますが
嘉右衛門町は後の町名改正で現在の地図から消えてしまいました。
明治の易聖(えきせい)と言われたい高島嘉右衛門の名前が
二つに分けられてそのまま町名になったものです。
易聖とは、易経に精通し、最も傑出人に与えられる称号です。
幕末から明治を生き、横浜に名を残し、
易聖と呼ばれるまでになった男、高島嘉右衛門
江戸の商人であった彼は、商売の手違いから投獄され
牢内で「易経」とめぐりあい、上下二巻を暗唱するほど
熟読し、易占の才能を開花させます。
横浜に名を残したのは、事業家としての才能です。
横浜、新橋間鉄道用地の埋立工事、ガス会社の設立
水道会社の設立、洋学校の設立、異人館の建設
近代都市横浜の初期の街づくりに大いに貢献したからです。
また、伊藤博文の相談役にもなり、日清、日露戦争にも
大きくかかわり、その類い希なる能力を発揮しました。
日本海海戦ではバルチック艦隊の進路が
対馬海峡か津軽海峡か予測できず、
艦隊を分散させる余力がないのを占して
対馬海峡に遅れてやってくると進言したり
伊藤博文の暗殺を予言し、そのキーワードまでも
本人に通告していたことなどは有名な話です。
横浜の高島山公園には、今も高島嘉右衛門の
偉業を称えた石碑があり、赤穂浪士で有名な
高輪の泉岳寺にお墓があるそうです。
高島嘉右衛門に興味のある方
「横浜」を作った男
易聖 高島嘉右衛門の生涯
光文社文庫 高木彬光 著
がありますので読んでみてください。
2月29日生まれの人
毎年の誕生日の祝い方に決まりは
ありませんが
四年に一度しかなくても
旧暦の上では干支が存在しますので
四柱推命の命式も問題なく作れますので
鑑定することに差支えはありません。
ご安心ください。