はじめに

精神分析・ユング心理学・人間性心理学・CBT・家族療法システム論に続く今回は、ナラティブ・セラピー(Narrative Therapy)とホロニカル・アプローチの接合を探ります。

ナラティブ・セラピーは、1980〜90年代にマイケル・ホワイトとデイヴィッド・エプストンによって創始されたポストモダン的心理療法です。「人は自分の人生を物語として生きており、その物語が変われば生き方が変わる」という根本命題を持つこのアプローチは、「外在化」「オルタナティブ・ストーリー(代替的物語)」「再著述(re-authoring)」など、臨床実践において非常に有用な概念と技法を生み出してきました。

ホロニカル・アプローチはナラティブ・セラピーの豊かな知見を積極的に取り込みながら、同時に「物語の書き換え」という枠組みを超えた、より根源的な次元での変容を目指します。

 

ナラティブ・セラピーの核心

「問題の外在化」――問題は人ではない

ナラティブ・セラピーがもたらした最も革新的な貢献のひとつが、「問題の外在化(externalizing the problem)」という技法・思想です。

「問題を抱えた人」ではなく「人が問題と関係している」という視点の転換——「うつな私」ではなく「うつが私に影響している」、「怒りっぽい子ども」ではなく「怒りがこの子に取り憑いている」という言語的枠組みの転換は、クライエントと問題の関係そのものを組み替えます。

問題を外在化することで、クライエントは問題から少し距離を置き、問題との関係を新たに選択する主体として立ち現れてきます。これは支援の文脈を根本から変える発想です。

「支配的物語」と「オルタナティブ・ストーリー」

ナラティブ・セラピーは、クライエントが「支配的物語(dominant story)」——「私はダメな人間だ」「私はいつも失敗する」——に縛られており、その物語の中に収まらない「例外(unique outcome)」がすでに存在することに注目します。

その例外を丁寧に拾い上げ、クライエントが自らを別の視点から語り直す「オルタナティブ・ストーリー(代替的物語)」の構築を支援することが、ナラティブ・セラピーの核心です。この過程は「再著述(re-authoring)」とも呼ばれます。

ポストモダン・社会構成主義の立脚点

ナラティブ・セラピーはポストモダン思想・社会構成主義を理論的基盤とします。「現実は客観的に存在するのではなく、言語・言説・ナラティブを通じて社会的に構成される」という立場から、クライエントが「問題のある人」として定義されるのは、支配的な文化的言説(「こうあるべき」という規範)の産物にすぎないとみなします。

この視座は、セラピストの権威性を批判し、クライエントを自らの人生の「専門家」として位置づける、徹底した非権威主義的姿勢につながります。

 

ホロニカル・アプローチとの深いつながり

「問題の外在化」から「観察主体と観察対象の分離・可視化」へ

ホロニカル・アプローチは、ナラティブ・セラピーの「外在化」技法を積極的かつ独自に発展させています。

定森(2026)には明確にこう記されています。「ホロニカル・アプローチは、ナラティヴ・セラピーなどに見られる『問題の外在化』の技法を深め、被支援者と支援者が共に外在化された問題を再定義するプロセスを重視します。外在化により問題を外に出すことで、『被支援者が問題である』という視点ではなく、『問題が問題である』という捉え方に転換する文脈が生まれ、自ずと被支援者と支援者が共に『問題』に取り組む協働的関係性が生まれるようになります」。

ホロニカル・アプローチにおける外在化の独自性は、それをナラティブ・セラピーの「言語的枠組みの転換」にとどめず、「観察主体(A点)と観察対象(B点)の分離・可視化」として、"こころ"の構造論と直接結びつける点にあります。

たとえば「自分は常に怒りに翻弄される」と訴えるクライエントに対して、ホロニカル・アプローチでは「翻弄される私(観察主体A)」と「怒り(観察対象B)」の関係性のパターンとして捉え直し、さらにこのパターンが対人関係・身体症状・学校との関係など、異なる領域でもフラクタル構造として自己相似的に反復されていることを可視化します。

外在化は「言葉の転換」だけでなく、"こころ"の多層多次元構造全体を俯瞰するための技法として深化されているのです。

小物による外在化——ナラティブを超えた「体験的可視化」

ホロニカル・アプローチの実践技法として特に重要なのが、「小物による外在化法」です。

クライエントの内的構造(観察主体Aと観察対象B、あるいは内我と外我の関係)を、言語的に語り直すだけでなく、小さな具体的な物体(人形・石・積み木など)を使って空間的に配置し、視覚的・身体的に「見える化」します。

これはナラティブ・セラピーの「外在化」の精神を引き継ぎながら、言語以前の身体感覚・空間知覚・視覚的配置を通じた理解へと拡張するものです。言語化が困難な体験、身体に刻まれたトラウマ記憶、多層的な関係性のパターンを、小物の配置を通じて「あるがままに俯瞰する」——この作業が、クライエント自身の観察主体の育成を促します。

また「名付ける(外在化の命名)」という点でも、ホロニカル・アプローチはナラティブ・セラピーと共鳴します。本書では「怒りに振り回されている親子がいる場合、その怒りを『カット虫』などと名付けることで外在化し、被支援者と支援者が『カット虫への対策』を共同研究的に検討しながら、問題の意味づけや関わり方を協働的に組み替えていく」という実践例が示されています。

「語りの主語・述語」から観察主体を読む

ナラティブ・セラピーが「物語の内容」に注目するとすれば、ホロニカル・アプローチはさらに「語りの構造」に注目します。

本書では「被支援者の語りの中で『誰が何をどう感じ、どう判断しているのか』を読み解くことは、観察主体と観察対象の特定に直結する」と述べています。

特に日本語では主語が省略されがちであるため、「誰が」を補って再構成する手法が有効です。主語に当たる観察主体が内的現実主体(内我)か、外的現実主体(外我)か、ホロニカル主体(理)かを見極めることで、クライエントがいかなる視座から語っているかが明確になります。

「私はダメだ」という語りは、外我が内我を批判し続けているのか、内在化された「理」(親・社会の価値観)が現実主体を縛っているのか——同じ「ダメだ」という言葉の背後にある構造の違いを読み解く視座は、ナラティブ・セラピーの「支配的物語の分析」を、ホロニカルの構造論として精緻化したものといえます。

「自己物語の再著述」と「自己組織化」

ナラティブ・セラピーの「再著述(re-authoring)」——クライエントが自らの人生を「著者」として書き直す営み——は、ホロニカル・アプローチの「自己組織化」と深く共鳴します。

しかし重要な差異があります。

ナラティブ・セラピーにおける「再著述」は、基本的に言語・物語の次元での変容を志向します。オルタナティブ・ストーリーを語ることが変容の核です。

一方ホロニカル・アプローチにおける「自己組織化」は、言語・物語の次元だけでなく、身体感覚・感情・関係・場所など、言語以前の多層多次元にわたる変容の全体を射程に収めます。本書では「ホロニカル心理学では、"こころ"を固定的に定義しないこと自体が支援技法の一部になっている」と述べられており、「語り直し」に固定することなく、"こころ"の動的現象に参与し続ける姿勢が求められます。

 

ナラティブ・セラピーとの根本的な相違点

「ポストモダン・社会構成主義」との距離

ナラティブ・セラピーが拠って立つポストモダン・社会構成主義は、「現実は言語的・社会的に構成される」という立場から、客観的現実や普遍的真理の存在を問い直します。

ホロニカル・アプローチはこの問い直しに深く共感しながら、同時に言語・言説・ナラティブの次元に議論を限定することに慎重です。

本書では「ホロニカル心理学は、関係性をコミュニケーション、言説やナラティブとして理解するだけではなく、身体や宇宙を包摂する多層多次元的な関係生成過程として捉え直す」と述べています。

言語は、自己と世界の不一致・一致を表現する重要なチャンネルのひとつですが、「言語化されない一致の体験こそが、"こころ"の奥底にあるリアリティ」でもあります。定森(2026)はさらに「言語化されない感覚的な一致もあれば、自己と他者、あるいは自己と出来事とのあいだに明確なズレを感じるような不一致も存在する。自己と世界が本来的に一体であるという無境界の現象世界は、私たちが何かを『言葉』にした瞬間に、対象とそれ以外とを区別するという構造をもたらし、そこに不一致が生じる」とも述べています。

言語化することでかえって失われる何かがある——この認識は、ナラティブ・セラピーが十分に扱えない次元への、ホロニカル的な問いかけです。

「物語の書き換え」より「俯瞰する主体の育成」

ナラティブ・セラピーは「物語を書き換えること」を変容の核とします。しかしホロニカル・アプローチでは、「どんな物語を語るか」よりも、「どのような観察主体の立場から物語を語っているか」——すなわち「語る主体そのものの変容」を重視します。

外我(他者の評価・社会規範を内面化した批判的自己)が観察主体となって語る物語は、いかに「ポジティブ」に書き換えられても、その構造が変わらなければ変容は表面的にとどまります。

ホロニカル・アプローチが目指すのは、「IT(イット)」——無批判・無評価・無解釈の立場から自己と世界の不一致・一致を俯瞰する根源的な観察主体——が立ち上がることです。そのとき初めて、外在化された「物語」を多層多次元的に俯瞰し、自己と世界の関係を自己組織化していく力が生まれます。

「物語を書き換える」のではなく「物語を俯瞰する主体が育つ」——この差異は、ナラティブ・セラピーとホロニカル・アプローチの根本的な相違点です。

セラピストの立場をめぐる共鳴と相違

ナラティブ・セラピーは「セラピストは知らない立場(not-knowing position)に立つ」という徹底した非権威主義を標榜します。クライエントを自らの人生の専門家として尊重し、セラピストは「外部証人」として物語の再著述を支援します。

ホロニカル・アプローチもまた「共同研究的協働関係」を基本姿勢とし、支援者が答えを与える権威者となることを否定する点では深く共鳴します。

しかし同時に、ホロニカル・アプローチでは、支援者が「IT(イット)」の俯瞰的立場に立つための相応の訓練・自己修練が求められます。「雨降らし男」(河合隼雄が紹介した、ただ「道(タオ)の状態になる」ことで自然に変容をもたらす治療者の象徴的喩え)を参照しながら本書は述べます——「ホロニカル・アプローチでは、支援者が『雨降らし男』になるのではなく、被支援者と支援者が共に雨降らしの関係になるような関係づくりを徹底し続ける」。

「知らない立場」ではなく「ともに俯瞰する立場」——この微細だが重要な差異に、ホロニカル・アプローチの独自性があります。

 

変容の5つのステージ——ナラティブ的視座との統合

ホロニカル・アプローチでは、変容のプロセスを5つのステージとして示しています。

ステージ1(インテーク):被支援者の語りの中から「日常のズレ」「一瞬の違和感」を俯瞰的に拾い上げる。

ステージ2(外在化・可視化):多層多次元の悪循環のフラクタル構造全体を外在化・可視化する。被支援者は「困難が単なる個人的問題に還元されない」ことを体験として理解する。

ステージ3(共創的俯瞰による模索):支援者と被支援者が共同研究的協働の立場から、不一致が一致へと向かう観察主体と観察対象の組み合わせを探索する。

ステージ4(ホロニカル関係の創発):「過去の語りと現在の内省のギャップ」を足場に、小さな意味のある変化が生まれる。変化は「できた・できない」ではなく「世界の見え方・関係の結び方が変わった」という意味生成として語られる。

ステージ5(ホロニカル・ループの強化):変容が一過性で終わらず、心的構造の変化として定着していく。

このプロセスは、ナラティブ・セラピーの「支配的物語→例外の発見→オルタナティブ・ストーリーの構築」という流れと深く共鳴しながら、それを多層多次元の"こころ"の構造論・変容論として再記述したものといえます。

 

おわりに

ナラティブ・セラピーは「人は物語として生きる」という洞察から、「問題の外在化」「オルタナティブ・ストーリー」「再著述」という豊かな実践的知見を生み出しました。ホロニカル・アプローチはこれを深く継承しながら、以下の方向に発展させます。

言語的物語を超えた多層多次元の変容へ。「物語の書き換え」を超えた俯瞰する主体の育成へ。「知らない立場」を超えたともに俯瞰し共創する関係へ。

ナラティブ・セラピーが「語ること」に変容の力を見出したとすれば、ホロニカル・アプローチは「語ること」と「語る以前の直接体験」の両方を抱え込みながら、"こころ"の自己組織化を共に育んでいきます。

次回はEMDRとトラウマ理論とホロニカル・アプローチの接合を探ります。

はじめに

精神分析・ユング心理学・人間性心理学・CBTに続く今回は、家族療法とシステム論とホロニカル・アプローチの接合を探ります。

この二つは、ホロニカル・アプローチとの親和性が特に高い理論体系です。それは、どちらも「問題は個人の内部にあるのではなく、関係性・システム・場の中に立ち現れる」という根本的な視座を共有しているからです。

実はホロニカル・アプローチの誕生そのものが、家族療法・システム論との格闘の中から生まれています。その歴史的経緯も含めながら、両者の対話を丁寧に見ていきます。

 

家族療法・システム論の核心

システム論の誕生――「全体は部分の総和ではない」

家族療法の理論的基盤となったのが、ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィが提唱した一般システム理論と、ノーバート・ウィーナーのサイバネティクス(フィードバックと制御の理論)です。

システム理論の核心は、「全体は部分の総和ではない」という命題にあります。家族は個々のメンバーの集まりではなく、それぞれが互いに影響し合いながら独自のパターンを生み出す有機的なシステムとして理解されます。

グレゴリー・ベイトソンはこのシステム論を人間の関係性・コミュニケーションに応用し、統合失調症の発症に関わるダブルバインド(二重拘束)理論を提唱しました。「あなたを愛している(言語メッセージ)」と「近寄るな(非言語メッセージ)」が同時に発せられるとき、受け手は矛盾した命令の中に閉じ込められる——この洞察は、家族システムが個人の心理に与える影響の深さを示したものです。

家族療法の展開――IP(同定患者)という視座

家族療法がもたらした最も革新的な視座のひとつが、IP(Identified Patient:同定患者)という概念です。

家族の中で「問題のある人」として同定されている子ども(不登校・非行・摂食障害など)は、実は家族システム全体の機能不全を体現しているにすぎない、という考え方です。「問題は個人の中にあるのではなく、家族システムのパターンの中にある」——この転換は、心理支援の実践を根本から変えました。

サルバドール・ミニューチンの構造的家族療法(家族の境界・サブシステム・ヒエラルキーの再構造化)、ジェイ・ヘイリーの戦略的家族療法(症状の機能・変化を促すための戦略的介入)、マレー・ボーエンの多世代家族療法(家族パターンの世代間伝達)など、多様な流派が展開されてきました。

円環的因果論――「原因と結果」を超えて

家族療法・システム論が従来の心理学に突きつけた最大の問いが、因果論の転換です。

従来の心理学は「A(原因)→B(結果)」という線形的因果論に依拠してきました(例:「親の養育方法が子どもの問題を引き起こす」)。これに対してシステム論は、円環的(循環的)因果論を提唱します。

AがBに影響し、BがAに影響し、その相互作用がシステム全体のパターンを生み出す——「母親が過保護になる→子どもが依存する→子どもが依存するから母親が過保護になる」という円環のどこに「原因」があるかは問えない。このような循環的な相互作用こそが、家族システムの現実です。

 

ホロニカル・アプローチとの深い接合

ホロニカル・アプローチの誕生と家族療法・システム論

ここで重要な歴史的事実を記しておく必要があります。定森(2026)によれば、ホロニカル・アプローチの誕生過程において、家族療法・システム論は核心的な役割を果たしていました。

定森先生は1980年代の臨床実践の中で、既存の個人モデルでは捉えきれない現象に繰り返し直面する中から、「深層心理学的視点やシステム論、家族療法、地域臨床、教育臨床といった領域が個別にはそれぞれ重要な役割を担っていましたが、実践現場においてはそれらの知見が断片的であり、相互に結びつけて扱う理論的枠組みが欠けていた」ことを痛感されていました。

その過程で生まれたのが、「ホームシミュレーション」技法です。「家庭内の人間関係や家族力動に基づく家族構造をシステム論的に捉え直し、模擬的に再現することで、被支援者の深層的な心的構造を俯瞰的に観察することを試みた」——これはホロニカル・アプローチの実践技法の原型のひとつです。

「円環的因果論」と「ホロニカル関係」

システム論の円環的因果論は、ホロニカル心理学の「ホロニカル関係」と深く対応します。

ホロニカル関係とは、「部分と全体が相互に包摂し合う関係」です。感情・認知・行動・関係性・社会的文脈は一方向的な因果連鎖で結ばれているのではなく、互いが互いを包み込みながら動的に生成し合っています。

本書では「自己と世界との出あいには、不一致と一致が絶え間なく繰り返されており、この変化は一方向的な『発達』ではなく、円環的で絶えず変化していくプロセスとして理解される」と述べられています。

家族療法が「家族メンバー間の円環的相互作用」を見るとすれば、ホロニカル・アプローチはそれをさらに拡張し、個人の内部(多層的無意識)から家族・社会・文化・人類にまたがる多層多次元の「円環的・ホロニカル的相互包摂」として理解します。

「家族的無意識」という独自の概念

ホロニカル心理学が家族療法の知見を取り込みながら独自に展開した最も重要な概念が、「家族的無意識層」です。

ホロニカル心理学の多層的無意識の構造の中で、個人的無意識層の下層に位置するのが「家族内で代々引き継がれる心的パターン」としての家族的無意識層です。

ボーエンの多世代家族療法が「世代間伝達(intergenerational transmission)」として示した知見——家族の感情プロセス・関係パターンが世代を超えて繰り返される——を、ホロニカル心理学は「家族的無意識」という概念として"こころ"の多層構造の中に位置づけ直します。

本書にはその実践例として印象的な事例が掲載されています。母親からの虐待・威圧で来談した少女の背景には、その母親もまた母方祖母から虐待を受けてきた歴史があり、さらに継父もまた激しい体罰を受けて育った過去があった——「憤怒は祖父母代からの伝承でもあった」という言葉が、家族的無意識の深さをリアルに物語っています。

「怒りの世代間連鎖」。これは家族的無意識が個人の"こころ"に刻まれたフラクタル構造であり、家族療法的な見立てとホロニカル的な多層構造論が交差する接合点です。

IPの視座から「場の転移」へ

家族療法のIP(同定患者)概念——「問題者とされた個人の背後に家族システムの問題がある」——は、ホロニカル・アプローチの「場の転移」概念とも深く共鳴するでしょう。

「場の転移」とは、過去に形成された悪循環パターン(ホロニカル・ループ)が、家族・学校・職場などあらゆる「場」において反復される現象です。家族システムの中で生まれた不一致のパターンが、その後の人生のあらゆる「場」で繰り返されていく——これはIPの問題を個人の内部に閉じるのではなく、その人が生きてきたすべての「場」との関係の中で理解するという視座です。

本書では「個人の問題を場所の問題へ」という方向性を、ABCモデルのモデルⅡ(場所モデル)として示しています。「家族療法では、子どもの苦悩(A点)を子ども個人の問題としてではなく、家族関係における不一致として捉え直すことで、家族全体に俯瞰的な視座が生まれ、全体としての一致(B点)をめざす方向性が形成される」という記述は、ホロニカルが家族療法の知見をいかに深く継承しているかを示しています。

 

システム論との重要な相違点

「自己組織化」の概念をめぐって

システム論・複雑系理論との接合でもっとも重要な概念が「自己組織化」です。

複雑系理論の「自己組織化」——外部からの管理なしに、システムが内部の相互作用から自律的に秩序を生み出すプロセス——は、ホロニカル心理学の"こころ"の理解と深く共鳴します。本書も「エリッヒ・ヤンツ」「スチュアート・カウフマン」の自己組織化論を積極的に参照しています。

しかし、ここに重要な相違点があります。

本書は「複雑性科学は、数理モデルや一般システム理論を重視する傾向が強く、人間の"こころ"の質的経験や実存的側面には踏み込まない」と明記しています。システム論・複雑系理論が数理的・構造的な記述を目指すのに対し、ホロニカル・アプローチは「被支援者と支援者のやり取りや、日常的な"こころ"の揺らぎを基盤資料として理論化する」——実践即理論・理論即実践の往還を特徴とします。

「数理的抽象と実践的具体性のあいだに明確な境界が存在し、その境界を横断することがホロニカル論の独自性」という本書の言葉は、システム論との距離を明確に示しています。

「観察者の問題」への深化

システム論の第二世代(セカンド・サイバネティクス)は、観察者自身がシステムの一部であるという「観察者の問題*を提起しました。支援者もまた家族システムに影響を与え、影響を受ける存在である——この認識は家族療法の実践を大きく変えました。

ホロニカル・アプローチはこの問題意識をさらに深めます。支援者自身もまた、自らのホロニカル主体(理)——内在化された価値観・理論・信念——を通じてクライエントを見ており、その「理」がクライエントとの関係の「場」を形成しています。

支援者が「IT(イット)」の立場——無批判・無評価・無解釈の根源的俯瞰——に立つことで初めて、自分自身のホロニカル主体(理)の作用を相対化し、クライエントの"こころ"の自己組織化を妨げない「共同研究的協働の場」が生まれます。これはセカンド・サイバネティクスの問題意識を、実践哲学として徹底化したものといえます。

 

「場のホロニカル的理解」という統合

家族療法とシステム論が「家族・社会システムの変容」を目指すのに対し、ホロニカル・アプローチはそれをさらに深め、「場そのものの変容」へと視野を広げます。

本書のABCモデル・モデルⅢ(場モデル)では、「支援の対象は個人や集団にとどまらず、『場』そのものが生成と消滅を反復する動的現象として理解される」と述べられています。支援者は、当事者を取り巻く「場」に働きかけ、場全体に共創的俯瞰のC点(観察主体)の視座をもたらすことで、より協働的な関係性の創出を支援します。

「問題は個人の中にあるのではなくシステムの中にある」(家族療法)
↓
「システムは部分と全体が円環的に包摂し合うホロニカル関係にある」(ホロニカル)
↓
「場そのものが、自己と世界の不一致・一致のプロセスを通じて自己組織化していく」(ホロニカル)

この深化の連鎖が、家族療法・システム論とホロニカル・アプローチの対話の軌跡です。

 

おわりに

家族療法とシステム論は、「問題は個人の中ではなく関係の中にある」という根本的な転換をもたらしました。ホロニカル・アプローチはこの転換を深く継承しながら、「関係」をさらに多層多次元の「場」として、そして自己組織化する動的プロセスとして捉え直します。

臨床の現場で、子どもの不登校・摂食障害・自傷行為を「その子どもの問題」として個人に還元せず、家族的無意識・世代間連鎖・場の転移の文脈で理解しようとするとき——その視座の背景には、家族療法・システム論とホロニカル・アプローチが積み重ねてきた深い対話があります。

次回はナラティブ・セラピーとホロニカル・アプローチの接合を探ります。

「認知の変容」から「俯瞰する主体の育成」へ

はじめに

精神分析、ユング心理学・プロセス指向心理学、人間性心理学に続く今回は、現代の心理臨床において最も広く普及した理論体系のひとつである認知行動療法(CBT: Cognitive Behavioral Therapy)とホロニカル・アプローチの接合を探ります。

CBTはエビデンス・ベイスト・プラクティス(EBP)の文脈で世界的に普及し、日本でも保険適用の対象となるなど、現在の臨床心理学において最も「主流」な理論のひとつといえます。一方、ホロニカル・アプローチは統合的な心理療法であり、CBTを正面から批判するのではなく、CBTが明らかにしてきた豊かな知見を継承しながら、その限界を超えていこうとします。

両者の対話は、「認知を変えれば感情が変わる」というCBTの命題を、さらに深い次元で問い直すことでもあります。

 

認知行動療法の誕生と発展

行動主義から認知革命へ

CBTの源流は行動主義(ワトソン・スキナー)にあります。行動主義は「"こころ"をブラックボックスとして扱わず、観察可能な行動のみを研究対象とする」立場から、条件付け・強化・消去などの学習理論を基盤とした行動療法を生み出しました。

しかし1960年代以降、「人間の行動は外的刺激だけでなく、それをどう認知・解釈するかによって規定される」という認知革命が起き、アーロン・ベック(うつ病の認知療法)、アルバート・エリス(理性情動行動療法)らが認知療法を展開しました。

ベックが示した核心は、うつ病の背景には自動思考(意識せずに浮かぶ否定的な思考)と認知の歪み(白黒思考・過度の一般化・破局化など)が存在し、その思考パターンを変えることで感情・行動が変容するというものでした。さらにその根底には、幼少期からの体験によって形成されたスキーマ(中核信念)があるとされます。

こうしてCBTは「認知・感情・行動」の三角形を治療の対象とし、構造化された面接と具体的なホームワークを特徴とする、エビデンスに基づく治療法として発展してきました。

 

ホロニカル・アプローチとCBTの接合点

「感情・認知・行動」はホロニカル的存在として捉え直される

CBTは「認知が感情を生み出し、感情が行動を変える」という線形的な因果モデルを基本とします。これに対してホロニカル心理学では、認知・感情・行動は切り離して考えられる要素ではなく、互いに包摂し合うホロニカル的存在として理解されます。

定森(2026)では、統合的心理療法の推進者ポール・ワクテルの言葉を引きながら「現実生活における出来事には、感情が認知を揺るがし、認知が行動を変化させ、行動が再び感情を再構成するように、すべてが相互に包摂し合う関係にある(Wachtel, 1997)」と述べています。

たとえば、ある被支援者が抱える「怒り」の感情を単なる情動として扱うのではなく、その背後にある認知的構造・関係性の記憶・身体的反応・社会的文脈などと重層的に関連づけて理解することが、ホロニカル的視座に基づく支援となります。

つまりCBTが「認知→感情→行動」という要素の連鎖を治療の対象とするのに対し、ホロニカル・アプローチはそれらを多層多次元のネットワーク全体として、全体性の中で俯瞰することを重視します。

 

「スキーマ分析」と「ホロニカル主体(理)」

CBTにおけるスキーマ(中核信念)——「私は無価値だ」「世界は危険だ」「他者は信頼できない」といった、幼少期から形成された深層の信念体系——は、ホロニカル心理学の「ホロニカル主体(理)」と対応する概念です。

ホロニカル主体(理)とは、「宇宙の原理・社会規範・文化・美徳・思想・信念・倫理」などが現実主体(我)に内在化されたものであり、個人が無意識のうちに依拠する「識別・評価の基準」です。

CBTがスキーマを「認知的技法によって修正すべき誤った信念」として扱うのに対し、ホロニカル・アプローチはホロニカル主体(理)を「単に修正すべきものではなく、その人の自己と世界との歴史的・文化的・関係的な蓄積として、まず丁寧に俯瞰されるべきもの」として捉えます。

この違いは実践的に非常に重要です。CBT的な「スキーマの修正」は、ともすると支援者の価値観や理論(これもまた支援者のホロニカル主体〈理〉です)を通じた「上書き」になりかねません。ホロニカル・アプローチでは、まず支援者自身がどのような「理」を通してクライエントを見ているかを自覚・俯瞰することが求められます。

 

「要素還元主義」への批判的継承

本書は「現代心理学の多くの潮流は、未だに実験的手法に基づいた因果論的・線形的な枠組みに依存している。たとえば、独立変数と従属変数の明確な区分に基づく研究設計や、特定の認知的歪みに対する技法的介入などがその代表」と指摘し、このような要素還元主義への問い直しを促しています。

また「行動療法的な刺激-反応モデルや、認知療法的なスキーマ分析など……を相対化する」とも述べています。これはCBTを否定するのではなく、「部分を全体から切り離して扱う」ことへの慎重な問い直しです。

ワクテル自身もまた「心理学実験においては自明のものである独立変数と従属変数の明確な区分も、現実生活上の出来事には適用できない」と述べており、精神力動と行動療法を統合しようとした先駆者の問題意識とも、ホロニカルの視座は深く重なります。

 

「第三世代CBT」との驚くべき共鳴

CBT自体も発展を続けており、近年は「第三世代CBT」と呼ばれる流れが注目されています。マインドフルネス認知療法(MBCT)・ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)・弁証法的行動療法(DBT)などがその代表です。

第三世代CBTの最大の特徴は、「認知を変える」ことを直接目指すのではなく、「自分の思考・感情をありのままに観察する(脱フュージョン・アクセプタンス)」ことを重視する点です。

ここにホロニカル・アプローチとの驚くべき共鳴があります。

ホロニカル・アプローチの技法のひとつである「ただ観察」は、まさにこの第三世代CBTの精神と深く重なります。本書では「支援者と被支援者がともに、イメージに対して評価や意味づけを控え、ありのままに"ただ観察"し続けるという態度を通して、より深い気づきと全体性の回復を目指す方法です。これはマインドフルネス的な要素を含みつつも、"こころ"の動的現象を俯瞰的にとらえ直す技法である点で特徴的」と述べられています。

ただし、ホロニカル・アプローチは第三世代CBTとも根本的に異なります。マインドフルネスが「今この瞬間への注意の訓練」を目的とするためにコントロールするという意識が働くのに対し、ホロニカル・アプローチの「ただ観察」は、「IT(イット)」——すなわち無批判・無評価・無解釈の立場から自己と世界の不一致・一致を俯瞰する根源的な観察主体——の育成を目的とします。技法としての類似性の背後に、より深い哲学的・存在論的な差異があるのです。

 

「認知の変容」か「俯瞰する主体の育成」か

CBTとホロニカル・アプローチの根本的な相違点を一言で表すとすれば、この問いに集約されます。

CBTは「誤った認知を正しく修正すること」を治療の核とします。セラピストは認知の歪みを同定し、ソクラテス的問答やコラム法などの技法を用いて、クライエントが自ら「認知の再構成」を行うことを助けます。

これに対してホロニカル・アプローチが目指すのは、「適切な観察主体の育成」です。私自身もこれこそがあらゆる心理療法に通底する共通する基盤であると考えています。認知の内容を「正しい・誤り」と評価するのではなく、自己と世界の不一致・一致のプロセス全体を、無批判・無評価・無解釈の立場から俯瞰できる内的な主体を育てること——これが変容の核心です。

定森(2026)は「"こころ"とは、部分の集まりではなく、部分が全体を映し出し、全体が部分に顕れるような、生成的で創造的な動的存在です。この理解に立ったとき、私たちは"こころ"を分析するのではなく、"こころ"に参与し、その『ゆらぎ』に耳を傾け、その変容にともに立ち会う姿勢が求められる」と述べています。

「分析する」から「参与し、ともに立ち会う」へ——この転換がホロニカルの立場であり、CBTとの根本的な差異です。

 

悪循環パターンとホロニカル・ループ

CBTが「認知の悪循環」として理解するもの——たとえば「失敗する→自分はダメだと思う→何もやる気が出ない→また失敗する」という連鎖——をホロニカル心理学は「ホロニカル・ループ(悪循環パターン)」として理解します。

CBTがこのループの「認知」の部分に焦点を当てて介入するのに対し、ホロニカル・アプローチは「悪循環パターン全体を、多層多次元の文脈(個人的・家族的・社会的・文化的)においてどのように位置づけられているかを、共同研究的に俯瞰すること」を重視します。

またこの悪循環が、フラクタル構造——小さなスケールのパターンが、より大きなスケールで繰り返される——として現れることをホロニカル心理学は指摘します。幼少期の父親との関係で生じた恐怖が、その後の他者不信・社会不安・自信喪失といった連鎖的なホロニカル的存在群を形成していくとき、CBTが「認知のABC理論」で捉える個別の認知の歪みは、より大きな多層的パターンの「一部」にすぎないと理解されます。

 

臨床での統合の可能性

では、CBTとホロニカル・アプローチは実践においてどう統合できるでしょうか。

ホロニカル・アプローチの基本姿勢は「既存の理論や技法を否定しない」ことです。CBTの構造化面接・心理教育・ホームワーク・認知再構成法などの技法は、それがどのような観察主体の立場から、クライエントとの関係性のどの層に向けて用いられているかを俯瞰した上で、ホロニカル・アプローチの枠組みの中に位置づけ直すことができます。

たとえばCBTのコラム法(自動思考の記録)は、ホロニカルの文脈では「クライエントが自らのホロニカル主体(理)を可視化し、観察主体を育てる作業」として意味づけることができます。マインドフルネス技法は「ITの立場からの俯瞰的姿勢を育てる入口」として活用できます。

「技法はどれも使える。問題は、何のためにどの立場から使うかだ」——これがホロニカル・アプローチとCBTを統合する際の基本的な問いです。

 

おわりに

CBTは「認知を変えることで人を助ける」という明確なモデルと豊富なエビデンスをもって現代臨床を牽引してきました。ホロニカル・アプローチはその知見を深く尊重しながら、「認知の変容」という目標を「より大きな全体性の中での自己組織化」という視座から問い直します。

「認知の歪みを直す」から「俯瞰する主体を育てる」へ。
「要素を分析する」から「全体に参与する」へ。
「セラピストが介入する」から「共に研究・創造する」へ。

これらの転換が、CBTをさらに豊かにする可能性を持っていると、私は臨床家として感じています。

次回は、家族療法・システム論とホロニカル・アプローチの接合を探ります。