はじめに

精神分析・ユング心理学・人間性心理学・CBT・家族療法システム論に続く今回は、ナラティブ・セラピー(Narrative Therapy)とホロニカル・アプローチの接合を探ります。

ナラティブ・セラピーは、1980〜90年代にマイケル・ホワイトとデイヴィッド・エプストンによって創始されたポストモダン的心理療法です。「人は自分の人生を物語として生きており、その物語が変われば生き方が変わる」という根本命題を持つこのアプローチは、「外在化」「オルタナティブ・ストーリー(代替的物語)」「再著述(re-authoring)」など、臨床実践において非常に有用な概念と技法を生み出してきました。

ホロニカル・アプローチはナラティブ・セラピーの豊かな知見を積極的に取り込みながら、同時に「物語の書き換え」という枠組みを超えた、より根源的な次元での変容を目指します。

 

ナラティブ・セラピーの核心

「問題の外在化」――問題は人ではない

ナラティブ・セラピーがもたらした最も革新的な貢献のひとつが、「問題の外在化(externalizing the problem)」という技法・思想です。

「問題を抱えた人」ではなく「人が問題と関係している」という視点の転換——「うつな私」ではなく「うつが私に影響している」、「怒りっぽい子ども」ではなく「怒りがこの子に取り憑いている」という言語的枠組みの転換は、クライエントと問題の関係そのものを組み替えます。

問題を外在化することで、クライエントは問題から少し距離を置き、問題との関係を新たに選択する主体として立ち現れてきます。これは支援の文脈を根本から変える発想です。

「支配的物語」と「オルタナティブ・ストーリー」

ナラティブ・セラピーは、クライエントが「支配的物語(dominant story)」——「私はダメな人間だ」「私はいつも失敗する」——に縛られており、その物語の中に収まらない「例外(unique outcome)」がすでに存在することに注目します。

その例外を丁寧に拾い上げ、クライエントが自らを別の視点から語り直す「オルタナティブ・ストーリー(代替的物語)」の構築を支援することが、ナラティブ・セラピーの核心です。この過程は「再著述(re-authoring)」とも呼ばれます。

ポストモダン・社会構成主義の立脚点

ナラティブ・セラピーはポストモダン思想・社会構成主義を理論的基盤とします。「現実は客観的に存在するのではなく、言語・言説・ナラティブを通じて社会的に構成される」という立場から、クライエントが「問題のある人」として定義されるのは、支配的な文化的言説(「こうあるべき」という規範)の産物にすぎないとみなします。

この視座は、セラピストの権威性を批判し、クライエントを自らの人生の「専門家」として位置づける、徹底した非権威主義的姿勢につながります。

 

ホロニカル・アプローチとの深いつながり

「問題の外在化」から「観察主体と観察対象の分離・可視化」へ

ホロニカル・アプローチは、ナラティブ・セラピーの「外在化」技法を積極的かつ独自に発展させています。

定森(2026)には明確にこう記されています。「ホロニカル・アプローチは、ナラティヴ・セラピーなどに見られる『問題の外在化』の技法を深め、被支援者と支援者が共に外在化された問題を再定義するプロセスを重視します。外在化により問題を外に出すことで、『被支援者が問題である』という視点ではなく、『問題が問題である』という捉え方に転換する文脈が生まれ、自ずと被支援者と支援者が共に『問題』に取り組む協働的関係性が生まれるようになります」。

ホロニカル・アプローチにおける外在化の独自性は、それをナラティブ・セラピーの「言語的枠組みの転換」にとどめず、「観察主体(A点)と観察対象(B点)の分離・可視化」として、"こころ"の構造論と直接結びつける点にあります。

たとえば「自分は常に怒りに翻弄される」と訴えるクライエントに対して、ホロニカル・アプローチでは「翻弄される私(観察主体A)」と「怒り(観察対象B)」の関係性のパターンとして捉え直し、さらにこのパターンが対人関係・身体症状・学校との関係など、異なる領域でもフラクタル構造として自己相似的に反復されていることを可視化します。

外在化は「言葉の転換」だけでなく、"こころ"の多層多次元構造全体を俯瞰するための技法として深化されているのです。

小物による外在化——ナラティブを超えた「体験的可視化」

ホロニカル・アプローチの実践技法として特に重要なのが、「小物による外在化法」です。

クライエントの内的構造(観察主体Aと観察対象B、あるいは内我と外我の関係)を、言語的に語り直すだけでなく、小さな具体的な物体(人形・石・積み木など)を使って空間的に配置し、視覚的・身体的に「見える化」します。

これはナラティブ・セラピーの「外在化」の精神を引き継ぎながら、言語以前の身体感覚・空間知覚・視覚的配置を通じた理解へと拡張するものです。言語化が困難な体験、身体に刻まれたトラウマ記憶、多層的な関係性のパターンを、小物の配置を通じて「あるがままに俯瞰する」——この作業が、クライエント自身の観察主体の育成を促します。

また「名付ける(外在化の命名)」という点でも、ホロニカル・アプローチはナラティブ・セラピーと共鳴します。本書では「怒りに振り回されている親子がいる場合、その怒りを『カット虫』などと名付けることで外在化し、被支援者と支援者が『カット虫への対策』を共同研究的に検討しながら、問題の意味づけや関わり方を協働的に組み替えていく」という実践例が示されています。

「語りの主語・述語」から観察主体を読む

ナラティブ・セラピーが「物語の内容」に注目するとすれば、ホロニカル・アプローチはさらに「語りの構造」に注目します。

本書では「被支援者の語りの中で『誰が何をどう感じ、どう判断しているのか』を読み解くことは、観察主体と観察対象の特定に直結する」と述べています。

特に日本語では主語が省略されがちであるため、「誰が」を補って再構成する手法が有効です。主語に当たる観察主体が内的現実主体(内我)か、外的現実主体(外我)か、ホロニカル主体(理)かを見極めることで、クライエントがいかなる視座から語っているかが明確になります。

「私はダメだ」という語りは、外我が内我を批判し続けているのか、内在化された「理」(親・社会の価値観)が現実主体を縛っているのか——同じ「ダメだ」という言葉の背後にある構造の違いを読み解く視座は、ナラティブ・セラピーの「支配的物語の分析」を、ホロニカルの構造論として精緻化したものといえます。

「自己物語の再著述」と「自己組織化」

ナラティブ・セラピーの「再著述(re-authoring)」——クライエントが自らの人生を「著者」として書き直す営み——は、ホロニカル・アプローチの「自己組織化」と深く共鳴します。

しかし重要な差異があります。

ナラティブ・セラピーにおける「再著述」は、基本的に言語・物語の次元での変容を志向します。オルタナティブ・ストーリーを語ることが変容の核です。

一方ホロニカル・アプローチにおける「自己組織化」は、言語・物語の次元だけでなく、身体感覚・感情・関係・場所など、言語以前の多層多次元にわたる変容の全体を射程に収めます。本書では「ホロニカル心理学では、"こころ"を固定的に定義しないこと自体が支援技法の一部になっている」と述べられており、「語り直し」に固定することなく、"こころ"の動的現象に参与し続ける姿勢が求められます。

 

ナラティブ・セラピーとの根本的な相違点

「ポストモダン・社会構成主義」との距離

ナラティブ・セラピーが拠って立つポストモダン・社会構成主義は、「現実は言語的・社会的に構成される」という立場から、客観的現実や普遍的真理の存在を問い直します。

ホロニカル・アプローチはこの問い直しに深く共感しながら、同時に言語・言説・ナラティブの次元に議論を限定することに慎重です。

本書では「ホロニカル心理学は、関係性をコミュニケーション、言説やナラティブとして理解するだけではなく、身体や宇宙を包摂する多層多次元的な関係生成過程として捉え直す」と述べています。

言語は、自己と世界の不一致・一致を表現する重要なチャンネルのひとつですが、「言語化されない一致の体験こそが、"こころ"の奥底にあるリアリティ」でもあります。定森(2026)はさらに「言語化されない感覚的な一致もあれば、自己と他者、あるいは自己と出来事とのあいだに明確なズレを感じるような不一致も存在する。自己と世界が本来的に一体であるという無境界の現象世界は、私たちが何かを『言葉』にした瞬間に、対象とそれ以外とを区別するという構造をもたらし、そこに不一致が生じる」とも述べています。

言語化することでかえって失われる何かがある——この認識は、ナラティブ・セラピーが十分に扱えない次元への、ホロニカル的な問いかけです。

「物語の書き換え」より「俯瞰する主体の育成」

ナラティブ・セラピーは「物語を書き換えること」を変容の核とします。しかしホロニカル・アプローチでは、「どんな物語を語るか」よりも、「どのような観察主体の立場から物語を語っているか」——すなわち「語る主体そのものの変容」を重視します。

外我(他者の評価・社会規範を内面化した批判的自己)が観察主体となって語る物語は、いかに「ポジティブ」に書き換えられても、その構造が変わらなければ変容は表面的にとどまります。

ホロニカル・アプローチが目指すのは、「IT(イット)」——無批判・無評価・無解釈の立場から自己と世界の不一致・一致を俯瞰する根源的な観察主体——が立ち上がることです。そのとき初めて、外在化された「物語」を多層多次元的に俯瞰し、自己と世界の関係を自己組織化していく力が生まれます。

「物語を書き換える」のではなく「物語を俯瞰する主体が育つ」——この差異は、ナラティブ・セラピーとホロニカル・アプローチの根本的な相違点です。

セラピストの立場をめぐる共鳴と相違

ナラティブ・セラピーは「セラピストは知らない立場(not-knowing position)に立つ」という徹底した非権威主義を標榜します。クライエントを自らの人生の専門家として尊重し、セラピストは「外部証人」として物語の再著述を支援します。

ホロニカル・アプローチもまた「共同研究的協働関係」を基本姿勢とし、支援者が答えを与える権威者となることを否定する点では深く共鳴します。

しかし同時に、ホロニカル・アプローチでは、支援者が「IT(イット)」の俯瞰的立場に立つための相応の訓練・自己修練が求められます。「雨降らし男」(河合隼雄が紹介した、ただ「道(タオ)の状態になる」ことで自然に変容をもたらす治療者の象徴的喩え)を参照しながら本書は述べます——「ホロニカル・アプローチでは、支援者が『雨降らし男』になるのではなく、被支援者と支援者が共に雨降らしの関係になるような関係づくりを徹底し続ける」。

「知らない立場」ではなく「ともに俯瞰する立場」——この微細だが重要な差異に、ホロニカル・アプローチの独自性があります。

 

変容の5つのステージ——ナラティブ的視座との統合

ホロニカル・アプローチでは、変容のプロセスを5つのステージとして示しています。

ステージ1(インテーク):被支援者の語りの中から「日常のズレ」「一瞬の違和感」を俯瞰的に拾い上げる。

ステージ2(外在化・可視化):多層多次元の悪循環のフラクタル構造全体を外在化・可視化する。被支援者は「困難が単なる個人的問題に還元されない」ことを体験として理解する。

ステージ3(共創的俯瞰による模索):支援者と被支援者が共同研究的協働の立場から、不一致が一致へと向かう観察主体と観察対象の組み合わせを探索する。

ステージ4(ホロニカル関係の創発):「過去の語りと現在の内省のギャップ」を足場に、小さな意味のある変化が生まれる。変化は「できた・できない」ではなく「世界の見え方・関係の結び方が変わった」という意味生成として語られる。

ステージ5(ホロニカル・ループの強化):変容が一過性で終わらず、心的構造の変化として定着していく。

このプロセスは、ナラティブ・セラピーの「支配的物語→例外の発見→オルタナティブ・ストーリーの構築」という流れと深く共鳴しながら、それを多層多次元の"こころ"の構造論・変容論として再記述したものといえます。

 

おわりに

ナラティブ・セラピーは「人は物語として生きる」という洞察から、「問題の外在化」「オルタナティブ・ストーリー」「再著述」という豊かな実践的知見を生み出しました。ホロニカル・アプローチはこれを深く継承しながら、以下の方向に発展させます。

言語的物語を超えた多層多次元の変容へ。「物語の書き換え」を超えた俯瞰する主体の育成へ。「知らない立場」を超えたともに俯瞰し共創する関係へ。

ナラティブ・セラピーが「語ること」に変容の力を見出したとすれば、ホロニカル・アプローチは「語ること」と「語る以前の直接体験」の両方を抱え込みながら、"こころ"の自己組織化を共に育んでいきます。

次回はEMDRとトラウマ理論とホロニカル・アプローチの接合を探ります。