「催眠」と聞いて何を思い浮かべますか

テレビのバラエティで見る「あなたは眠くなる……」というように催眠というと、こうしたエンターテインメントのイメージを持つ方が多いかもしれません(古典的催眠,直接催眠と呼ばれたりもします)。

しかし臨床の世界では、催眠は100年以上の歴史を持つ心理療法の一形態として、真剣に研究・実践されてきました。今回はトラウマシリーズの特別編として、ヒプノセラピー(催眠療法)をテーマにお届けします。

私自身は当カウンセリングルームではヒプノセラピーを実施していませんが、かつて日本医療催眠学会の理事として専門家同士が研鑽を積む場に関わってきた経緯から、この領域について一定の知見を持っています。今回はその視点からお伝えします。

 

催眠とは何か――その科学的な理解

臨床催眠とは、高い集中と注意の集中状態(トランス状態)を意図的に誘導し、その状態を治療的に活用する技法です。

神経科学的な観点から見ると、催眠状態では前頭前野(合理的判断を司る部位)の活動が変化し、デフォルト・モード・ネットワーク(自己参照的な思考に関わる神経回路)の活動パターンが通常と異なることが脳画像研究で示されています。つまり催眠は「思い込みや演技」ではなく、脳の実際の機能的変化を伴う状態であることが、現代の神経科学によって裏付けられつつあります。

催眠感受性(ハイプノタイザビリティ)には個人差があり、すべての人が同じ深さのトランス状態に入れるわけではありません。これも重要な事実として押さえておく必要があります。

 

エビデンスの現状

臨床催眠のエビデンスは、対象とする問題によって蓄積の程度が異なります。

比較的エビデンスが整っているのは、慢性疼痛・過敏性腸症候群・不安障害・禁煙などの領域です。メタ分析でも催眠の補助的な効果が示されており、米国心理学会(APA)の第30部会(心理催眠部会)は催眠を正式な心理的介入として認めています。

PTSDやトラウマへの適用については、エビデンスはまだ発展途上ですが、有望な予備的知見が蓄積されてきています。

特に複雑性トラウマや解離を伴うケースへの適用可能性が注目されており、これはEMDRシリーズでも触れた「単回性トラウマと複雑性PTSDの違い」と深く関わってくるテーマです。

 

自我状態療法――解離とパーツへのアプローチ

トラウマ治療の文脈で特に重要なのが、**自我状態療法(Ego State Therapy)です。

自我状態療法は、ジョン・ワトキンスとヘレン・ワトキンス(John & Helen Watkins)によって開発されました。人格は単一の固定した存在ではなく、複数の「自我状態(パーツ)」から構成されているという考え方に基づきます。

これは第10回でお伝えした構造的解離モデルとも重なります。複雑性PTSDや解離性同一症(DID)では、パーソナリティが「日常生活を送るパーツ」と「トラウマを保持するパーツ」に分かれている状態が生じています。自我状態療法では、催眠状態を活用して各パーツに直接語りかけ、関係を築き、パーツ間の対話を促し、最終的な統合を目指します。

コラムで述べた自己観——「自己(わたし)とは固定された実体ではなく、多層的に広がり、常に生成し続けるプロセスである」——という視点は、まさに自我状態療法の人間観と深く響き合うものがあります。「わたし」が複数のパーツから構成されているとすれば、各パーツに丁寧に関わることが回復への道になる、という考え方は自然な流れと言えるでしょう。

解離性同一症(DID)の治療においては、現在も催眠を用いたアプローチが国際解離学会(ISSTD)のガイドラインに取り上げられており、専門的な訓練を受けた治療者による慎重な実施のもとで有効な場合があるとされています。

 

退行催眠――過去の記憶へのアクセス

退行催眠(Hypnotic Age Regression)とは、催眠状態において意識を過去の特定の時点に「戻す」ように誘導する技法です。

臨床的な退行催眠は、幼少期のトラウマ体験にアクセスしたり、症状の起源となった出来事を再体験・再処理したりすることを目的として用いられます。

ただしここでは科学的に重要な注意点も述べる必要があります。催眠状態での記憶は、必ずしも客観的な事実を正確に再現するわけではないという点です。催眠は記憶の鮮明さを高める一方で、「偽りの記憶(False Memory)」が形成されるリスクも高めることが研究で示されています。つまり、催眠中に「思い出した」ことが実際に起きた出来事とは限りません。

この点については専門家の間でも議論があり、特に法的文脈(犯罪被害の証言など)における退行催眠の使用には慎重な姿勢が求められています。治療的文脈においても、「記憶の真偽」よりも「今ここでの象徴的・感情的な体験の処理」として位置づける視点が重要です。

 

前世療法――その可能性と立ち位置

さらに踏み込んだ話題として、前世療法(Past Life Regression Therapy)があります。

前世療法は、催眠状態において「前世」の記憶や体験にアクセスするという形式をとる療法です。精神科医ブライアン・ワイス(Brian Weiss)の著書『Many Lives, Many Masters』(邦題『前世療法』)は世界的なベストセラーとなり、この領域への関心を広げました。

科学的な立場から言えば、「前世が実際に存在する」かどうかは検証できません。これは心理学・医学が答えを出せる問いではなく、信仰・哲学・スピリチュアリティの領域に属するものです。

しかしながら、臨床的な観点からは別の見方が可能です。前世療法のセッションで体験される「前世の記憶」は、現在の症状や感情のパターン・対人関係の葛藤・身体症状などと結びついた象徴的・隠喩的な体験として機能することがあります。「前世」という枠組みが、現在の自己を俯瞰し、意味を再構成するための心理的な物語として働くという見方です。

ここで改めてコラムの自己観に立ち戻るなら、「自己はトランスパーソナルな次元にも及ぶ広がりを持つ」という視点は、前世療法のような体験と真剣に向き合う際の一つの理論的支えになりえます。「前世が本当にあるかどうか」という問いを保留しながらも、そこで体験されることが持つ心理的・治療的な意味を丁寧に見ていく姿勢は、臨床家として誠実なアプローチではないかと私は考えます。

 

日本医療催眠学会での学びから

私はかつて日本医療催眠学会の理事として、催眠療法を専門とするセラピストたちと研鑽を重ねる機会を得ました(同学会は2025年度をもって解散)。

そこで感じたのは、催眠療法を真剣に実践している専門家ほど、「催眠は万能ではない」という謙虚さと、「それでも確かに変化が起きる」という確信の両方を持っているということでした。科学的なエビデンスと臨床的な実感の間にある緊張感を、誠実に抱え続けている専門家が多い領域だという印象を持っています。

 

当相談室の立場について

当カウンセリングルーム結では、現在ヒプノセラピーは実施していません。

ただし、ヒプノセラピーという方法の存在を否定する立場もとっていません。適切な訓練を受けた専門家のもとで、適切な対象に、適切な方法で行われるヒプノセラピーは、トラウマや解離の治療において有効な選択肢になりえると考えています。

ヒプノセラピーに関心をお持ちの方には、必要に応じて信頼できる専門家へのご紹介を含めてご相談に対応しています。

 

おわりに――「わたし」の多層性に向き合う療法として

トラウマ治療において、EMDR・PE・CPT・SEそしてヒプノセラピーは、それぞれ異なる角度から「わたし」の傷に向き合う方法です。

コラムで整理したように、自己とは「固定された実体ではなく、時間と関係性の中で常に変化し続けるプロセス」です。ヒプノセラピーはその多層的な「わたし」——意識・無意識・パーツ・身体・そして場合によってはトランスパーソナルな次元にまで——アクセスする可能性を持つ療法として、今後も真剣に向き合われていくべき領域だと思っています。

「どの療法が正しいか」ではなく、「今ここにいるあなたに何が必要か」——その問いを大切にしながら、引き続き臨床に向き合っていきたいと思います。

👉 カウンセリングルーム結のご案内:https://counseling-yui.sunnyday.jp/