「何回くらいで良くなりますか?」
カウンセリングの初回面接や問い合わせの際に、最もよく聞かれる質問の一つがこれです。当相談室でも同じです。
この質問に対する正直な答えは、「その方の状態によって、大きく異なります」ということになります。ただ、それだけでは何の手がかりにもならないので、今回はエビデンスと臨床経験の両方を踏まえながら、できる限り丁寧にお伝えしたいと思います。
研究が示す「平均的な回数」
まず、研究データから見てみましょう。
単回性トラウマ(一度の出来事によるPTSD)に対するEMDRの研究では、3〜6セッション程度で症状の大幅な改善が見られるという報告が複数あります。WHOのガイドラインでも、単純なPTSDに対しては比較的短期間での改善が期待できるとされています。
マーカス(Marcus et al., 1997)らの研究では、平均3セッションでPTSD診断基準を満たさなくなった参加者が多く見られました。ロスナー(Rothbaum et al., 2005)らのレビューでも、単回性トラウマへのEMDRは8〜12セッション以内で高い効果を示すとされています。
一方、複雑性PTSDや複数のトラウマ体験を持つケース、幼少期からの慢性的なトラウマを持つケースでは、研究上も治療期間が大幅に延長することが示されています。ISTSSの複雑性PTSDガイドラインでは、治療が数年単位に及ぶことも珍しくないと明記されており、まず安定化フェーズに相当な時間を要することが多いとされています。
単回性トラウマと複雑性PTSDの違い
ここが最も重要な分岐点です。
単回性トラウマの場合
交通事故、自然災害、単発の暴力被害など、それ以前に健康的なパーソナリティ形成が完了している方が、ある出来事をきっかけにPTSDを発症したケースです。
この場合、EMDR治療の「土台」となる自己の安定性がすでに備わっています。トラウマ記憶という「特定の傷」を処理することに集中できるため、比較的少ない回数で回復が見込めます。臨床的には数回〜十数回のセッションで大きな変化が生まれることが多いという実感があります。
複雑性PTSDの場合
幼少期からの虐待・ネグレクト・慢性的な家族機能不全など、愛着形成の段階から繰り返しトラウマを体験してきたケースです。
ここで重要なのは、治療の前提となる「健康的なパーソナリティの土台」そのものが未形成であることが多いという点です。EMDRで特定のトラウマ記憶を処理しようとしても、その記憶を支える自己の器がまだ十分に育っていない状態では、処理が進みにくく、あるいは一時的に進んでもすぐに別の記憶や症状が浮上してくることがあります。
これは治療の失敗ではなく、複雑性トラウマの構造そのものが持つ特性です。
「構造的解離モデル」からの理解
この現象を理解する上で参考になるのが、ヴァン・デル・ハート(Van der Hart et al.)らが提唱した構造的解離モデルです。
複雑性PTSDでは、パーソナリティが「日常生活を送る部分(ANP)」と「トラウマ反応を保持する部分(EP)」に解離した状態になっていると理解されます。さらに重篤なケースでは、この解離が多層化します。
こうした状態に対しては、EMDRの前段階として解離の安定化・各パーツへのアプローチが必要であり、治療は**フェーズ1(安定化)→フェーズ2(トラウマ処理)→フェーズ3(統合)**という長期的な構造をとることが推奨されています。
催眠療法・パーツワークとのアプローチについて
複雑性PTSDや解離性障害に対しては、顕在意識にあるパーソナリティのパーツに直接アプローチする技法——たとえば催眠療法を用いたパーツワーク、あるいはIFS(内的家族システム療法)などの有効性を示す研究も出てきています。
解離したパーツそれぞれに語りかけ、関係を築き、統合していくというプロセスは、理論的にも臨床的にも重要な意味を持ちます。
ただし当相談室では催眠療法は実施しておりません。このようなアプローチが必要と判断される場合には、適切な専門家へのご紹介を含めてご相談させていただいています。
「20年かかって形成されたなら」という目安の話
臨床の場でよくお伝えすることがあります。
「20年かけてその症状が形成されてきたのであれば、おそらく10年単位の時間がかかるかもしれない。3年かけて形成されたものであれば、3年ほどで回復できるかもしれない」という目安です。
これは科学的に厳密な数字ではありません。ただ、クライエントの方が「どうして自分はすぐに良くならないのか」と焦りや自己嫌悪を感じているとき、「それだけ長い時間をかけて作られてきたものが、あっという間に変わらなくて当然なのだ」という文脈を提供する意味があります。
一方でこの伝え方が、「じゃあ10年もかかるのか……」と絶望感につながってしまう方もいます。伝え方の効果はその方の状態や受け取り方によって異なり、一律には言えません。これは今も臨床家として模索し続けているところです。
回復を急がないことの意味
EMDRに限らず、トラウマ治療において「回復を急ぐこと」は逆効果になることがあります。
神経系の観点からも(SEの視点で言えば)、あまりに速いペースでトラウマを扱うことは再トラウマにつながるリスクがあります。ゆっくり、丁寧に、安全に進むことが、結果として着実な回復につながります。
「まだ変わっていない」のではなく「着実に積み上げている」というリフレームが、長期的な治療においては非常に重要です。
まとめ――「あなたの場合は」を一緒に考えること
| 単回性トラウマ | 複雑性PTSD | |
|---|---|---|
| 土台の状態 | パーソナリティ形成が完了 | 土台そのものの形成が課題 |
| 治療の焦点 | 特定の記憶の処理 | 安定化→処理→統合の長期プロセス |
| EMDRの効果 | 比較的短期で有効 | 段階的・慎重なアプローチが必要 |
| 目安の期間 | 数回〜数十回 | 数年単位になることも |
「何回かかりますか」という問いへの答えは、その方の歴史・現在の状態・生活環境・サポート資源など、多くの要因によって異なります。
ただ一つ確かなことは、回復は必ず少しずつ動いているということです。その動きを一緒に丁寧に見ていくことが、カウンセリングという場の本質だと思っています。
シリーズを終えるにあたって
10回にわたってEMDRを様々な角度からお伝えしてきました。
EMDRという療法を入口として、トラウマとは何か、回復とはどういうことか、そして支援するとはどういうことかを考えてきました。この連載がトラウマを抱えた方、支援に関わる方にとって少しでも助けになれば嬉しいです。
引き続き、カウンセリングや心理学に関するテーマをお届けしていきます。
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