・演劇を愛してやまない人
・コロナ禍の時世でもポジティブに演劇を守りたい人
こんな人達は読まないでください。
まもなくステージプラスの配信演劇企画にオムプロは参加する。
私は舞台を見るときは圧倒的に生で見に行きたい派だ。
役者の息遣い、視線、気迫、声の圧。音の反響、飛び散る汗、役者の身体の匂い、芝居小屋に特有の年季の入った匂い。
五感から現場に集中することで、その物語の世界に真に浸ることができると思っているからだ。
身体に叩き込まれる一連のリアルが「演劇」という現象なのだ。よって、オンライン配信される演劇の中継は「芝居の記録映像」ではあるが「演劇」だと私は思わない。
自宅や出先でパソコンやスマホを使って気軽に見れることが主流になるのは、表現方法や興行的な意味では革命だ。これまでも演劇の配信媒体はあったし、DVDでも見ることは出来た。しかしそれらは「現象としての演劇」のおまけであったはずだ。
このおまけだったものは、時間が合わない、場所が遠い、そういう人に届けるための「ついで」だったのだ。
私は演劇を見に行くとき、当日体調が悪くなってギリギリまで行くか行かないか悩むことが多々あった。
いざ劇場にたどり着いて。口下手の私は終演後の見送りに出てきた役者や同席した知り合いにいらんことを口走ってしまったり、行き交う人間関係のしがらみに辟易したり、芝居そのものと向き合えずモヤモヤすることも多かった。
自宅でゆっくり配信映像を見れることは、心身の調子を整えて好きなタイミングで【芝居と自分だけの空間】を作り出すことができる。そういう意味では、この上なく良いものだ。
だけどそれは、オムライスprojectでやりたかったことではない。
お誘いくださったステージプラスの高木さんには申し訳ない話です。
劇場では感染対策に気を使って座席間のソーシャルディスタンスを設け、収容人数を減らす。
観客の連絡先と名前を控えさせる。
公民館の稽古場を借りると、大きな声を出すなと言われる。
同調圧力に中指を立てて好きにやったところで、見にくる人がどれだけいるか。
その中で続けられるほど裕福でも器用でもない。
商業演劇としての成功が全てはないが、一定数の観客に認知されることも私にとっては演劇の現象として大事な要素だ。
演劇は死んだ。
役者が思いのまま暴れ散らす権利。
それを気軽にふらっとやってきて覗き見る権利。
これらの権利が奪われる以上、私のやりたい演劇はもう無い。
私は「三密の演劇」がしたいのだ。
オムプロを含めた今決まっている案件を最後に、私はしばらく「演劇の人」を名乗るのはやめようと思う。少なくとも、パンデミックが収まるまでは。
それでも今、配信演劇をやってみること。
やってみないで否定したくなかったのだ。
何より、ものづくりをする自分がジッとしていられなかった。私はどこまでいっても「演劇の人」だから。
懲りずにそのうち何かしでかすと思う。