こんばんは、アイです。
 次の選挙をにらんで、党の代表を決める総裁選が行われているようですね。
 でもごめんなさい、もう興味がわきません。きっとみんなもそうなのでは
ないでしょうか。

 とりあえず、あの党には入れない。
 でも、あの党にも入れたくない。
 さて、どうするか。

 誰に投票しても何も変わらないようで、最悪を選ぶとどうなるかは、
身を持って体験しましたからね。





 今回は、前回の続きです。

 レセプトについて、思うところを書いていきたいと思います。

 レセプトについては、一般の方々のためにまずは前回、簡単な説明をしました。

 保険医療機関(病院、薬局、接骨院なども含む)は、月末締めで 
レセプトを社保と国保の二つに分けて、社会保険診療報酬支払基金
通常、支払基金と訳して呼ばれる)、国民健康保険団体連合会
通常、国保連合会と訳して呼ばれる)へと、それぞれ提出します。

 保険医療機関から提出されたレセプトは、そこで請求内容が適切かどうかを
審査されます。適切であると判断されればお金が支払われますが、
何かしらの疑義が生じれば、その分の支払は保留とされます。

 保留になったものは、理由をつけて保険医療機関に「返戻」という形で
返送されます。

 保険医療機関は、修正可能なものは「再提出」という形で対応し、
 それができないものは、「請求棄却」ということになります。

 さて、このレセプトというシステム。今までずーっとこのやり方で
やってきたわけですけど、実は様々な問題を抱えています。

 まず、社保と国保、二つに分ける意味があるんでしょうか?

 社保は現役のサラリーマンが属し、国保はざっくり言うと
現役のサラリーマン以外が属しています。具体的には自営業者や、
社員扱いされないパートタイマー、あとは無職、一番多いのはお年寄りですね。 
 
 しかし保険は違えど、レセプトの審査のしかたは実は同じです。
 それなら、社保と国保を統合したって、いいはずです。
 無駄な人員、無駄な支店を整理することができるでしょうし、保険医療機関も、
わざわざレセプトを二つに分ける手間がなくなります。

 なぜ無駄な人員、無駄な支店という書き方をするかというと、
実は審査そのものが無駄だからです。

 レセプト審査の事務手数料には、みんなの保険料が投じられています。
 
 例えば社保の支払基金の場合、その事務手数料は年間約800億円にも
及ぶといわれています。

 ではその成果はどうかというと、審査により請求棄却とされ、減額される金額は
年額にしてせいぜい約200億円止まりらしいです。

 つまり単純計算しても、差し引き約600億円の保険料が毎年事務手数料として
消費されているわけですね。もはや、誰の為にやってるかわからない。
そう思えませんか?

 もちろんこう書くと、支払基金の連中はムキになって反論するでしょう。

 俺たちはレセプトの番人だって。犯罪が少ないからといって、警察を
縮小するなんてことがあるか?この800億円は、必要な金額だって
言い張るでしょう。
 
 そりゃあ、不正請求を行っている保険医療機関だって、中には
あると思います。

 しかし、審査でそれが見つかることなんて、あるんですかね?

 保険医療機関の不正請求は度々ニュースに上りますが、
それが発覚するのはたいてい、内部告発によるものです。
審査が不正を発覚することに貢献した事例なんて、まず聞いたことがありません。

 むしろ、連中のやってることなんて、程度の低いケアレスミス探しみたいなもの。
 現場の足を引っ張ることばかりです。
 

 いかにもお役所的というか、連中が重視するのはこの医療行為や調剤が
医学的に必要かということよりも、書類上の細かな文言のチェックばかり。

 病名が漏れているとか、記載に不備があるとか、そんな程度の低いことで
レセプトを返戻扱いにし、保険医療機関に不正請求の濡れ衣を着せているのが
実態です。

 レセプトの審査事務は、例えるなら東電のようなものです。
 
 事業をほぼ独占しているので、やることは好き勝手。民主党の事業仕分けで
追求されたため、高い事務手数料を今年になってようやく申し訳程度に
引き下げました。つまりこれまではコスト削減の努力なんてロクにしてこなかったと、
認めたってことです。

 だいたい、支払基金の場合、年間約200億円が請求棄却により
減額されるといっても、これは全体の金額からすれば、わずか0.1~0.2%に
過ぎません。

 要は99%以上のレセプト審査が徒労に終わってるってことでしょう?
 レセプトの番人なんていっても、それをやらなかったから誰か死ぬって
わけじゃなし。不正請求を見落とした審査員が責任を取るなんてことも
どうせないんだから、もっと効率のいいやり方があるはずです。

 何より大きな問題は、レセプトの審査ルールが、標準化されていないと
いうこと。

 日本には国民皆保険制度があり、保健医療は全国で標準化されています。
 
 しかし、肝心のレセプト査定ルールが、いつまで経っても標準化されません。

 場所によって、独自のローカル・ルールなるものがまかり通ってしまっているのです。
 しかもそれは、はっきりと文書になってません。いかにも日本的というか、
暗黙の了解ということになっています。
 
 具体的に説明しますと、全く同じ内容のレセプトが2枚あるとしましょう。

 同じ内容なのに、国保連合会はOK、でも支払基金はNGということが
あるのです。

 一般的に、支払基金のほうが基準は厳しいです。
 その理由は、支払基金は独自のノルマが決まっており、ある一定の
成績を出すことに躍起になっているからです。

 ほら、警察官がノルマ稼ぎに放置自転車の取り締まりを強くしたりするでしょう?
 自転車に乗ってる人をなんでもかんでも呼び止めて、防犯登録番号の
 確認に待たされて、あれみたいなもんですよ。

 さらに、地域間格差もあります。

 東京ではOKなものが、神奈川県ではNGということがあります。

 この理由は、神奈川県は東京に比べてお金があまりないからです。だから
なんとかして医療費を抑制しようとしている。

 ただ、東京ではNGでも埼玉だったらOKということもあります。

 オープンな情報ではないですけど、埼玉はあちこちに政治的な影響が
あったりするので、そこはまあ、見逃してやれよみたいなこともあるようです。

 そしてもっと細かい事を言えば、レセプトの審査員によっても違う。

 レセプトを審査するのは、医師をはじめとした医療関係者とは限りません。

 資格どころか、医学的知識も持たないような人が審査していることもあります。

 審査員の質にも差異があるわけで、ここでも審査にバラツキが生じます。

 まあ人のことを出したら、キリがないかもしれませんけどね。
 それもこれも、レセプトの審査ルールが標準化されていないから、
このようなことになるのです。

 
 レセプトというのは、まさにブラックボックスのようなものだと、
アイは考えています。

 もしここをオープンにできて、レセプトの審査ルールが標準化されれば
医療をめぐる様々な問題は、一気に解決するでしょう。

 保険医療機関はレセプトを作成する時、この事例は大丈夫だろうか。
審査で減額対象にならないだろうかと、迷いながら作成しているのが
現状です。

 レセプト審査ルールが標準化されて、ここまでは請求して大丈夫ということが
はっきりわかれば、保険医療機関はもう迷う必要がなくなります。

 減額の対象になるレセプトは大幅に減るでしょうし、
シロクロはっきりした基準があるものは、コンピュータの得意分野です。
レセプトはすでに電子化がスタンダードですから、人を介さずに
コンピュータで一括審査することも可能となるでしょう。

 人件費が浮くことで、審査の事務手数料は激減。
 保険料を安くできることはもちろん、ひいては医療費の抑制にも
効果があるのではないでしょうか。

 



  
 「大切な人を忘れないように、生きるのも難しいさ♪
 僕らはせめて同じ時代を、生きてることを感じたい♪」

 
 涼しく感じるようになった夕暮れの下、歌を口ずさみながら歩くアイ。

 なんだかんだで、良い歌だと思う。若い頃、友達とよく歌った。

 それにしても、テレビの再放送見るとわかる。どんどん黒くなっていくな。
 
 あれは役作りかしら、それとも、歳を経ったからか。
   

 

 レセプトのことを長々と書いてきましたけど、残念ながら現実は
そう簡単には変わらないと思っています。

 だって、もし本当にレセプトというブラックボックスを開放したら、
システムは全国レベルで大幅な修正を迫られるからです。

 
国民にとっては望ましいことでも、役人たちがどれだけ反対することか。

 
国保連合会はその性質上無くせませんから、支払基金を国保連合会に
統合することになる。ですがそれは、どんな会社の合併よりも混乱を
究める作業でしょう。
 
 特に支払基金は、名目上こそレセプトを審査するために発足した第三者機関と
なっていますが、実際は厚生官僚が天下り先として作った組織のひとつに
過ぎません。

 だからまあ、支払基金なんて本当は潰しちゃって構わないんですけど、
そうはさせないでしょうね、絶対。  

 



 日本の保健医療制度は、例えるなら複雑に絡まりあった紐のようなもの。

 そのせいでまあ、誰しもがしなくていい苦労をさせられているわけですが。

 どっかの王様みたいに、剣でぶった切ってしまえ、というのも
正しくないんでしょうね。

 地道にコツコツと、紐をほぐしていくしかないでしょうね。
 
 何年かかることやら、でも。

 その過程にこそ、意味があるのかもありません。