「戦争」は遥か昔話ではない。ある意味、無知だったとは言え、衝撃が走りました・・・・・ | 男心・女心の伝道師!ターニングポイント株式会社 西田陽子のブログ

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男心・女心の伝道師 西田陽子です!

 

 

 

【「戦争」は遥か昔話ではない。ある意味、無知だったとは言え、衝撃が走りました・・・・・】

 

野球! WBC盛り上がっていますね♪
実は日本代表の「秋吉亮選手」は我が母校、足立新田高校出身♪

 

「伊集院光」も中退ですが、この足立新田高校の野球部に所属しておりました!

 

現在の足立新田高校は「特進クラス」の設置や、2年次より「スポーツ健康系」「福祉保育系」「メディア文化系」の3コースに分かれて授業の選択を行うなどしておりますが・・・私が居た当時は、中退率が5割を超えるという所謂「底辺校」で、スクールウォーズそのままでした・・・・・(/ω\)

 

そんな高校時代でも、私自身はバレーボールに青春を注ぎ、同級生たちも野球部・ラグビー部・ハンドボール部・陸上部など、様々なスポーツ系に没頭しておりました!

 

野球部に関しては、当時大好きだった後輩がおりまして!
良く練習を見たり、練習試合に応援に行ったり、話題を作りたくって甲子園をテレビで見たり!

 

その当時、見ていた「甲子園」
それはそれは私にとっては酸いも甘いもの思い出が詰まっています。


当時は沖縄水産の上原晃選手(元中日ドラゴンズ)に目が♡になり~(*´ω`)

 

なので、先日沖縄に行ったときにご担当者様との会話で開口一番に出した言葉は「沖縄と言えば沖縄水産!」でした(*'▽')

 

先日録画しておいたテレビを確認していると【人生が二度あれば~運命の選択~】で私の3つ下の「沖縄水産:大野倫選手」が取り上げられておりました。

 

 

 

お恥ずかしながら、自分自身が高校を卒業すると同時に「甲子園」も見なくなり・・・・この大野倫選手の出場した「甲子園」は全く見ておりませんでした・・・

 

1988年に沖縄水産は初の決勝まで行き、この「大野倫選手」は、翌年の”沖縄初優勝”という期待を背負い、右ひじを骨折していたにも関わらず、6試合たった一人で投げ抜き、投手生命は甲子園で終わってしまったという悲劇の投手と呼ばれている選手です。

 

 

沖縄県では、1958年に初の沖縄代表として首里高校が出場。

 

当時はまだ沖縄県は米軍の占領下で、パスポートを持参しての甲子園出場だったそうで、甲子園の土も検疫にて沖縄の海に捨てられたそうです・・・・

 

 

そして、1972年(私が2歳の時)ようやく沖縄県本土復帰。

 

 

その翌年 1973年に「大野倫選手」は生まれています。

 

沖縄県は第2次世界大戦時に「本土」を守るために戦いました。

しかし本土の私たちは残念ながら沖縄県の歴史・沖縄の人の心に関して、ほとんど教育を受けておりません。

 

当時の沖縄県の方々は「本土に対するコンプレックス」が相当あったようで、「優勝旗が来なければ、本当の戦争は終わらない」と奮起していたそうです。

 

 

当時は「戦争」「沖縄」「高校野球」が繋がっていたと・・・・。

 

 

 

2010年 興南高校が、ようやく「甲子園」で初優勝を飾り、これでその当時の方々の「戦争」は一区切りがついたのでしょうね・・。

 

まさか!まさか! 

私がミーハーにキャーキャー言って見ていた「甲子園」という場で、同年代の・・・というか、自分よりも年下の方が【沖縄県民の期待】【沖縄の心】という重い十字架を背負い、「戦争」を含め戦っていたなんて・・・・・・・

 

「戦争」は遥か昔話ではない。

 

ある意味、無知だったとは言え、衝撃が走りました・・・・・。

 

ちなみに、1988年に「甲子園」で優勝した高校は「広島商」。
その優勝投手が日体大で一緒だったので・・・何だか不思議なものです・・・・・