島根県大田市 石見銀山 豊栄神社 毛利元就(もうりもとなり)公が御祭神です( `ー´)ノ | 晴れたり、曇ったり、雨だったり、嵐だったり。。。

晴れたり、曇ったり、雨だったり、嵐だったり。。。

人生にはいろんなことがあって、いろんな日がありますよね~

今年(2025年)11月16日のことです。

また、島根県に行きました(〃艸〃)ムフッ

 

一社目の神社は、島根県江津市波子町の津門神社(つとじんじゃ)お願い

石見国(いわみのくに)の式内社です。

 

眠くて眠くてzzz、運転が危険だったので、ゆっくりと休みながら到着しました。

参拝後にも、やっぱり眠くて、この日は一社だけの参拝となりました。

 

明けて、11月17日

この日の一社目は、

島根県大田市の

石見銀山の大森の町の中に御鎮座の、

大田市大森町ホ211に鎮座されます

豊栄神社(とよさかじんじゃ)

 

 

おおだ宮めぐりのサイトからコピペ<m(__)m>

毛利元就が祭神の、毛利家ゆかりの社である。

元就は生前、自分の木像を造り山吹城に安置させたが、元就の孫の毛利輝元が同春山長安寺を建立し、木像を移した。

関ヶ原の役後、石見銀山を徳川氏が支配する中で長安寺が荒廃したため、元禄4年(1691)毛利家は木造を萩の本藩へ引き上げた。大森住民から木造在置の希望があり、毛利家は代わりに新しい木像を造らせ安置した。

嘉永2年(1849)火災により神殿、拝殿及び宝物等焼失したが木像は難をのがれた。

慶廊2年(1866)大森へ人った長州軍は、藩祖の木像があるのを知り、浄財を募って本殿を始めとした境内地を整備した。

中隊司令祖式信頼ら172名の隊士名が境内の献納物に刻まれている。

その後明治3年、明治天皇の宣下により長安寺は豊栄神社とされた。

 

お宿からの朝の景色

 

お宿をチェックアウトして、向かったのが、石見銀山上差し

3週間ほど前に来た時は、観光客が多く、大森の町の中の銀山公園の駐車場には止めれず、ちょっと離れた石見銀山世界遺産センターに駐車して、シャトルバスで入ってきたんです。

 

ところが、この日は、朝9時半ごろに着いたので、銀山公園の駐車場もガラッガラでした。

 

大田市大森銀山伝統的建造物群保存地区

 

 

大森の街並み(石見銀山街道)を歩きます

 

保育園

 

      

 

      

 

 

向こうに、お堂が見えます。

行ってみなかったです。 足が悪いから、我慢です(´;ω;`)ウゥゥ

手前の石碑には、

南無妙法蓮華経と刻んでありました。 日蓮宗はてなマーク

 

      野良飼いのニワトリさん鳥

      

 

鳥鳥鳥

 

イチョウイチョウ 右側の建物は小学校

 

      イチョウ

      

 

一般車は進入禁止の道を、杖をついてテクテク走る人

 

 

 

到着ビックリマーク

目的の神社、豊栄神社

 

前回の石見銀山関連のブログを書くために、いろいろ調べていて、

この神社が、毛利元就公を祀っていると知りました。

 

なるほど、それで、山口県山口市の豊栄神社と同じ名前なんだと納得。びっくり上差し

それじゃあ、参拝しなくっちゃって、この日、やってきたというわけなんです。

前回は、参拝しなかったのでね。

 

大田市観光サイトからコピペ<m(__)m>

豊栄神社は、慶応3年(1867)までは洞春山・長安寺という曹洞宗の寺でした。洞春とは元就の法号で、元就のことを洞春公とも呼んでいました。永禄4年(1561)に山吹城内に毛利元就が自分の木像を安置し、元亀2年(1571)には長安寺を建立し、木像を移したと伝えられています。

 

へぇ~、元就公は法号が「洞春」っていったんだ

山口市に洞春寺があるんですよ。毛利元就公の関連のお寺なのね。

私、行ったんだけど。。。

 

洞春寺に行った時のブログです下差し

 

 

随身門

 

 

      

 

      ・・・

      逆光ではないので、、、何か写ってますね。。。びっくり

      

 

実は、ここ、豊栄神社はパワースポットでした滝汗キラキラ

 

      

 

      

 

御本殿

 

草が、、、、(´;ω;`)ウゥゥ

近かったら、草取りに来たいえーん

 

振り返りの随身門と鳥居

 

豊栄神社の近くの西本寺

 

石見銀山 銀の店工房

 

黒猫ちゃん黒猫しっぽ黒猫あたま

 

ここまで、がんばって歩きましたけど、もう無理だったので、帰りは、ワンコインの電動カートに乗って駐車場まで戻りましたリムジン後ろリムジン前