おはようございます
突然ですけど、今、ふと、頭に浮かんだことがあります。
霊能力があるからといって、幸せだとは限らない。
逆に、霊能力があるから、良くないことが起きたりする。
って内容なんですけど、、、
だから、無理に霊能力を上げたいとか、神様の声を聴けるようになりたいとか、そんな望みを、必要以上に持たなくてもいいのかなって
それと、霊能力が高い人は、、、それぞれに、今世でやるべき使命があって、この時代に生まれてきている。
それはそれで、大変だろうと思う今日この頃です
今年(2025年)の3月12日のことです
この日は、まず佐賀県神埼市に御鎮座の櫛田宮(くしだぐう)を参拝しました
そこから向かったのは、
福岡県朝倉市麻氐良山に鎮座されます
麻氐良布神社(までらふじんじゃ)の下宮です
式内社です。
以前から来たかったんですけど、道が狭く大変そうだったので躊躇してました
今回、勇気を出してやってきました
神社への登山口のあたりに、普門院という立派なお寺があるんです。
そこの敷地が広くて、駐車しました。
すると、ちょうどご住職がいらして、道の状態を聞いたっました。
すると、、、
「道は狭いし、柿の木の枝が張り出してるし、車で上がるのはおすすめしません。」と。。。
そして、、、
「ネットで知って、来られたんですか? 上宮に上がるなら、そんな恰好では無理です。」と。。。
私は
「それなら、すみませんけど、ここに駐車させてもらっていいですか?」と、お断りして、ここから歩いて行くことにしました。
・・・この神社に行くなら、普門院さんにお断りして、駐車させてもらったらよいかと思います。
無断駐車は、失礼ですよね
あさくら神社回廊のサイトからコピペ<m(__)m>
往古より鎮座にして、延喜式神名帳に上座郡麻氐良布神社小一座として載る。日本書紀斉明天皇の条に「朝倉の社の木を伐り神怒りて宮殿を壊り侍臣多く疫死、天皇また崩御し給う」とある。朝倉山の上に鬼があらわれ、大笠を着て喪の儀式を覗いていたということであるが、日本で最初に「鬼」という文字が使われたのがこの時の「鬼」である。戦国時代には黒田官兵衛の股肱之臣として名を馳せた栗山備後利安の居城もあった。山頂に鎮座する神寂びた佇まいは往年の物語へと誘っているようである。
- 御祭神:伊弉諾尊、相殿に月夜見尊・天照大神・素戔嗚尊・蛭子尊
- 社格:式内社、旧郷社
福岡観光Webクロスロードふくおかからコピペ<m(__)m>
「麻底良山(までらやま)」は、朝倉地域と杷木(はき)地域の境に位置する、標高約295mの山です。麻底良山は、日本で最初に「鬼」という文字が使われた山でもあります。日本書記によると、斉明(さいめい)天皇が朝倉の地に移られ、朝倉の社の木を切って御殿を建てられた際、神が怒って御殿を壊したと記されています。また、天皇が崩御された時には、朝倉山の上に鬼が現れて喪の儀式を覗いていたとも書かれています。この朝倉山こそが麻底良山であり、朝倉の社が山頂に鎮座する「麻底良布(までらふ)神社」とみられています。このように不思議な伝承が残る麻氏良山は、地元の有力な氏族であった秋月氏の端城や、黒田家の家臣・栗山善助の居城である左右良(までら)城があった要衝でもあり、現在でも曲輪の跡や竪堀の跡が残っています。
普門院さんの入り口
杖をついてテクテク
麻底良山(までらやま)
途中で、柿の木畑のお世話をされてる地元の人と会いました。
いつものように、話しかけて、怪しい物じゃないことを伝えました
気を付けて、がんばって、行ってくださいねと、声をかけてもらいました
左右良城跡
これで、までらじょうと読むんですね
右左が良いっっていう名前がすてき
柿の木畑
この地域、朝倉や田主丸、浮羽は、果樹の生産が盛んなんです
社頭の一の鳥居
さぁ、下ります
一の鳥居を振り返ります
いやぁ、念願かなって、参拝できて幸せでした