2025年1月9日のことです。
この日は、佐賀県武雄市の神社を三社巡りました。
まず、武雄温泉の楼門のすぐ近くに御鎮座の淀姫神社
二社目が、淀姫神社から車で3分ぐらいのとこに御鎮座の富岡天満宮
三社目が、富岡天満宮から、また3分ぐらいで行ける
佐賀県武雄市武雄町富岡11724に鎮座されます
素鵞神社(そがじんじゃ)
この日巡った神社は、最初の淀姫神社から、長崎街道を東へ歩いて行くと巡れるんです。
北九州市の小倉と長崎を結ぶ長崎街道
長崎街道沿いには、風情のある街並みがたくさん残ってると思います。
私が訪れたことのある、長崎街道沿いの神社も、増えてきました。
直方市の「多賀神社」、飯塚の「曩祖(のうそ)八幡宮」
、大根地神社の鳥居、神崎市の櫛田宮、佐賀市「巨瀬神社」、佐賀市の「伊勢神社」、武雄温泉かいわい、嬉野市の豊玉姫神社、長崎市の諏訪神社などなど。
なんか、私、長崎街道が、すっかり好きになりました
この日は、雪が降って、とても寒くって
この場所で、うっかり50センチぐらいの段差がある空き地を、そのまま突っ込もうとして、直前で気がついて、回避できて、怖かったです
知らない場所で、雪で前がよく見えなかったから、ほんとにヤバかったです
クスノキの巨樹がいいですね~
拝殿
近年、改築されたのか、ピッカピカ
素鵞神社の夏祭りでは、子ども浮立(ふりゅう)が奉納されるそうです
※画像は佐賀新聞のサイトからお借りしました<m(__)m>
境内からの振り返り
摂社
武雄市の文化財のサイトからコピペ<m(__)m>
木造牛頭天王坐像
牛頭天王は、祗園系統の神社に祀られている疫神です。
本牛頭天王像は、楠の一木造りで、頭上に牛形をつけ、天冠台を着し、体部は上半身裸体で、条帛をつけ、下半身は裳をつけています。手は多臂で、六臂のようです。第3手は両手を右ひざに重ねて膝頭をおさえ、その下に鬼形の獣を抑えています。顔面は左半分が焼けていますが、右半分の状況から忿怒の相と考えられます。平安時代後期の作で、像高56.5cm、最大幅35.5cm、厚さ18.8cmの大きさです。
また、本像とともに納められていたものに、牛頭天王像・男神像・女神像・如来像の8躯があります。すべて楠の一木造りで、室町時代から江戸時代にかけての作と考えられます。
素鵞神社はもとスサ神社といわれ、祭神はスサノオノミコトです。武雄領主2代の資茂が塚崎に赴任する際、京都の祇園社と比叡山の日吉神社の分霊を鎧の両袖に入れ、塚崎では東にあたる岩富名(小楠)のスサ神社に祇園社の分霊を祀り、祗園林と名付けたと伝えられており、資茂の存在を考える上で重要な資料です。
木造牛頭天王坐像は仏教美術でも数少ない牛頭天王像の一つであり、京都や奈良の神社仏閣にある彫像や画像をみても本像のような密教的天部形の例はなく、国内の牛頭天王の図像を考察する上でも貴重な資料です。また、一緒に納められていた木造神像等8躯についても、市内の彫像文化や信仰史を考える上で貴重な資料です。
平安時代後期の作って、、、貴重ですね
そして、御分霊を鎧の両袖に入れてって記述が、面白い
何かに記録されていたのか、伝承なのか。。。
鳩が、御本殿の後ろの隅っこに二羽
摂社 詳細不明
寒かった~
さぁ、ここから、福岡市にGO