入院中の母の面会に、一泊二日で旅をして、帰った翌日は、さすがにいつも疲れてて、何もする気が起きません( ̄▽ ̄;)
きょうも(;^_^A
なにせ、面会の往復に300キロ、プラス神社巡りで200キロか300キロ走るので('ω')ノ
なはは、自業自得なのです。。。
でも、やめられません
おかげで、家の仕事が溜まってきた~
春の草が、どんどん生えてきた~
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10月16日のことです。
この日は、朝イチに、福岡県糸島市の細石(さざれいし)神社を参拝しました
その次に、細石神社のすぐ近くの井原(いわら)住吉神社を参拝しました
そして、次に向かった、当初の目的の神社、福岡市早良区石釜の熊野神社です
その次の4社目は、
佐賀県佐賀市三瀬村三瀬409-1に鎮座します
杉神社です。
国道263号線を南下し、三瀬(みつせ)トンネルを抜けて、福岡県から佐賀県に入りました
三瀬トンネルの真ん中あたりに県境があります。
三瀬村の総鎮守だそうです。
この杉神社も、263号線を通るたびに、気になってたんです。
やっと参拝できました。
交通量が多い道路なので、立ち寄るのに躊躇し続けてきたんです。
佐賀市観光協会のサイトから引用<m(__)m>
文永元年(1264)、摂州の武士・野田周防守大江清秀が三瀬山村の杉屋敷に建てた神社。境内にそびえる約200本の見事な杉は神木として崇められ、往時は1万本以上あったという。
さがの歴史・文化お宝帳からコピペ<m(__)m>
社号 杉大明神
祭神 仲哀天皇・神功皇后・武内宿祢
鎌倉時代の文永元年(1264)、摂州の士(一説に東国の士)野田周防守大江清秀が家来を率いて北肥山内に入り、三瀬山村の杉屋敷に設営した。この杉屋敷は古くから清浄の霊地とされていたので、周防守は他に要害の地を探し求めて、山中の地(現在の地蔵屋敷)に館を構え、金山城を築いてこの村一帯を掌領した。
同年9月、清浄の地とされる杉屋敷には、小城山大宮司嘉村左京進宗章に命じて、筑前香椎宮から分霊をいただき、領地の守護神として勧請し、社殿を造営して社号を杉大明神と号とした。
そうして、昔神功皇后三韓征伐の時、豊前国池田邑の杉山に登られて、天神地祇の擁護を祈願せられ、手づから杉枝を鎧にさし給うたという古事因縁によって、当地境内に杉1万株を植えて神木とし、世々神祭を執行した。
明治4年12月22日に列せられ、明治40年代の村内無格社の整理統合によって他社の祭神、
少彦名命・天照大神・龍田大神・大己貴命・豊受大神・宇賀魂命・市杵島姫命・源義経・神代勝利外、合わせて13柱を合祀した。
なんと、一万株の杉の苗木って、植えるだけでも、どんだけ大変なんだって
香椎宮からの勧請なんだ
そして、ここにも、御祭神に源義経さまがいらっしゃいます
拝殿
賽銭箱が無かったんですけど、、、、
いや、拝殿の中にあるかもだけど、鍵がかかってて
でも
ランチは、この近くの「三瀬そば」さんで
さぁ、次は、来た道を戻って、次の神社へGO