10月3日の事です
この日は、自宅から、まず福岡県太宰府市の竈門神社(かまどじんじゃ)を参拝しました。
その次に、ナビで呼ばれた福岡県粕屋郡須恵町の宝満宮を参拝しました。
竈門神社は、宝満宮竈門神社なのです。
霊峰宝満山に御鎮座です。
須恵町の宝満宮も、かつては竈門神社と呼ばれていたそうです。
宝満宮の神様は、龍神様である玉依姫様です。
そこから、入院中の母の病院に面会に行きました。
面会の後は、、、
佐賀県古湯温泉に宿泊しました。
母の病院からは、1時間ぐらいの場所です。
古湯温泉は、なんと、あの徐福(じょふく)さんが見つけたという伝承がある温泉なのです
※徐福は、秦の始皇帝に仕えた学者で、日本に渡来したという伝説の人物
さがの歴史・文化お宝帳のサイトによると
秦の始皇帝の命で不老長寿の霊薬を求めて、有明海の寺井津浮盃に上陸した徐福は、金立山にたどりつき、北山の翁として、浮世を忘れて暮らしていた。ある日、湯の神が現れ、翁にむかって、「この山中の西北のあたりに黄金の霊が湯となって湧きだすところがある。必ず行ってその源をうがち、これを広めて多くの人を救われよ」と告げて消え去った。やがて、翁は、山道を踏みこえ谷川のほとりにたどり着き、縁の苔むす岩の間から湯がわきだしているのに行きあたった。翁はこれこそ神のお引き合わせと大いに喜び、ささやかな庵をたて「湯守り」となった。
民衆幸屋さんに宿泊しました
一泊二食で9.000円だったかな
コンビニでご飯や飲み物を買うと、すぐ2.000円ぐらいなっちゃいますよね。
だから、二食付きで10.000円以内のプランがあったら、泊まります。
素泊まりで7.000円ぐらいすると、コンビニで食料を買ったら、すぐ1万ぐらいになっちゃうので。
さらに、温泉がついてるとこを探します。
温泉に入れて、二食付きで1万なら、まぁいいかなと。
母が老人ホームに入所して、実家がなくなったんです。
母の面会は、日帰りするには遠いので、いつも一泊して二日面会します。
だから、ホテルや旅館泊です。
さて、民宿幸屋さんに到着しました。
幸屋さんの玄関に入りました。。。
え
ものすごいパワーなんですけど
そして、部屋に案内され、部屋に入ったら、、、
え
ここも、すごいパワーなんですけど。。。
え
どゆこと
この宿、パワースポットだぁ
幸屋さん、昭和レトロな建物で、部屋数も6部屋だっけ、という小さな民宿です。
古湯温泉では、唯一の民宿です。
幸屋さんは、たぶん、神様に守られているか、あるいは、宿を守っている、、、たとえば
座敷童のような存在がいらっしゃるんだと思います。
その話を、おかみさんしたら、ビックリして一言
「だから、コロナでも潰れなかったのかもしれませんね。」って。
夕食
佐賀牛
朝ご飯
朝食を済ませ、チェックアウト
宿の玄関から外に出たとたん、、、
ぶわーーーーっと、パワーが降りてきました。
お別れの挨拶に、どなたか現れてくださった
やっぱ、この宿、パワーがすごい。
きのう、宿について、付近を地図で確認したら、、、
神社がありました。
前の晩に、どこからか、お祭りのお囃子のような音が聞こえてたんですけど、
その神社のお祭りが間もなく開催されるということで、練習されてたようです。
あさイチに、その神社に向かいました。
温泉街を見下ろすような、少し高い位置に御鎮座でした。
国道323号線と佐賀県道278号線の交差点付近です
肥前鳥居
なんと、
淀姫神社だぁ
佐賀県佐賀市富士町大字古湯961
に御鎮座です
淀姫さまは、たぶん、龍神様だと思います。
神功皇后さまの妹といわれてたりするんですけどね。
わたしは、豊玉姫さまや玉依姫さまと同じ神様ではないかと、最近思っているのです。
古事記や日本書紀の内容が、すべてが真実ではなく、真実ははっきりしないと思っています。。。
だから、神様のお名前や存在も、言い伝えだったり、実話が歪曲されてたりするんでしょう。
そもそも、目に見えない物の存在を科学的に証明することは困難なので。
強い能力を持たれている霊能者も、聞こえること見えることは、人によって、その時によって違ったり、神様との関係性で変わったりと、流動的な気がします。。。
さがの歴史・文化お宝帳からの引用です
祭神 豊玉媛命 海津見神 大山祇命 高皇産霊神 国常立尊 盤長姫命 応神天皇 国狭槌尊 武内宿禰 源義経 猿田彦命 菅原道真 湯気神(祐清法師と第12世清仲律師併せて祀る)
当神社は、小城藩主鍋島月堂の厚い崇敬によって承応2年(1653)創立。明治6年村社となる。祭神大山祇命外十柱の神は無格社合祀によって追加された。昭和63年、神社340年祭執行した。
古湯には諏訪神社と淀姫神社承応2年(1653)創建の2社が同じ社に祭られているが、もと嘉瀬川の側にあった淀姫神社が疫病流行のとき、神域が汚されるということで諏訪神社に合祀されることになった(明治10年頃)。諏訪神社は月野・山崎・天河の産土神と言われ、古湯の産土神は定かではないが、松森神社ではなかろうかとも言われている。
いくつかの神社が合祀されているので、御祭神がたくさんいらっしゃいますね。
でも、
なんと、源義経さまも御祭神だとは
筆頭の御祭神が、豊玉媛(姫)さまです。
やはり、淀姫さまと豊玉姫様は、同じ神様なんじゃないかな。。。
そして、大山祇命さまとイワナガ姫さまがいらっしゃるのに、コノハナサクヤ姫様のお名前が見当たらない。。。
むむむ
諏訪神社なのに、御祭神の建御名方神(たけみなかたのかみ)さまが名を連ねてない
思うに、
御祭神は、もっとたくさんいらっしゃっるのに、お名前が残ってないって気がします。。。
神さまのお名前って、一般の地域の人に把握しろって方が無理な話ですし。。。
谷川沿いです
淀姫神社にふさわしい場所だと思います
赤い橋を渡って見える境内
大木も素敵
この鳥居の扁額は、諏訪神社
しめ縄が、、、縛られてるように見える。。。
船型の手水鉢
これも、往年の手水鉢
この説明板が。。。
字が薄くて読めないですよね
ということで、こちら
さがの歴史・文化お宝帳のサイトから引用
古湯の淀姫神社境内に九郎堂がある。九郎堂は古湯の天河(字姥ケ谷)に建立してあったが、明治9年(1876)の神社合祀にさいし現在地に移転したものである。
延元元年(1336)、後醍醐天皇を擁した肥後(熊本県)の菊池武敏、阿蘇大宮司惟直とその弟九郎惟成らは、筑前多々良浜(福岡市東区)に足利尊氏の軍勢を迎えうったが、戦い利あらず、敗れて、小城の千葉氏の領内へと逃れた。しかし寝返った千葉氏によって惟直は、白坂峠(小城、富士町の町境峠)にて戦死をした。九郎惟成も重傷を負ったが家臣の原隼人に背負われ、命からがら古湯に逃げ隠れた。惟成の傷は古湯温泉の湯で回復し、この地に九郎堂を建立して永住したと伝えられる。原隼人の子孫と伝えられる古湯地区の原姓の人達により九郎神社の碑の前で九郎さん祭りが行われていた。
阿蘇九郎惟成の落人伝説は富士町のほかに七山村、浜玉町、厳木町など天山北麓に伝説として残っている。
出典:富士町史下p.628
神社巡りをしてると、時々、歴史の一端を知ることがよくあります。
なんというか、そこに、人間の足跡がたくさんあるって切実に実感します。
他人事じゃなく、そこにリアルな日本人の人生があったって、とても感慨深いです。。。
九郎神社
不思議な体形の狛犬様
お顔というか、頭の形が、ドラゴンボールのフリーザを思い出した。。。( ̄▽ ̄;)
体形が、、、不思議
拝殿
向こうが古湯温泉街です。
固まってないコンクリートの上を歩いたのは、誰(〃艸〃)ムフッ
御本殿
境内の横を流れる谷川が素敵なのです
さて、次に向かったのも、
佐賀市の神社です