歴史のロマンを感じた、須佐の松崎八幡宮 | 晴れたり、曇ったり、雨だったり、嵐だったり。。。

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人生にはいろんなことがあって、いろんな日がありますよね~

山口県萩市須佐に鎮座します

松崎八幡宮

 

 

飛鳥時代の西暦650年に宇佐八幡宮から勧請して建立された古社です。

御祭神は、

品陀和氣命(ほんだわけのみこと=応神天皇)さま

 

何度かの火事で、古記録や神宝の多くが焼失したそうです。炎

御祭神が応神天皇さまだけというのは、ちょっと解せないですよね。真顔

いろんな記録が焼失したせいで、詳細が不明なのかもしれませんね。

 

ひまわり  ひまわり  ひまわり  ひまわり  ひまわり  ひまわり  ひまわり  ひまわり  ひまわり  ひまわり

 

須佐は、萩藩の永代家老の益田家の本領地だったんです。

益田家は、元々は、島根県の益田市の領地に住んでたんですけど、

関ヶ原の戦いのあと、徳川を蹴ってパンチ!、恩のある毛利氏について須佐へ移住したんですって。

 

これに感激した毛利輝元さんは「毛利家があるかぎり忘れない」と益田家を毛利一門とし、

益田家代々を萩藩永代家老にしたんですって。びっくり

 

いやぁ、実は歴史音痴なんです、私。えー

でも、いろいろ調べると、面白いです。ウインク

 

益田氏は、古くは、藤原氏の血筋らしいです。

 

益田家が須佐に移住してから、

この松崎八幡宮を崇敬したようです。

 

社前に並ぶ石灯籠は36基あり、益田家歴代領主が、江戸参勤交代から帰国のつど奉納されたということです。下差し

 

 

この風景を見た瞬間、上差し

パワースポットだと感じましたキラキラ

 

構えというか、雰囲気と言うか、そんなとこから感じますねキラキラウインク

 

 

幕末の領主益田親施さんは、「禁門の変」の責任をとって切腹した3人の家老の一人だそうです。

明治維新のきっかけとなった人物の一人です。上差し

 

ちなみに、3人の家老というのは、

福原越後公(宇部領主)、

國司信濃公(万倉領主)、

益田右右衛門介公(須佐領主)です。
長州藩が3人に責任を負わせ、切腹を命じ、幕府にその首を差し出したそうです。

 

その一ヶ月後に、高杉晋作が下関市の功山寺で挙兵したんです。

 

いろいろ神社を巡ったおかげで、七卿落ちのことや福原公のことも知ったし、禁門の変騎兵隊の挙兵のこと、中山忠光公の暗殺のこと、ほんとに様々な知識が増えました。

神社仏閣巡りをして、自分の趣味嗜好とは別次元の知識が、どんどん増えています( ´艸`)

 

      

 

      

 

 

ものすごく堂々としてる狛犬さん爆  笑

      

 

      

 

拝殿の中には、たくさんの奉納された物が飾られていました。キラキラ

益田家からの奉納の品々でしょうかはてなマーク

 

 

 

摂社です。

まずは、須佐神社

      

 

      

 

なんのお社かわかりませんが、、、

      

 

摂社の松崎神社

このお社も、よくわかりません。

      

 

      

 

なんか、「よぅおいでました」って言われてるようなお顔です。下差し

「おいでました」は山口便です( ´艸`)

      

 

      

 

黒のアゲハ蝶ちょうちょが飛んできて、爽やかな心地よい風DASH!が吹きわたりました。

参拝できて、感謝します。お願い

ホントに、来れて良かったぁ照れ

 

ここには、たくさんの魂がいらっしゃるように感じました。

ちなみに、幽霊とかのような怖いものではないです。

誤解されないように('ω')ノ

 

 

そして、ここにもハロが現れてくれました晴れ

      

 

龍神雲龍爆  笑