おととい、
岡山県津山市の、
美作国一宮の中山神社に参拝しました。
だけど、
中山神社のブログは、後日にします。
きょう書くのは、
中山神社の摂社?の
猿神社の話です。
境内で、このような案内板を見つけました
わたし、事前に情報を得ず、名前だけで参拝するもんで(;^ω^)
猿神社
何
みたいな( *´艸`)
黒い羽根をひらひらさせる糸トンボが二羽、案内するかのようにひらひらと導いてくれました。
中山神社の本殿の真裏のもっと奥の方に鳥居が見えてきました。
トンボさんの道案内はここまででした。
しばらく歩きます。
1人じゃ心細くなってくるような参道です。
でも、わたし、一人でも平気なんです( *´艸`)
中山神社、パワーは感じませんでした。
が、パワーがありそうな雰囲気はたっぷりだったんですけどね。
左手の山の方に入っていきます。
1人じゃ怖いと思います。
あははは
見えてきました。
着きました。
猿神社です。
ご祭神は、
猿田彦さま
と、予測したら、
やっぱり猿田彦さまでした。
ところが、なんというか、
ここは、もともとは
磐座(いわくら)
って感じがしました。
直立した岸壁が、けっこうすごい
ブログを書くにあたり調べました。
津山瓦版というサイトから引用しました。
美作の国一宮(津山市一宮)に、中山神社というお宮がある。今は、牛の神さまとしてうやまわれているが、むかし、この神社のご神体は、サルであったといわれている。
猿神社(さるじんじゃ)今昔物語二六巻にみえる「中山の猿」の霊を祀るとされ、現在、猿田彦神として祀られる。牛馬の安産守護の神として信仰を受け、今も尚、ぬいぐるみの小猿を奉納する風習が残る。
猿神社というのが中山神社の奥にあるんですよ。それで、中山神社のそばに、お爺さんとお婆さんがおって、そしてかわいい娘がおったわけです。
ある日、筋肉隆々のたくましい若い青年が、そこへ偶然来たわけです。その青年が聞くのに、
「自分の娘をおそろしい猿軍団のところへ生贄にせにゃあならん。せえで泣いているんだ」と。それを聞いた若者が、それじゃあというので、お爺さんとお婆さんに話をするわけです。
「計略がある。私がなんとかしましょう」と。きれいな娘じゃから、何とか助けたいと。せえで、それから日にちが十日に決まっとった。実は自分が娘だということにして、長持の中に自分を入れてくれえ。蓋をしてえてくれえと。担いで連れて行くわけです。
そうとも知らずに大猿小猿が酒盛りをして祝いをするわけです。酒を飲んで、
「いよいよ娘を見ようじゃないか、今日は目出てえ」といって蓋を開けるんですね。開けてびっくりですなあ。若者が踊り出て、せえで小猿をやっつけてしまうわけです。そうしてしまいに大猿ですね、親分を押さえつけて、「刀で首を切るぞ」と言うたら、その猿が言うのに、「大変悪いことをしました。これからは絶対しませんから。そのかわり、土地のために、一宮のみんなのために尽くしますから、貢献しますから」というふうに言うんですね。そしたらその若者が、「それは絶対じゃな」と約束させて、首を切らなかったわけです。
それから後は一宮の人は、田んぼもよくできるし、まあ年々豊作で栄えていったという。それからしばらくしてですね、ありがたいことだと、村人が猿神社をこしらえるわけです。そこへ行ったら、そこは猿神社に拝みに行った人が、猿の縫いぐるみをこしらえて持って行って、それを祠の長押みたいなところへ置いて豊作を祈る。また、お産のこともあるんですよ。安産だったらそこへ猿の縫いぐるみを持っていく。現在でもいっぱいあります。(発行:津山市、執筆者:立石憲利、新修津山市史 別巻『つやまの民話』より転載)
という昔話があるんですって。
へぇ~、今昔物語にねぇ。。。
私、お願いしたんです。
何をって
今、山口県山口市の小郡地区で、野生のお猿さんが、人に危害を加えてるんです。
だから、どうか、お猿さん達が山から街に降りてきて、悪さをしなくなるようにって。
きのう、お猿さんが一匹つかまって、殺処分になったそうです。
・・・可哀そうな気もします。
できれば、もう悪さしないで、お猿さんが殺されないといいなって思います。
中山神社さん、雰囲気的にパワースポットっぽいんですけど、今回パワーはキャッチできませんでした。
猿神社、なんというか、中山神社の元宮というか、もともとの発祥の地のような気がしてます。
私の勝手な想像ですけど。
猿繋がりで、ご祭神が猿田彦さまになってますけど、もともとは、この地の地主か山の神様なんじゃないかなって気がします。
機会があれば、もう一度行ってみたいなと思います。