ボクはこのアカウントの他にも、いくつかブログやってますが、どちらかと言えばメインブログのアカウントが音楽記事をスランプで書けなくなっちゃってまして😅
昨日久しぶりに2記事ほどアップしましたので、ぜひ見てくださいね🙏
https://ameblo.jp/fuutake/entry-12819708784.html
「結婚し、子孫を残せるのは長男だけである」 「他家から食料を盗むのは重罪である」 「齢70を迎えた老人は『楢山参り』に出なければならない」。
来年に楢山参りに出る定めの老女・おりんの家では家族の問題があり、長男の辰平(緒形拳)の長男の妻が食料窃盗の咎で、村人に制裁される…。
そして、おりんは長男の緒形拳の担ぐ背負子に背負われて、『楢山参り』に臨むのだった」
まぁ〜、今から考えたら信じられない悲惨な口減らしの話なんだけど、泣けました😭
おりんは高齢者というだけで、まだ痴呆とかがない「人として立派な人格」で、現代ならまだまだ元気に生きていけるのに、掟に従って楢山に行くわけです。
自己犠牲だよね。それがすごく応えました
高齢者になると、これ以上生きてちゃ社会の邪魔なんだって発想は無くはないんだろうけど、ボクはそういう一律的な発想は嫌いです。なぜなら、人間が人格を持ちうる限りにおいて、老若男女に限らず尊厳を守られるべきだと思うから。
確かに年齢が70歳なり、80歳なり高齢になればなるほど身体機能は落ちていき、それを補うための医療は必要になります。医療費負担(だけじゃないけど)が若い人の負担になっているのは事実かもしれない。
全国民医療費のほぼ60%が高齢者の支払いによるもので、人口の30%弱の高齢者が60%の医療費を支払っていることになります。自己負担以外は働いている人から集めたお金からまかなわれます。
数字だけ見ると、少子高齢化の弊害は明らかなんだけど、老いても立派に社会参加している方もいるし、社会活力の一部になっている部分もある。
だから、老いてるからダメなんじゃなくて、元気に社会の一員として歳を重ねるのが大事なことだと思うんだよね。
うちの母が亡くなって4年くらいで、ちょうどコロナの前年だったんだけど、亡くなる3年前くらい前からレビー小体型認知症で、本人的に非常に辛かったと思いました。
頭の良い人で、記憶力や思考力も高かったから、痴呆が入るまで健全だったんだけど、70歳過ぎて人格が失われるのを酷く怖れていて、「万が一痴呆化して生命維持するくらいなら、いっそ死んでしまいたい。絶対に生命維持装置で生かすのはやめてほしい。」って言ってました。
それが、最も怖れていた痴呆になって、しかもアルツハイマー型痴呆と違って、わずかに人格が残ってるんだよね。
だから、自分の人格が戻ると「消えてしまいたい」っていつも漏らしてました。3年あまりも。
最後は安らかな死で、家族としては辛いけど、本人の希望がやっと叶えられたのかなって、苦しまなくて良かったと思いました。
そういう経験もあって、身体機能の維持や痴呆症防止への取り組みは今後もっとも重要な課題なんじゃないか⁉と思うんだよね。
お金があれば、老後は悠々自適でいられたら…なんて思ってたけど、母が亡くなってから若い人の役に立つなら、老骨に鞭打って、仕事して稼ぎの一部は社会に還元した方がより良い生き方だと思うようになりました。
ボクが若い有望なミュージシャンにお金かけるのは、そういう意味もありますね。
うさぎ
妙に、人懐こいよね。