◆なぜ人は、睡眠不足覚悟でスポーツに夢中になるのか?
入院シリーズの続編です。
5年前、入院したが、私の場合、特に物理的に痛いところがなかったので、入院生活は不便だが暇だった。
当初はICUに入って、24時間監視されていた(刑務所生活と比べてしまったのはサガなのかと思った)が、テレビが無料で観れた。
入院して、自分が自由に動けなくなって素朴に思った。次男は、「欧州のサッカーの試合をテレビで観るから、睡眠不足になる!」と言う。別にサッカーをやっているわけもないのに…。
なぜあれほどまでに、人はスポーツに夢中になり興奮し、熱狂するのか?
毎日の朝のテレビ番組は、どの局も大リーグの大谷翔平選手が勝ったの、負けたの、ホームランを打ったの打たないのが話題になっている。テレビでは一年中、世界陸上、世界水泳、体操、ワールドカップに、マラソンだ、正月は箱根駅伝などと、それはもう、スポーツの話題でもちきりだ。
8月ともなると、サイレンの音も清々しく、高校野球が始まり、それが終わるか終わらないうちに、同時進行で、バスケット、サッカー、バレーボールとかも始まる。テレビではどのチャンネルをまわしても、世界中のトップトーナメントが映っている日もある。
夕方になると、夕刊のスポーツ欄を眺めながら、ナイター中継。そのあい間に大相撲があったりする。そして深夜には、もう結果を知っているにもかかわらず、今日一日のスポーツの結果や名場面など、ダイジェストをビデオで見ながら、これからトーナメントやリーグが、どう展開するかなどの解説を聞く。
そして、翌朝は、また、新聞やネットのスポーツ欄に目を通す。
それでだけにとどまらず、野球であれ、相撲であれ、サッカーであれ、ゴルフであれ、何千何万という観客が会場に詰めかけている。どのスタジアムも、あふれんばかり。何とかドームでは、数万人の観客を集めて、雨が降ろうが、雪が降ろうが、天候に無関係に、スポーツが繰り広げられている。
ベッドの中で、いろいろ考えた。スポーツ社会学の分野だ。ちなみに私は、大学の体育専門学群出身なので、その講座の授業をとったのだ(私の記憶が正しければ、Aの評価だった)。とにかく時間はあるのだ。
理由は無限にあり、それを5つに分けて、したり顔で解説をするという気持ちはさらさらないが、限りなくたくさんある理由の根底には、「健康な体」への願望があると思った。要は、「自分もそうなりたい」の一言に尽きであろう。したがって、イチロー選手、大谷翔平選手、羽生結弦選手など有名なスポーツ選手は、技術がうまいとか、そういうものを越えたところ、すなわちアイドルなのではないか。羽生結弦選手のオリンピックの金メダル凱旋パレードでは、十万人を超える人が集まり、感激してオイオイ泣きながら手を振る。
それでは何のアイドルなのか?
もし可能であれば、自分もなりたいと思っている、自分も持ちたいと思っている健康な体の持ち主としての憧れのアイドルなのではないか。しかし、これほどまでに私たちは、健康な体を求めていながら、同時に途方に暮れている。
「自分には到底無理だ」という考えと、「いや、どうしてもそうなりたい」という考えで混乱しており、その結果として、自分のことは見なくなり、好きなスポーツ選手と自分をだぶらせる事により、よい気持ちになるというマジックを、自分にかけているのではないだろうか。
スポーツが好きな人は、もう、観戦することで、すっかり元気になる。自分がするのではなく、人がスポーツする姿を見て、癒されているのではないか。相撲なんかは、早い取組は、ほんの、0.何秒の世界である。しかし、ずっと以前から、チケットを買い、時間をあけて、お金をつくって見に行く。家にいれば、テレビでやっているわけであるが、そうはいかない。
「あの一瞬を自分の目で確かめねば…」
そして、お目当ての関取が勝とうものなら、家に帰るのがもったいなくなり、一杯飲みに行き、自ら解説者そこのけの相撲解説を交えながら、それをひとしきり、分かち合う。負けると、反省しない反省会と称して、これもまた一杯飲みに行く。いずれにせよ、行くのである。誤解を恐れずに言えば、ストレス解消というか、「うさばらし」としてのスポーツ観戦ともいえる。
では、改めて、スポーツの持つものすごさというのは、人をあれほどまでに情熱的にさせる秘密は、一体何なのだろうか?
私なりに、考えてみた。4つのポイントがあると思う。
1、人生の目的でもなく、手段でもない、何とも言えない不思議な魅力を持っている。
2、選手であれ、応援であれ、観戦であれ、裏方であれ、ボランティアであれ、お役所の担当者であれ、新聞記者であれ、関係者と、その家族まで巻き込み、みんななぜか笑顔がこぼれてしまう。
3、自分が今抱えている仕事を忘れられる。仕事そのものを越え、自分の出す汗も自分以外の人々との汗も、なぜか美しいと感じてしまう。
4、参加しているとき、いく度も感じる、こういうことをしたかったんだ、ずっと前からしたかったんだ、と実感でき、自分で何度もうなずいたり、納得したりしながら参加できる。
簡潔に言えば、スポーツでは、観戦だけでも、「体を動かす歓び、汗をかく歓び、仲間とともにやる歓び」を感じることができるのではないであろうか。