「今のがお前の前世での最後だ」「・・・・」「ショックの様だな」「はい・・有難う御座いました」「礼には及ばぬが、感じる事は何かないか?」「エッ・」「気が付かんのか?」「いえ・・何が、でしょう?分かりません」「そうか、分からんか、知っての通り、お前は前世で悪どい事をやって来た。本来なら地獄へ落ちても文句は言えまい。ところが、たったの二百年ぽっちの年月で、又・人間として生まれて来た、この事実を不思議だと思わんのか、と言う事だ」「二百年が、たったの、と言う事ですか?」「前世の罪で地獄へと落ちていたら、今も尚苦しみの中に居たろう事は推察出来る」「地獄の苦しみとはそんなに長いのですか?」「そうだ、お前の前にいた男などは相当の期間を苦しみ・のたうつ事になる。」「どの位の時間になるんですか?」「ハッキリするのは、あの男が苦しみ抜いた後、仮に人間として生まれて、その生涯を閉じ、ワシの前に立った時に正確な年数が分かるというものだが、恐らく数万年から十万年と言う所だろう」 何と言う長さだ、人生・たかだか七・八十年と言うのに、一万年以上もの時を苦しむとは・・「そう言う事だ。だのに、お前はたったの二百年で娑婆世界に生まれて来たのだぞ」「大王様、私は本当はそれ以上の年月の苦しみを受けて当然だった、と言う事なんですね」「そうだ、その通りだと思わぬか?八人もの娘達、しかも何の罪もない娘達の幸せを踏みにじったのだからな」「何故、二百年で済んだものか私には分かりません」「だろうな、お前は命の終わる日に、旅の僧に金を渡したな」「はい、確かにそうでした」「あの旅の僧は、お前から預かった大金を全て、貧しい民の為だけに使ったのだ。出所は不浄ではあったが多くの命を救った事には変わりがない、それと、お前に対する祈りだ。真っ当な人生が送れますように、あるいは命が尽きたとしても成仏出来ますようにと、真剣な祈りを重ねている、あの時お前に只ならぬ気配を感じたのだろうな」そうだったのか、その真剣な祈りがあったからこそ、命の終わる前に、あの僧を思い出す事が出来たのだろうか?「私は、あの人と会えませんか?会って是非ともお礼が言いたいんです」「気持ちは分かるがな、あの僧は見事な姿でワシの前に現れると、寂光土へと旅立って行った。今のお前には絶対に行けない世界じゃ。ワシには過去は知り得ても先の事はわからぬ。」「大王様、あの時、旅の僧が教えてくれた南無妙法蓮華経を唱えていたとしたらどうなっていたんでしょう?」「お前がそれを聞くか。片腹痛い、とはこの事だ、お前はあの時、修行僧の真剣な話をまともに聞いていたのか?仕方なく聞いてやった、と言う、投げやりで・いい加減な態度であった筈だぞ、そんな心根の人間が例え、南無妙法蓮華経を口にしたところで、何ら変わる事はない。ワシは以前、お前に伝えた筈だ。末法に南無妙法蓮華経を唱える事の難しさを」「ハ・ハイ憶えています、六難・九易だったと・・」「そうだ、五濁悪世の末法に於いて、一人の人間にさえ、受持させ・読ませ・書かせる事等の難しさを表したものだが、その他にも、三種の増上慢があり、己心の魔と言うものもある。お前が旅の僧の前に座り込んだ時、お前の中に、薄汚れた年若い修行僧に対しての蔑みの心が無かったとは言わせんぞ、その時には既に、お前の心の中には俗衆増上慢と言われる・驕りや相手を馬鹿にする気持ちが有ったのだ。それに、修行僧が最後の部分で”南無妙法蓮華経を唱えなさい〟と口に出した時、一度は心の中で唱えてみようか、とは思ったものの、直ぐにそれは押し止められた。己心の魔の働きと言って良い、どうだ、身近な弥吉を例えに使った事で分かり易かったと思う。この様に、南無妙法蓮華経を唱える事が如何に難しいかが理解出来た筈だ。 大王が・如何に難しいものかと、口にしようとした時だった、俺を締め付けていた枠が緩んで楽になったと気付いた瞬間、大王の眼は俺から逸れて一点を見詰め、何かを真剣に考えている風に見えた、まただ!しかも二度目だぞ!と、叫ぼうとすると、再び全体を揺るがすような地鳴りが響いて来た。ゴオ―ッ。地鳴りの続く中、俺は大王を注視した。幾分、顔を上に向けたまま相変わらず一点を見詰めている。「一体全体・何を考えているんだ?闇の帝王として君臨する大王を、悩ましてしまう問題でもあると言うのか?それに、あの地鳴りは何だ?・・・アッ!溜め息!そうだ、溜め息だ!・・溜め息以外に考えつくものは何も無い。しかし、そうだとしても何故・溜め息を? 確たる答えを見出せずにいると、大王は何事も無かったかのように、再び俺に目を向けた。 「お前を送り出す時は、既に来てはいるのだが、どうしても引っ掛かる事があってな。お前は妻女の死後の二年間は殆ど・死にたい・死にたい・の思いだけが色濃く残っているし、その後についても同じ思いが所々に記されているのだが、今、このワシの前で、死んだ方が良かったと思えるか?」「死にたいと思っていた時に死んだ方が良かったのか、辛いながらも十年間生きた方が良かったのかは、今の私には分かりません」「結論から言えば、これで良かったのだ。辛い十年間だったろうが、意味のある事だ。」「私には、そうとも思えませんが・・」「当然の事として、お前にも父親がいる。その父はお前が胎内に宿る迄に如何ほどの精子を放出したのだ?如何に小さいとは言え、縁あって卵子と結合すれば立派な人間として誕生し得る、一個の生命体だぞ、お前が形造られるまでに一体何個の尊い生命が死んでいった事か。たったこれだけの事からでも、お前の存在そのものが如何に稀な事であるのかが分かろうと言うものだ。話を変えよう、人間の身体は最盛期には六十兆ほどの細胞で成り立っているのだが、二か月もすると殆どの細胞が入れ替わる、その死んだ細胞も一個の生命と言えなくはない。他にも、小さい頃から食して来たコメや麦、これらの一粒一粒も立派な一個の生命だ。あるいは地球の大地を踏みしめていた頃、その足元には無数の微生物がいた筈だが、意識もためらいもなく無造作に踏み殺して来ただろう。どうだ、ワシの言いたい事が分かるか?」「はい、分かるような気がします。人間は莫大な生命の上で生きていると言う事でしょうか?」「そう思うのであれば、どんな気持ちが湧いて来るか?」「名も無い小さな命に対しても感謝の心を忘れるべきではないと思います」「そうあるべきだ、と同時に、尊い生命の上に成り立つ人間の命を、己の感情や欲望で傷を付けたり、殺したりする事が如何に罪深い事であるかも知らねばならぬ。それともう一つ、特筆すべき飛び抜けた才能を人間だけが持っている、それは可能性だ。人間以外で可能性を宿す生き物などおらぬ、本能と言うプログラムの中でしか生きられんのだ。お前は気付くまいが、ワシの頭上を、本能だけで生きて来た莫大な数の残骸が通り抜けて行く。人間の生き様に比べると実に空しいものだ。それなのに、お前が命を絶ったとしたら、今まで支えてくれたおびただしい残骸に対して、何と言って詫びるつもりだ。妻女の死後の十年間は、お前にとって辛い年月であった事は否定しないが、意識を変える事によって、同じ苦しみにのたうつ他の人々への励ましとも成り得る存在にもなれると言う事だ、分かるか?」「苦しんだからこそ、人の苦しみも分かる、と言う事ですね」「そうだ、無限とも言える可能性を秘めた人間として生まれて来る事が如何に稀であるか、と言う事も知っておかねばならん。この広大な宇宙の中でありとあらゆる生命が生死と言うリズムを繰り返している。生の時は形あるものとして、死してしまえば空の状態となる。そしてまた、縁に触れて形あるものとして誕生して来るのだ。地球に生息する三千万を超す種類の生物の中で、最も完成された生き物が人間だ。あるいは、宇宙空間に存在する空の状態の生命の中で、人間として生まれて来る事は、何千億兆をもう一度掛け合わせた位の確率になるだろう」そうなのか、大王の言った”生きる事は意味のある事〟とは、こう言う理由があるからなんだな。稀な存在であり、しかも可能性を秘めた人間として、例え、一日であったとしても生き抜くことは価値のある事なんだ。「大王様、人間の命の尊さは分かりました。そして、命を粗末にする事の罪深さも分かったつもりです。でも、私のいた頃の地球では違っていました。日本でも、世界でも、親が子供を殺したり、あるいは、その逆であったり、また、世界の各地で戦争や紛争が絶えませんでした。日蓮さんの教えはともかくとして、名だたる宗教が沢山あったにも拘わらずに、です。何故でしょうか?」「簡単な事だ。生命こそ尊極、と言う思想がない事と、以前にも申したが、因果は俱時する、と言う説を備えていないからだ。」「大王様、因果云々が大事なことは分かるのですが、もっと具体的にはどうなるんですか?」「フム、そこまで説明が必要か?ならば言おう、お前がかって取った事の無い百点満点の答案用紙を手にするにはどうするか?」「好きでもない勉強に取り組むしかないと思えますが・・」「そうだ、お前の必死の勉学が因であり、満点の答案用紙が、その果になると言う事だが、当然の事として、その逆もあり得るのだぞ。結局、善因は善果に悪因は悪果となる。そしてこの繰り返しが、”業〟となってお前の魂に深く刻まれて行く事になる」「大王様、業と言うのは運命と言われるものですか?」「そうだ、宿命とも宿業とも、或いは運命とも言われている。そして、この業なるものがお前の来世を大きく左右していく事となる。考えて見ろ、人間のそれぞれが顔や・形・大きさや・色の違い・能力の有無・家族の状況や国の違い等々の差別があるのが分かるだろう?これ等の差別の違いは、全て業の成せるわざと言って良い。人間が本当の幸福を求めるのであれば、如何に善因を積んで行くかにある。この様に、因と果の間にある関係を知らないからこそ、尊い命を簡単に扱ってしまう事になる。お前の言った、名だたる宗教に人間の命を手段化するような傾向があるのも、因果を捉えていないからだ。命の尊さを理解するからこそ、命ある相手を認め合い、尊敬し合い、讃え合って行けるのだ。人類が一日も早くこの事に気づかねば、人類の真の幸福は無い。人間は様々な法の下で生きている。地域々で通用する最も身近な法もあれば、一国を運営していく為の法律もある、しからば、生命についての法はあるのか? お前も薄々と気が付いていると思うが、それこそが日蓮上人がたもつ”一念三千の法門〟という事になる。」 確かにそうだ、俺が無神論者とうそぶくようになったのも、創造主と言われるものが創ったとされる人間の子孫である訳は無い、それは自分の体形が西洋人とは似ても似つかぬ、胴長短足であったからでもあるし、人類が二人から始まったのであれば、それは近親相姦の典型であり、早産や死産、或いは未熟児などと、正常な人間が誕生する筈が無いし、また、短期間で肌の色などの多様性を成し遂げられるとも思えなかった。その他にも、太陽が神とも思えなかった、やがて死滅へと追いやられる天体が神である訳は無い・・宗教は永遠性のあるものでなければならない筈だ・・・俺が必死に頭を巡らしている最中、突然・大王から言葉が発せられた「オイ・思索もその辺りで切り上げろ、此処を去る時は来ている。いいか!これからは全てお前自身の問題になる。次に会えるのは何年後となるのか楽しみにしておる。サア・行け、行くのだ!」