鳥は、神のところへ飛んで行く。YouTube動画の解説。 | 斉藤つうりのブログ 『ブッダプログラム』

斉藤つうりのブログ 『ブッダプログラム』

斉藤つうりのブログ 『ブッダプログラム』

 

 

「鳥は、卵から抜け出ようと努力する。その卵は、世界だ。生れ出ようとするものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は、神のところへ飛んで行く。その神の名はアブラクサスという」
ヘルマンヘッセ著『デミアン』より

 

2022年を表すアカシックレコードのシンボルとして「卵から生まれる鳥」「宇宙卵を破る鳥」というものをYouTubeの動画にてお伝えしました。

 

この「宇宙卵を破る鳥」について、動画の解説として書きます。

 

「宇宙卵を破る鳥」とはグノーシス主義の体系のなかで「アブラクサス」と呼ばれる神のシンボルです。

 

アブラクサスとはあらゆる対立をその内側に含む神であり、光と闇、創造と破壊、善と悪、男性性と女性性、聖と俗など、あらゆる二元性を包含する存在とされています。

 

またアブラクサスとは二元性から一元性へと意識が遡行するプロセスを表したものともいえます。

 

私たち人間の自我的な意識は物事のひとつの面しかとらえることができません。

愛と憎しみをその瞬間に感じることはできないのです。

たとえば、出会った瞬間から深い愛を感じ、誰よりも離れ難いと感じた相手が、しばらくすると誰よりも自分を破壊する憎い存在になったとき。

「あの人も私も変わった」「あの人との学びは終わった」など頭のなかで理由づけをして、解決したと思い込み、離れる。

これが人間の通常の意識です。

しかし意識の少し深い部分では、その相手に対して「愛し、共に育みたい」という思いとまったく同時に「壊し、すべてをコントロールしたい」という思いを持っている。

それが人間の本質です。

この二面性を内側に認識しようとせず、そのときの現実や自我にとって都合の良い片面だけを自分の思考や感情だと思い込むのです。

そのとき正しいと思うものは確固たるもののように表面的な意識では認識します。しかし少し時間の尺度を伸ばした時に、実際には愛と憎しみはたしかに両方存在している、ということに誰もが気づくはずです(そうでなければ結婚した相手と離婚するという事実は存在できなくなりますよね)。

 

自我的な意識は、このような意識の偏りを認識することはできません。

あるいは、両方を常に感じる、ということは人間の社会性にとってあまりにも不都合です。

「君を愛している。そしてまったく同じだけ憎んでいる」という台詞はプロボーズの台詞としてはなかなか厳しいものがあるからです。

 

さて。

アブラクサスとはこれら二元性の偏りを持つ自我的な意識を、一元的な意識へと遡行させるシンボルであると書きました。

 

ヘッセはこの著作デミアンのなかでこのように書いています。

 

「神をあらゆる生命の父として讃えるなら、性生活の全体だって、それと全く同じ原理で、生命の基礎なのに、こっちのほうは、ばっさり黙殺されるばかりか、場合によっては、悪魔の仕業だとか罪だとか言われる。
(略)
僕たちは、世界のうちの人工的に切り離された、この公認の半分だけを崇拝したり神聖視したりするのじゃなくて、世界の全部を、《すべてのもの》を崇拝し神聖視すべきだ。つまり、この理想が実現したら、僕たちは神を礼拝するのとならんで悪魔も礼拝しなくちゃならん。僕はそれがいいと思う。それが嫌なら、自分の中に悪魔も抱え込んでいるような神、至極当たり前のことが行われるたびにいちいち目をつぶる事を要求したりなんぞしない神を作る事だ」
 

悪魔などといわれるとちょっと引いてしまいますが、ここにヘッセが表現したいことの本質は

 

「僕たちは、世界のうちの人工的に切り離された、この公認の半分だけを崇拝したり神聖視したりするのじゃなくて、世界の全部を、《すべてのもの》を崇拝し神聖視すべきだ」

 

という点に込められています。

 

おそらく人間の意識という点では、現代もヘッセがこの物語を描いた1919年の状況もそれほど変わりはないでしょう。

コロナの影響下で私たちはいま「これが正しい」という一面的な認識に限界があり、「どれも正しく、どれも間違っている」という多元的な認識へと開かれる必要があるものの、いったどうやったらそれを現実の生活や、役割と結びつけることができるのか皆目わからない、というポイントに立っているのではないでしょうか?

 

コロナウィルスの正体をめぐって、あるいはワクチン問題をめぐって、あるいは医療体制による恒常的な利益の分配をめぐって。

一体何が正しく、何が間違っているのかが見えにくい状況のなかで、「私はこれを正しいと思う」「あの人はこれを正しいといっている」というものに、しがみつく。

 

それは戦争の際に、アメリカは悪魔で、日本は善なる神だと思い込むこと、あるいは、母国は間違った方向に進んでいるので、善なる意志を持つ我々はそれを食い止めねば、と思い込むことと、「正しさにとにかくしみつきたい」という点で、それほど変わりはないのです。

 

ヘッセがこの物語を描いた理由は世界大戦へと国々が向かうなかで、「なぜ人は物事の一つの面しか認識できず、自分の意識を深めることをせずに、外へと向かうのか」という苦悩を持っていたから、といわれています。

その苦悩のなかから、外へ何かを主張するのではなく、あくまで自分の内側にあるおぞましいもの、すべてを破壊し、支配しようとする自分の心―つまり悪魔―を認めることだけが、自分にできることであり、結果的にそれこそが唯一戦争を止めるものに他ならないととらえたのです。

 

これが正しい、というものに人間はしがみつくということ。

 

その点において、人間は100年前とまったく変わらないのです。

 

つまりこういうことがいえます。

 

これが正しいというものに人間がしがみつくならば、人間はやがて滅びゆくでしょう。

 

恐竜が滅びたのは、芳醇な地球の資源と環境のなかで、どこまでも自分の体の大きさを拡大していこうという方向性を持っていたからに他ならないのかもしれません。つまり拡大一辺倒の先には、かならずしっぺ返しが待っているということです。

 

同じように、私たちは「これが正しい」というものにしがみつき、経済を拡大させ続けるという方向性へフォーカスを「進化」ととらえるならば、かならず大きなしっぺ返しを食らうことでしょう。

 

しかし私は「では拡大をやめて部族社会に戻れ」ということをここで言いたいわけではありません(この文脈だと「すべてのつながりをとりもどそう」「悪を認め合い、自然に帰ろう」というスピリチュアリティが出てきそうな雰囲気だから書きました)。

 

私がここでお伝えしたいのは「これが正しいと認識する自我的な意識をどのように認め、それを含んで超えた視点を人間は獲得することができるのか」という点にあります。

 

スピリチュアルな概念や、宗教的なもの、あるいは科学信仰に入らずに、すべての人が心の内側に、善と悪の両方を認め、かつ自分はその片面しか認識ができないということを常識化できるか。

 

このポイントに地球の集合意識がフォーカスを当てているからこそ、コロナウィルスの影響によって、あるいは100年前の世界大戦によって、人類全体としてここのポイントに直面させられているのではないか。

 

この「正しさのフレーム」を各個人が常に壊し、常に作るというプロセスを自らに課していく、ということなしに、人間はこの先に進むことはできないのではないか。

 

そのため、物理面、精神面、霊性面の水準をこのポイントを超えていくというところに設定していくことが必要なのではないか。

 

そのようなことを私はお伝えしたいのです。

 

そのため古の「アブラクサス」のシンボルを用いることで、二元性から一元性へと向かうプロセスを「誰もが歩んでいる」ということを示したかったのです。

 

ヘッセは100年前に同じ問題に直面し、外側の課題としてではなく、自らの心の課題としてとらえました。その点で彼らは「霊的な戦士である」ということができるでしょう。

 

かつては誰かが道を切り開き、その後に皆が続く、という構図があったことでしょう。

 

しかし現代はインターネット全盛期となり、全ての人が個々人のプロセスを丸ごと共有できる、という特異な時代にあります。

 

その2022年の年始のアカシックレコードからのメッセージはこのようにまとめられます。

 

 

 

あなたのなかにある正しさの保護膜を破壊しなさい。

 

新しい世界を見たいなら、あなたがしがみついている古い世界を壊さなければならない。

 

そして進みなさい。

 

そうすれば、宇宙は新しく生まれる。

 

 

 

もちろん私自身をふくめて。

 

 

古代エジプトの宇宙に閉じ込められた人間。それに働きかける存在たち。

 

グノーシス主義によるアブラクサスのシンボル

 

両性具有として描かれるアブラクサス