老子にこんな句があります。
学問をするときには、日ごとに学びが増してゆく
道を行うときには、日ごとにすることを減らしてゆく
減らしたうえに、また減らし
最後は何もしないところへゆきつく
この何もしないことによってこそ、すべてのことがなされる
これまでの世の中の美徳は『学ぶこと―ラーニング―』にありました。
どれだけ知識を持っているか、どれだけ多く外側の体験をしているかということに世の中の重きがあったのです。
たしかに社会や世の中を学ばないことには人生そのものが始まりませんし、多くの知識がある人はより良い仕事を行うことができます。またル-ルを学ばなければ、子どもは命の危険にさらされます。
しかし学ぶことにあまり重きをおきすぎると、知識や社会的価値で人を判断し、裁くようになることがあります。
そしてまた自分自身が何もないからっぽなものだから、知識や理性で自分を埋めなければ自分には価値がないのだというところまで行き着くこともあります。
こうなったら人生はとても苦しいものです。
自分の価値を証明するために学び続け、軽くみられないために相手より上に立たなければなりません。
さて最初にあげた老子の句。
まず『道』とは、知識や体験では図ることのできない、本当の自分の魂へつながる道のこと。
自分自身の内側にある『元々知っている感覚-ノウイング-』につながることです。
『道を行うときには、日ごとに減らしてゆく』と老子は言います。
本当の自分へつながるためには何かを減らす必要があるのだと。
では何を減らすのでしょうか?
それは知識や生き残る術から生まれた『裁き』。
そして自分を証明しようとする『正しくある必要性』です。
知識や生き残る術そのものは何も悪いことはありません。
しかしそこから生まれる裁きと、正しくある必要性が、あなたを魂の感覚から切り離し、あなたの自分自身の『元々知っている感覚-ノウイング-』から遠ざけてしまうものなのです。
『裁き』をするな。『正しくある必要性』を手放せ。それらをすべて手放したときに『自分自身の魂へつながる道』にあなたは入るのだと老子は説いているのです。
『学び』を行うとき。人生は年を重ねるごとに複雑になっていきます。
『道』を行うとき。人生は年を重ねるごとにシンプルになっていきます。
そしてノウイングとは、あなたのもっともシンプルな『魂のよろこび』そのものなのです。
斉藤つうり
≪月間GBJに掲載の記事より≫
2012年 河口湖より撮影