一昨年の春、私は五島列島を旅した。その島々には長崎の外海(そとめ)地方から集団で移住した潜伏キリシタンの集落が点在している。彼らは先住者を避けて島の中でも特に辺鄙な場所に入植するしかなかった。

 

 キリスト教の禁止は、明治維新後も続いた。明治元年のキリシタン弾圧(五島崩れ)では、多数の信者が凄惨な拷問の末に殉教していった。窮屈な六畳の牢に押し込められた百人超の人は立錐の余地もなく、せり上がって足が床に着かず身動きできないまま死んでいったという。こうした弾圧は、諸外国の非難を受けた政府が明治六年キリスト教解禁に踏み切るまで続いた。

 

 巡り歩いた中で印象的だったのは頭(かしら)が島だった。浜に面したなだらかな斜面に十数戸の家々がある。その一番奥の高台に小さな石造りの教会が立っていた。七〇歳前後と思しき地元の女性が案内してくれた。信徒が総出で島の石切り場から石材を運んだ。貧しい中から浄財を出し合って手作りで建てた素朴な教会。心の拠り所だという。

 二年前に教会建設百周年の集まりがあった。各地から昔の住民が駆け付け百人程になったと、その時の集合写真を見せてくれた。高齢者が多かったが、中には孫たちの姿もあった。ここは先祖が命を懸けてやっと築きあげた楽園だから、縁を切ることは出来ないのだという。

これが私の娘です…と写真の中の一人を指さした。「子育てが終わったら戻ってくるかなって、言ってくれるんですよ」と嬉しそうだった。

昭和の中頃には二五〇人を超える住民がいたが、今は十六人しかいない。でも住民の絆は強いんです…と女性は微笑んだ。

 

 旅を終えてからもしばらく頭が島の風景が頭を離れなかった。そして宗教のこと。踏み絵は単なる彫り物にすぎないではないか。転んだふりをして信仰を続けることはできなかったのか。なぜ過酷な拷問に耐えてまで殉教を選択したのか。遠藤周作の「沈黙」を読み返しても答えは見つからなかった。

 

写真は「頭が島教会」と集落