輪島の母娘(続き)
神様も酷いことをなさる。昨年一月一日、輪島を中心に震度七の地震が発生。その復旧に手を付けた矢先の九月下旬に、今度は豪雨災害に見舞われた。
私は地震の一年半前に能登半島を旅し、夜輪島の料理屋で酒を飲んだ。その時カウンターの端に母娘二人がいて、母親から声を掛けられた。私と同い年で翌年は古稀を迎える。二年前に夫を亡くし一人暮らしをしている。寂しいだろうと娘が時々こうして飲みに誘ってくれる…と嬉しそうに話した。
四十代半ばの娘さんは朝市に店を出し、輪島の海産物を東京方面に卸す会社も経営する肝っ玉母さんだ。ずっと二人の安否が気になっていた。
今年三月、TVで横浜のデパートでの「輪島朝市出張販売」のニュースが流れた。神奈川県知事と一緒に客に声を掛けるあの肝っ玉母さんの姿があって驚いた。次回は東京のメーデー会場で出張販売をするという。
四月二十六日、代々木公園の会場で三年半ぶりに私は彼女と再会した。
「朝市通りの家は火災を免れたものの全壊して家財の全てを失った。加工場も地震と水害で大きな損傷を受けた。でも、母も家族も皆無事だった。それが何よりだった。今は金沢で避難生活をしている…」と表情を曇らせた。
「朝市通りの復興は、漸く解体が終わって2030年完成を目途に始まる。それまでは今出来ることを積み重ねていくしかない。輪島朝市のためにも…。だって昔を振り返ってもどうしようもない。だから一歩でも前に進んで行くんです」と明るく話した。
二十二歳になる娘さんが傍にいて、「今は母親の店を手伝い、将来は自分が店を継ぐ」と笑顔で応えた。
少しでも元気づけられたら…と思って駆け付けたけれど、そんな励ましの言葉などは無用だった。彼女達の心意気と笑顔にホッとする思いだった。
夜、彼女から買い求めた「ニシンの糠漬け」で酒を飲みながら、「一歩でも前に…」という逞しい輪島の女性の言葉を噛みしめた。