コロナ禍が始まった時、私たちは実態の分からない疫病に恐怖した。有名人が相次いであっけなく亡くなり、家族が死に立ち会うことも出来なかったという。これからどんな生活になるのか、不安が大きかった。

 私は、毎朝混雑する電車に揺られて通勤していたが、会社は当分出社に及ばずと方針を決めた。在宅勤務ということで、パソコンでのリモート会議や電話やメールでの打ち合わせに代わった。二度目の気楽な勤めの私にとっては、自由な時間が増えて意外と快適な生活になった。同居する末娘の会社も、出社二日在宅三日となった。

 その一方で段々憂鬱な表情になっていったのが家内だ。私も娘も基本は二階の自室にいる。しかし、トイレなどで時々階下に降りて行く。そんな時、家内は何やら自分の普段の生活を覗き見されているようで気になるらしい。昼飯の準備も毎日となると鬱陶しい。洗う食器の量も増えて厄介そうだ。段々と不機嫌な顔をすることが多くなった。

 家内は洗濯することは気にならないようだ。しかし片付けと掃除が苦手だ。私は奇麗好きだから部屋の散らかり様が気になる。見たくないものが目に入る。家内がテレビを見ている時に、つい何気なく「随分散らかってるなぁ」と呟いた。その一言に家内の溜まっていたマグマが爆発した。

 それまで家事など一切しなかった私は、その日から家内の疲れた時に夜の食器洗いをする羽目になった。

 近いうちに私は勤めを辞めて、完全な自由生活に入るつもりだ。末娘はいずれ家から追い出さなくてはならない。そうなれば家内との二人だけの生活が始まる。毎日顔を突き合わせていてはさぞかし気まずいだろう。

 幸いお互い趣味も多い。元気なうちは出来るだけ外に出よう。いずれ付きっきりで一方が相手の介護をしなければならない時も来るだろう。それまでは「つかず離れず」が夫婦円満の秘訣か。

 コロナ禍の間に、私も家内もその時の予行演習をしたと思っている。