「若者の街」「演劇の街」の下北沢には、いつか行ってみたいと思っていた。

去年の夏、その思いが叶って本多劇場で竹下景子の舞台を観てから、あてもなく街を歩いた。線路の地下化で奇麗になった駅とは対照的に、その周辺には昔ながらの小さな店が立ち並ぶ。狭い路地は、お洒落な服装の若者や外国人で賑わっていた。

 

 歩き疲れた頃、モダンなおでん屋を見つけた。コの字型のカウンター席があって、若い女性がその中で忙しそうに働いていた。

「商売繁盛だね…」と声を掛けると、「まだ夕暮れ時。これから忙しくなるんですよ」と微笑んだ。彼女は五年前に高校を卒業して大阪から上京してきた。ピアノと声楽を習っている。将来はコンサートを開けるようになりたいと、羞じらいながらも嬉しそうに夢を語った。

 

暫くすると、一人の青年が出勤してきた。「遅いじゃない。どうしたの?」

彼女からきつい言葉を掛けられていた。

「弟なんです。役者修行中で…」

 背が高くてイケメンだ。NHKの朝ドラ「らんまん」に出演中の志尊淳に似ているね」と声を掛けると、ちょっと不満そうに「三浦春馬に似ているって言われますけど…」と笑った。

二十一歳の彼は姉を頼りに、親の反対を押し切って上京した。今は唐十郎の劇団で修行中だという。

「舞台設営の力仕事が多い。演技も難しくて監督から怒鳴られる。辛いことが多くて…」とこぼす。「姉からは、根性無しっていつも叱られている。でも何時かは存在感のある役者になりたい。だから忍耐の毎日です」と、神妙な顔で語ってくれた。

二人とも目を輝かせて自分の夢を語る。古希を過ぎた私には眩しかった。

 

 帰る時、彼が店の外まで見送ってくれた。「へこたれるなよ…」と励まして握手をしたら、握り返してきた彼の手はとても力強かった。