ブログ開設にあたって |       慈しみに恵まれて~豆々朗師のオモシロ寺社巡り~       

      慈しみに恵まれて~豆々朗師のオモシロ寺社巡り~       

 決して熱心な宗教の信者ではありません。
 ただ寺社で目につく面白い事物をコレクションしてきました。 

ブログ開設にあたって

2012年9月、五十路に踏み出す誕生日を迎えた翌月、突然医師から非情にも食道癌の宣告を受けました。

 

爾来十年、医学技術によって何とか還暦を迎えられましたが、2022年1月、新たに転移した前立腺癌が見つかり全摘出手術を受ける厄災が待ち受けていました。
 

忍び寄る死の影に怯えること十年、子供の頃から蔑んできた神仏であっても、改心して縋りたくなるのは必然の帰結だったのかもしれません。
 

しかし長らく「信心」すべき対象が見つかりませんでした。
 

各宗各派およそ一千を超える寺社を巡りましたが、その過半が守銭奴と慈愛を知らぬ人間ばかりで、尊敬できる宗教者と巡り会えることなど適いませんでした。

 

悶々と過ごす2021年の暮れ、偶然のきっかけから天台宗の元三慈恵大師と巡り会いました。
 

第18代天台座主良源(912年10月15日~985年1月26日)は、延暦寺中興の祖として今も数多くの天台宗寺院で祀られています。

 

朝廷が与えた諡号から慈恵(じえ)大師、旧暦1月3日に亡くなったことから元三(がんざん)大師、そのお姿を象ったものとして角(つの)大師・鬼大師・豆大師として、千年を超えた今も厄除大師として親しまれています。
 

生まれも育ちも比叡山から遠い横浜、そして菩提寺が日蓮宗である私は、初めてその異形なお姿と対面した時、凄絶なインパクトと独創性、宗教らしからぬ自在性にすっかり心を奪われてしまいました。
 

 

          


 

そして「信心」とは、誰かの教えに従うものではなく、愛してやまない存在を自分なりに祈りの対象として奉ずれば良いのだと思い至りました。


「鰯の頭も信心から」
 

有名な俳優や歌手であっても、路傍に落ちている石くれであっても、個々人の価値観に基づいて、生命を託せるまでの「信心」を自分で創り上げれば良いのです。


人間の知性で宇宙の成り立ちまで想定出来る現代、既存宗教或いは新興宗教の集団的世界観は既に説明力を失っているのではないでしょうか?


若者達は地上波と言うマスメディアの大衆操作すら厭い、YouTubeと言う個人嗜好の世界へと移り住んでいるではありませんか?


よって「信心」は、厳格な宗教の教科書から離れて、気ままな「験担ぎ」へと本来の姿を取り戻すべきなのです。


昔、大分県の国東半島を訪ねた際、神仏習合の実態を垣間見て、対象の信憑性はともあれ、「祈る」という行為こそが人間にとって必要なのだと教えられました。


「信心」は従うことではなく、自らが手を合わせて祈ることなのです。
 

こうして還暦に至って元三大師を「信心」すべく決意したわけですが、残念ながら四国八十八ヶ所・西国三十三所・坂東三十三観音のようなルートマップがありません。
 

どこの天台寺院に元三大師の護符があり、御朱印があり、お守りがあるかという確かな情報が整備されていないのが現状です。
 

そこで後世に確かな元三大師像を残すべく、人生をかけて寺社奉拝記録をつくろうと考えた次第です。
 

また、他にも日蓮宗や時宗、絵馬・キリスト看板集めも長いこと趣味としていますので、そちらも紹介して行きたいと思っています。
 

還暦を経て現役を退いた今、郷土史家とは別の視覚から、日本の文化をしっかりと後世に伝えていく責務を己の身に課したいと願っています。
 

逆に言えば、「あのお寺に角大師の護符があります」等、皆様からの情報を期待してのブログ開設となります。
 

是非、いろいろな情報をご提供頂ければ有難く存じます。
 

私的有形文化財維持のため、宜しくご協力のほどお願い申し上げます。