おひさしぶりです。
先月、母が亡くなり、
どことなく気持ちの置き所がなくて、
言語化するのが難しかったのですが、
少しずつ、気持ちが消化できてきたので、
書いておこうと思います。
2021年の始めごろに倒れて以来、
療養型の病院に入院していた母が、
先月、ひっそりと息を引き取りました。
看護師さんの巡回の合間だったようで、
最期を看取ることはできませんでした。
夕食後に病院から連絡、
急いで父と一緒に病院へ。
そこからはもう、驚くような速さでことが進み、
その日のうちに、葬儀屋さんがいらして
母は葬儀屋さんに移送され、
そのまま安置されました。
病院の職員さんや葬儀屋さんといった
「人の死に立ち会うこと」を仕事とされている方の
お仕事を初めて間近で拝見したのですが、
手際が良すぎて、驚きました。
泣いたりうろたえたりしている暇はありませんでした。
翌日は葬儀屋にて打合せでした。
これが、とても良かったんです。
母は金曜日に亡くなったので、
翌日土曜日は、子どもも孫もみんな都合がついて、
母の葬儀について、みんなでワイワイと相談して、
「遺影どうする?」「祭壇の花の色どうする?」
とってもにぎやかでした。
眠っている母にも聞こえていたらいいなと思いました。
葬儀は1週間後に決まったので、
その間に諸々の準備を進めながらも、
仕事は普通にあるので、していました。
葬儀は家族と孫だけで行うことになり、
お坊さんも呼ばなかったので、
本当に身内だけの「お別れ会」となりました。
つんくんも含め、全員が母への手紙を読んで、
私は思いがけず、たくさん泣いちゃって、
棺には母の愛用品や日記を入れました。
暖かい、いいお式だったと思います。
私もあんな感じで見送られたいと思うお式でした。
火葬場でお骨を拾うのも初めての経験でした。
母が骨になってしまったことは悲しかったけれど、
この目で見て、お骨を拾ったことで、
あぁ、母はほんとうにもういないんだなぁ…と
実感をすることができたのは良かったです。
母が倒れてから5年あまり、
たまに面会に行くくらいしかできることがなくて
複雑な気持ちを抱えていました。
私たちが未熟者で受入れに時間がかかるから
母は頑張って生きていてくれたんだと思う。
ほんとうにお疲れさまでした。
きちんとお別れをして見送ることができて、
気持ちに一区切りついたような気がしています。
そうなってみると、
生前の母との思い出や言葉が思い出されて
時々涙が出そうになったりもしますが、
きっと時間とともに、
感情も変化していくものと思います。
時々ちゃんと思い出しながら生きるので、
母には私の中で生きててもらおうと思います。
つんくんはおばあちゃんが大好きだったので、
どんな反応をするか、予測できなかったのですが、
なんと言ったらいいのか…
とてもフラットに受け止めていたように思います。
納棺の儀に同席させたのですが、
母の亡骸を近くでまじまじと見ていて、
なんだか久しぶりに会えて嬉しそうにも見えました。
お式の間は、自分の好きな場所に座り、
音楽がかかると、合わせて指揮をしたり、
ささやくような声でお手紙を読んだり、
つんくんなりのやり方でお別れをしていました。
火葬後は、母の遺影を大事そうに持って帰り、
遺影に向かって可愛い顔とポーズをしていました。
それを見たときが一番グッと来ました。
つんくんは大好きだったおばあちゃんに
純粋に、再会とお別れをしていました。
今もときどき「おばあちゃん」と言葉に出しています。
そんなつんくんのことが、
私は一層好きだなぁと思えました。
つんくんの診断が出た時、
ただ一人、近くにいてくれて
「みんなで一緒に育てよう」
「きっと何かができる子になるよ」
と言ってくれました。
つんくんの成長も近くでずっと見てくれて、
「可愛くて、ダウン症だって忘れちゃう」
と言っていた母。
たくさんの心配をかけちゃったけど、
つんくんが与えられたものもきっとあったと思う。
つんくんと、
相思相愛で仲良くしてくれてありがとう。
ほんとに、ありがとうしかない。
親が亡くなるという、
非現実なことが起きても、
現実の日常は変わらず、明日は絶対に来る。
こなすべき日常があることは、
救いにもなります。
身近な人の「死」というものを経験したことのない私に
母は身をもって、確実に貴重な経験をさせてくれた。
そうも思えるようになってきています。
「ちゃんと」生きる人だった母。
私も、私なりにちゃんと生きるよ。
見ててね。