たかじん委員会で先月、お亡くなりになられた政治評論家の三宅久之さんの追悼特集をやっていた。

各名場面集や出演者からのメッセージなどが流れたが、思わず目頭が熱くなるシーンが多かった。


三宅さんの死は私にとっても大きな出来事だった。

一度もお会いしたことはないのに、どこか親戚のおじいさんのような親しみを感じていた。


テレビで拝見するようになったのは、十年前くらいだろうか。

番組を通して拝聴する三宅さんの意見に同感すること多く、またいつも勉強になっていた。


いつか、お会いしたいと思っていた。

今の仕事を始めて、講演会に三宅さんをお招きすることも計画していた。

その矢先、評論家を御引退され、講演活動もお辞めになるとの報。

でもいつか・・・と願っていたら、三宅さんは泉下に旅立たれてしまった。


三宅さんは政治評論家として当代一流の人物だったのみならず戦後日本政治の生き証人でもあった。

三宅さんが逝かれたことは歴史の証言者の消失でもある。

まことに残念という外ない。


三宅さんは私の目標でもあった。


「嫁入り前の女子が天下の公道をヘソを出して歩くとは何事だ!」


こういう怒鳴り声が今も耳から離れない。

将来、こういう頑固爺いになりたいと思っていたし、いまも思っている。


しかし、三宅さんはただの頑固爺いでなく、その怒りの裏に優しさと愛情があった。

三宅さんが多くの方々慕われていたのは、三宅さんのこういう人柄に惹かれてのことだろう。

一度も会ったことのない人間でさえ魅了するのだから、いわんや身近にいた人は。


三宅さんの御意志を受け継ぎ、日本を良くするために、自分なりにではあるが、奮励努力したいと思う。


三宅さん、どうぞゆっくりお休みください。