クレヨンしんちゃん 遺体は作者の臼井さんと確認

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090920-00000016-maip-soci



この喪失感は一体なんだろう。
数日前から臼井先生が行方不明になったとの報道があり、一刻も早く発見される事を祈っていた。
ところが昨日、先生が遭難しているという山で男性の遺体が発見されたと伝えられ、まさか、そんなはずは・・・と一縷の望みをかけていたが、先ほど、遺体が臼井先生御本人と確認されたという。


思い返せば、私がはじめて漫画に触れたのは小学一年の頃だった。
はじめて読んだのは『ドラえもん』の一巻と『ちびまるこちゃん』の一、二巻だった。
これは親が買い与えてくれたものだ。
どちらも貪るように読んだ。
生まれて初めて漫画の楽しさに触れた瞬間だった。


それから一年後、私が小学二年生になった四月からアニメ『クレヨンしんちゃん』が放送されはじめた。
私が毎週楽しそうに見ていたからだろうか、あるとき親から『クレヨンしんちゃん』の一、二、三巻を手渡された。
漫画の方の『クレヨンしんちゃん』はそれまで触れた漫画とは少し違う趣があった。
それもそのはず、『クレヨンしんちゃん』は週刊漫画アクションに連載されており、どちらかというと大人向けの漫画だった。(特に初期のものは大人向けのセリフやシーンが多い)
それまでのドラえもんのような児童・少年向け漫画との違いに戸惑いつつも、面白く何度も何度も読み返した。
いまでもボロボロになったクレしんの一~三巻が本棚の奥に眠っている。
カヴァーが無くなっているのはいかにも小学校低学年が読んだあとという感じがする。


ともあれ、その時から私としんちゃんの附き合いが始まった。
アニメは毎週必ず見たし、単行本も買い揃えた。
中学生くらいまでは欠かさず見ていたように思う。
もちろん、それ以降も機会があれば見た。

年を追うごとにしんちゃんは人気者になり、作風もファミリー向けになっていった。
ひまわりという妹も出来てしんちゃんは以前に比べ随分とお兄ちゃんらしくもなった。


クレヨンしんちゃんといえば、忘れてはならないのが劇場版のクオリティの高さだ。
いま、実写映画化されている『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』もいいが、私はなにより『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』を推したい。
私はお勧めのアニメ映画は?と訊かれると『ルパン三世カリオストロの城』と並べてこの『オトナ帝国の逆襲』を必ず挙げるようにしている。
これを見たのは高校二年の頃だったと思うが、誇張ではなく涙がぼろぼろと溢れ出た。
私だけでなく、有名なヒロシのあの回想シーンは誰しもが涙するシーンではないだろうか。
あの映画は『クレヨンしんちゃん』という作品自体のこれまでの評価を大きく向上させるほどの良作だった。
先に初期のしんちゃんは大人向けだったと書いたが、この映画はそれとは違った意味で大人向けだった。
おそらく、子供よりも大人の方が涙を流すだろう。
未見の方は今すぐレンタルデオ屋に走っても損は無い。


しんちゃんはその人気と比例して批判の渦中に晒されることも珍しくなかった。
批判の曰く、お尻を出したりして下品だ、親をみさえと呼び捨てしている・・・云々。
しかし、しんちゃんは本当に下品だろうか。
落語家の立川志らくさんはBSアニメ夜話で「しんちゃんって上品だから、下品な奴が下ネタやったやこれ(手で×をつくる)だけども、上品な子が下ネタやっても全然。これをやらしいと受け取る親の方がよっぽどいやらしい」と評していたがまさにその通りだ。
妙な言い方だが、しんちゃんほど下品なことを上品にやってくれる子はいない。
親を呼び捨てにするのも今ではあまりやらないし、やってもみさえはその都度きちんと叱っている。
それに、決して「馬鹿!」なんて云わない。
怒った時の言葉はきまって「お馬鹿!」だ。
馬鹿に「お」をつけるこの上品さがいい。

なにより、この親子の間には信頼関係がある。
しんちゃんを批判する親たちは子供をきちんと叱れているだろうか、そして信頼関係は。
いま、野原家をみても解るようにこの家庭は本当に温かい。
家庭崩壊が叫ばれる昨今において、野原家は我々に忘れてはならない何かを教えてくれる。


私は小学生から高校までの最も多感な時期を黄金の90年代文化と共に過ごしてきた。
クレヨンしんちゃんはその90年代文化の一翼を担った作品だ。
だから、アニメ『クレヨンしんちゃん』のオープニング曲やエンディング曲を聴くとその時々の情景や雰囲気をありありと思い出す。
あ、この曲は小六の頃で・・・とか、この曲は夏で盆踊りで踊ったとか。
私の成長期はしんちゃんと共にあったと云っても決して言い過ぎではない。


そんな、しんちゃんの産みの親が臼井儀人先生だった。
ウスイヨシトと読むのかと意識したのはいつ頃だったろうか。
子供心に随分、難しい名前だと思った。
臼井先生は「漫画家は子供に夢を与えるものだから」とお顔を公表されていなかった。
昨今の出たがりの漫画家と違って裏方に徹しておられた。
だから、クレヨンしんちゃんを読むよき、観るときに作者を意識したことはほとんど無い。
このたびの行方不明報道から訃報を聴いてはじめて作者を意識したという方も多いのではないか。


私はここまで文を書いてきて、少し泣きそうになっている。
締めの言葉も思いつかないでいる。
ただ、しんちゃんに哀しみの涙は似合わない。
きっとこれからも野原一家は何事もなかったようにお馬鹿で温かい日常を我々にみせてくれるだろう。
いまはただ、臼井先生にお礼の言葉を申し上げたい。


本当にありがとうございました。