昨日の記事 に対して改めてtoraさん より質問を頂きました。
Q. 心身共に中庸を保つことは、結構大変だと思うのですが、その点具体的にどうなさっているのでしょうか?
A. 「いまここに寛いでいる」
実際には、脱力と呼吸にフォーカスしています。
無邪気、無心にて候。
一年前までスピリチュアルも瞑想もアセンションも縁遠いところにいました。
「中庸」は体験から体得したところが私の強みかもしれません。
無限の力に対する絶対的な信頼感、そして感謝…
そこに行き着いたとき、コップの水は、常に溢れ出しました。
モチロン揺れる時もあります。そんな時は~思考しない。感じる。囚われない。
あれこれとこねればこねる程、粘りが出てしまうので、ほっとく…![]()
自分の判断基準はそれが「愛からきているのか」、「他から来ているのか」です。
どういう自分でいるかというだけに集中します。
そうだ![]()
具体的にでしたね…
難しいことを書いていますが、やっていることはシンプル
空を見る
風を感じる
香りを身に纏う
歩く
泳ぐ
音楽を聴く
自然と触れあう
洗濯
掃除
料理
読書
セルフコンディショニング…次回のセッションはtoraさんにこれをお伝えします。
眠る
ボーッとする
お風呂に入る
・・・∞
何でも良くて、「本来の姿に還る」だけです。
どこでだって、何してたって「そうあるだけ」なのです。
セッションの際には、
「ひと呼吸」にて中庸(ゼロ)に入ります。
私にあるのは慈悲のみにて…
Non
追記:
天河神社で鏡の前に坐った瞬間、
瞑想状態に入り、周りの山々の静けさと共に
天川村を見ていたなんて経験した方いらっしゃいますか?
不思議な感覚でした。