こんにちは、ふじおです。
今回ご紹介するのは、フジテレビ系列で放送のドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」の第10話(9/15放送)について感想を書きます。
(以下、ネタバレがあります。まだ見ていない人はご注意ください。)
このドラマは、高校に赴任した学校嫌いのスクールロイヤーと生徒と教員を描いた話です。
スクールロイヤーの白鳥は、天文部の顧問も兼務していました。
しかし容疑者として警察に拘束された天文部の部員を弁護する(付添人になる)ため、白鳥はスクールロイヤーを辞める決心をしました。
白鳥は、天文部の生徒の前で語り出します。
※白鳥は独特なオノマトペを使うので適当にスルーして下さい。
皆さん、気付いているかもしれませんが、この世の仕組みはきちんとしてそうで、案外すかんすかんです。政治も多くのシステムもその場しのぎで出来上がったものばかりだし、大人も大人っぽいフリをしていなきゃいけないだけで、完璧には程遠い。僕が頼ってきた法律も学校の校則もよく見れば穴がポコポコとある。僕はそんな中、基本的には耳を塞いで、できるだけ安全に生きようとしてきました。逃げていた。でも今初めて、幸いの道が見えているのに、なぜ黙っていられるのか、という気になっています。
部員に本題を促された白鳥は、告白します。
この高校、スクールロイヤーを辞めると。
そして自分は、実は高校には一度も通ったことがないと。
本当に逃げていた。それで良かったとも思っています。でもそんな僕が今、戦いたい、逃げたくないと思うようになったのは、皆さんに出会えたからです。皆さんと出会えて、たくさん話をして、そんな高校生活も友達も、知らなかった僕は、僕にとっては、皆さんはまるで、初めてできたクラスメートみたいでした。嬉しかった。ありがとう、皆さん。みんなこの数ヶ月間、弁護士としても、顧問としても未熟な僕と一緒に歩んでくれて、どうもありがとう。悲しまないで下さい。どこにいても、星は変わらずそこにあるし、僕も必ずその星を見ていますから。
<親である皆さんへ>
このドラマを見て私は、親達に言いたい。
私達親は、自分達が歩んできた道を子ども達にも、同じように歩ませようとしてしまう。だって自分が知っている道だから。
学校という場所も、その場しのぎのすかんすかんな所。
多様性が言われる今、子ども達に、既存の学校という場所に無理やり当てはめようとすること自体、もはや破綻しているのかもしれない。
<学校に行けない皆さんへ>
私は、今学校に行けていない子ども達に言いたい。
大人になる道のりは、人それぞれ。三者三様。十人十色。
学校に行く道だけが全てではない。
一方で、小中高校、大学と進んできた者として言いたい。
学校は楽しい場所だったと。
もちろん様々な学術的な知識を学べることは当たり前だけど(当時は何のために学ぶのか解らないまま学んでいた)、何より様々な人との出会いや交流がステキな化学変化を起こし、自分の肥やしになっていく。
学校生活では楽しいことばかりではなく、辛いことや嫌なこと、逃げ出したい場面も当然ある。
でも、それ以上に人と触れ合う楽しさがあることを知ってほしい。
そして、自分でない他の人のために何かしたいと思えるような感情が生まれる。
これはリアル(対面)でないと、なかなか生まれない感情ではないか。
自分でない他の人のために何かしたいと思えるようになることが大人になるということのような気がする。
もう一度、過去の自分と今の自分と未来の自分と向かい合って下さい。
そして自分はどんな道を進んでいきたいのか、先入観にとらわれず、家族で話し合ってみて下さい。
自分で自分のことを決めつけてはいけません。変わることを恐れてはいけません。
校門の中に一歩踏み入れる勇気を期待しています。