こんにちは、ふじおです。
今回は原田マハのアート短編集『常設展示室』(新潮文庫)の中の「群青」をご紹介します。
原田マハは、学芸員の資格を持つ小説家で、私も読んだ、アンリ・ルソーを取り上げた『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞を受賞しました。
ニューヨーク近代美術館にも勤務経験があり、著名な絵画作品や画家を取り扱ったアート小説に定評があります。
小説家の原田宗典は実兄で、大学進学まで岡山市内で過ごしていました。
そんな原田マハが贈る本作は、実在する6枚の絵画に会える美術館の常設展示で、運命に悩む主人公と絵画が紡ぐ不思議な物語。
「群青」は、6編の最初を飾る小編です。(以下、ネタバレです。)
主人公の美青(みさお)は、ニューヨークのメトロポリタン美術館学芸員。就職の難しい学芸員の世界で苦労して現在の職に就きます。
美青の所属する教育部門で企画した教育プログラムとワークショップは「知的障害を持つ子供たちや、聴覚障害を持つ子供たちなど、それぞれの障害の内容を考慮しながら、当館の担当キュレーター(学芸員)がコレクションを解説する、というもの」でした。
準備を進めている最中、美青は目に違和感を覚えます。
受診するために訪れた眼科の待合室で、1組の母娘の隣に座ります。
女の子は分厚い眼鏡を密着させるほど食い入るように美術絵本を見ています。
明らかに弱視の子でした。
美青が母親に声をかけると、先天性の視覚障害で、年々視力が弱まっていると言います。
美青は自分の名刺を差し出し、現在企画しているワークショップがあることを紹介し、「美術館は、どんな人にも開かれた場所です。お嬢さんにだって、一流のコレクションを見る権利はあるんですよ。」と、母娘で参加することを勧めます。
しかし母親は、「娘は、見えているんです。見えてないわけじゃありません」と言い、美青の名刺を突き返します。
良かれと思ってした言動が、当事者やその家族には傷付けてしまうことになってしまう。そういった難しい、デリケートな部分を孕んでします。
母親は、見知らぬ人に娘の弱視を告げるまでの障害は受け入れていても、障害児扱いされることは受け入れていなかったのかもしれません。
障害をどこまで受け入れているかは、当事者によって様々です。
上から目線でアドバイスしたり、無闇に頑張れと励ましたりすることは、返って悲哀や反感を持たせてしまいます。
障害者に向き合う時、当事者の声に耳を傾け、そっと共感する気持ちが大切です。
母親とのやり取りの直後、診察室から美青は呼ばれます。
結果は、進行性の緑内障でした。
緑内障は、進行とともに視野が狭くなり、最終的に失明する難病です。
手術で進行は遅延させることはできても、完治することはありません。
美術館学芸員にとっては致命的です。
美青は美術館を辞め、手術に専念する決心をします。そしてこの美術館での最後の仕事にただならぬ思いをもって臨むのでした。
ワークショップの準備中、美青はワークショップのタイトルが当初「ピカソと学ぼう--障害を持つ子供たちのためのワークショップ」だったのに異議を唱え、「ピカソになろう--子供たちのためのワークショップ」に変えることを主張するのです。
そこには、「障害を持つ子供たち」と区別するのではなく、「障害があるなしで分けずに、一緒に参加すればいい」、「すべての子供に向けたワークショップにすればいい」という思いの現れでした。そしてタイトル変更という難しい調整に責任をもってやり遂げることを上司に誓うのでした。
子どもを障害の有無で区別しない、まさにインクルーシブ教育に通じる考え方です。
美青は、緑内障を患ったことで、インクルーシブな視点に気が付いたのでした。
ワークショップ当日、美青は眼科で会った母娘を見付け、参加してくれたことにお礼を言います。
その女の子を抱いて美青は、ピカソの青い時代に描かれた「盲人の食事」を60cmという近さで見詰めるのでした。
ちょうどその姿は、美術絵画が大好きだった少女時代の美青と女の子が「同じリズムで呼吸してい」るようでした。
インクルーシブな視点を身に付けた美青は、純粋にアートが好きという女の子と同じ目線でピカソの作品に対峙するのです。
障害に限らず、何事も当事者目線で眺めてみると、意外と解決の糸口が見付かるのかもしれませんね