こんにちは、ふじおです。

報告が前後しましたが、11月27日(水)さん太ホールで開かれた第7回慈愛と福祉の先駆者たち「地域共生社会を夢見た人々」に参加してきました。

岡山で老人ホームの嚆矢となる岡山養老院を開いた田渕藤太郎と藤太郎夭折後、事業を引き継いた妻はつの話題。

もう一つは、世界で初めて点字ブロックを開発した三宅精一と公私ともに彼を支えた盟友岩橋英行の話題でした。

私は岡山で点字ブロックが開発され、学校盲学校近くに初めて設置されたという話は知っていたので、もっと詳しく知りたいと思い参加しました。

点字ブロックは倉敷市出身の三宅精一によって生み出されました。

精一は岡山で旅館業を営みながらアマチュア発明家として周囲には知られていました。

一方、岩橋英行は大阪出身で、ライトハウスを創業した父武夫の業績にプレッシャーを感じながら、急死した武夫の跡を継いで、ライトハウスの理事長に就任します。

そうした二人が当時日本で珍しかった犬セントバーナード犬が縁で出会い、意気投合して盲人の交通安全に関心を深めていきます。

皮肉にも、英行はその頃から網膜色素変性症に罹り、次第に視力が衰えていきます(その後全盲になってしまいます)。

精一は末弟と共に点字ブロックの開発に試行錯誤の末成功しました。成功の陰には、発明家としての精一の経験が大いに役立ったと思われます。

その完成を誰よりも喜んだのは、英行でしょう。

完成した点字ブロックを設置すべくいろいろと奔走し、1967(昭和42)年、岡山盲学校付近の旧国道2号線に世界で初めて設置されました。

最初はなかなか設置されませんでしたが、次第に広がりを見せ、日本全国へと普及していき、国外にも設置されるようになったのです。

この点字ブロックの開発には精一や英行らの見返りを決して要求しない無私の精神によって成し遂げられたのです。

私はこの話を聴き、大変感激すると伴に、こういった偉大な先人が岡山県人であることに誇りを覚え、心が奮えました。笑い泣き

とても精一や英行の業績に遠く及びませんが、私もつな館の活動を通じて難聴児子育て支援を続けていく勇気をもらいました筋肉

福祉の歴史が古い岡山県が障害者にとって安心で安全な住み良い県といわれるようになることを願ってやみません。

つな館の活動もそうしたまちづくりの一助になるよう頑張ってまいりますグッ