さっきYahoo!ニュースで見たんですが、本州のほうはとても暑いみたいですね。


北海道はもう完全に夏が終わったという感じで寒いくらいですゲロー




今日は久しぶりの更新ですが、ジャッジについて書きたいと思います。



ジャッジ、否定、批判について。



目醒めの道の最後の登竜門となっているのが、ジャッジ、否定、批判の手放しと言われています。



ここを完全に手放すのは言うほど簡単なことではないと思っています。



ちょっと手放すとかは出来るんです。


手放していくと生きやすくなって良い感じなんですが、ある所で手放すのを止めてしまうのです。



コンフォートゾーンみたいな居心地の良いところに落ち着いて、そこから結局ジャッジをし続けてしまうみたいな



完全に手放すというのはなかなか難しいですね。




私自身、否定批判ジャッジが完全になくなったわけではなく、今も手放し続けている最中です。



だけど、かなり少なくなってきている事は確かで、否定、批判、ジャッジを口にする事はなくなり、そして心の中で密かに何かを否定、批判、ジャッジをすることもかなり少なくなってきていると感じています。




私の場合、否定批判ジャッジを口にする事はなくても、心の中でしてしまうというところから、なかなか抜けられずにいました。



特に否定批判、ジャッジする人を見た時に、自分の心の中に嫌悪感が湧き上がってくるという事がよくあったんですが、ここから抜けない限り先に進むことは出来ません。



否定批判している人を見て、その人を否定批判したら、結局相手と同じことしてるじゃんっていう話なのです。



コツコツ統合し続けた甲斐あって、6月くらいに大きい否定批判の周波数が外れた体感があり、そこから変わりました。



否定批判ジャッジを手放していく方法はいくつかあると思うのですが、私が実践していることを何回かに分けて書いていこうと思います。



その前に、否定批判ジャッジについて、ちょっとしたまとめ。



宇宙人宇宙人宇宙人



否定、批判は、



正義という名のものさしを使っている



「私は正しい。相手は間違っている」という一元的なものの見方



「私の正しさを相手に、または誰かに認めてほしい」というコントロール



相手を下にして自分を上に置き、優越感を感じたい



日頃抑圧している感情を、とにかく誰かにぶつけたい



これらが絡み合って起こります。







ジャッジは、


物事に対し、批判や見下しを含んだ意味付けをすること


です。



ジャッジと好き嫌いは違うものですが、批判や見下しがなければ、それはジャッジではなく好き嫌いだと私は思っています。



ジャッジをやめるには、否定批判を手放すと同時に、物事に対する全ての意味付けをやめる事がポイントです。





宇宙人宇宙人宇宙人




否定批判ジャッジをやめる方法1



物事に対する否定・批判を口にするのをキッパリ全部やめる




どうせ頑張っても心の中で否定批判をやるわけですから、せめて言葉にするのだけは完全にやめると決めます。



口にしない、文章にしないと決める。



特に女性は誰かと共感したいという性質がありますが、誰かと一緒になって何かを否定批判している限り、そこから抜けることはないどころか、一緒になって否定批判をする事でエネルギーが共振し、ますます強化されます。



否定批判を口にする人とは距離を置くという事も、場合によっては必要かもしれません。



全部やめる、と書きましたが、本当に全部やめるんです。



誰かが不倫したとかいうレベルの出来事に対しては、ジャッジや批判はしないという人は比較的多いかもしれません。



では以下の場合はどうでしょうか。



我が子を虐待の上死なせてしまった母親

連続通り魔殺人

強姦殺人



これに対し否定批判の感情が出ないという人は少ないでしょう。



世の中では目も覆いたくなるような悲惨な事件や犯罪が起こっています。



だけど、こんな誰もが悪だと思う、人として最低だと思う事ですら、否定批判をやめていくのです。



どんなに誰かや何かを否定批判したくなったとしても、それを繰り返していると結局は何も変わらないということです。



一番大切なのは意識を変えること。



なぜなら私たちの体験する現実というのは私たち一人ひとりの意識が作り出しているからです。



ひとりひとりの意識が変わらない限り、悲惨な出来事はシチュエーションを変えて起こり続けます。



ここまでは否定批判しないけど、ここからは批判するよ、だって人として当然じゃない?みたいに線引きをしていると、結局は否定批判からは抜けられないのです。


だから必要なのは、否定批判を終わらせるんだという覚悟、そして自分の中の感情の揺れをひたすら浄化していく事です。



そのためには、自分の握っている「正義というものさし」を手放していく必要があります。





ちょっと話飛びますが、実は言葉で否定批判していても、その言葉の下にあるものが愛である場合はまた話が違うと思っています。



結局全ては周波数なので、どんな言葉を発するかよりも、その言葉の下にある周波数が何なのかの方が重要です。



だけど、これはかなり上級者編だと思うので…やっぱりシンプルに全ての否定批判をやめていくというのが良いかと思います。



長くなったので、続きはまた今度書きます。




私はまだ遊んでいますちゅー

写真は洞爺湖の船上花火キラキラ