ほぼ日というのは

コピーライターの糸井重里さんがやっていらっしゃる

ネット上の新聞?みたいなコンテンツですが

現在では、物販をやったり、いろんな活動が行われています。

 

私は昔から、この「ほぼ日」の読者でして

時々、面白い対談があったりするとのぞいています。

 

糸井重里さんと樋口可南子さんのご夫婦には

お子様がいらっしゃらないのですが

それもあって、糸井さんが

「自分が入る老人ホームを作りたい。

自分が思う通りに作って

それを話すと、周りもみんな入りたいっていう」みたいなことを

おっしゃっていたことがあって

 

おひとり様の私としては

「互いに助け合いながら、気の合う仲間が集まるっていいな〜」なんて

思っていたわけです。

 

もちろん、それぞれの家庭の事情があったり

自分の両親が亡くなる時期もバラバラだったり

いきなりパートナーがいなくなってしまうこともあったり

あるいはパートナーができちゃうこともあったり・・・で

 

私たちの人生は計画通りにはいかないわけで、

若い時に「こんなふうに住めたらいいね」なんていってたことが

結果的には、全然うまく行かないっていうのが

ほとんどだと思います。

 

でも、「自分が入りたい老人ホームを自分で作る」っていう発想が

とても楽しくて、積極的で、

当時の自分としては「いいなー」って思ってしまったんですよね。

 

まあ、それもこれも

糸井さんみたいに、面白いことをしている人が周りにたくさんいて、

しかも、若い人たちとの交流がいっぱいあればこそ・・・だと思いますが・・

 

結果的にはそういう仕事をしている人は

老人ホームなんかなくても

自宅で十分面白おかしく人生を追われたりするのかもしれません。笑

 

まあ、何はともあれ、

老いについてのコンテンツを読むのは

私にとっては終活の一部なので

このシリーズを楽しみに読んでいます。

 

 

この「老いと死」シリーズの最初は、養老先生と糸井さんの対談。

これはこれで面白かったですが。。。

終活という意味でいうと、

養老先生はちょっと違う領域にいらっしゃるような・・・笑

 

 

個人的に、いろいろと考えさせられたのは

西先生と写真家の幡野さんの対談でした!

全部で11話あるんですけど、

ご興味のある方は、ぜひ!

 
タイトルにある「誰のための医療なのかな」っていうのが
すごくいいですよね。
これこそ、問われるべきことだと思います。
特に、終末期(最近は、人生の最終段階っていう言葉が使われるらしいですが)においては
「誰のため?」っていうのが、キーワードになると思います。
 
本人がどれだけ延命を望んでいなくても
それを家族にきちんと周知していないと
とんでもない未来になってしまうからです。

 

今回の対談でも、この件が随分と語られていて
特に全ての人に
「終末期指導をすべき」という意見は
本当に素晴らしいなと思いました。
 
誰もが必ず死ぬというのに
死ぬための準備や心構えを教えてくれるところが
全くないわけです。
 
防災訓練と同じぐらい、やらなければいけないことのような気がするんですよね・・・
 
特に、延命方法が発達してしまったため
「どんな状態であっても、とりあえず生かす」ことができてしまう場合があり、
これが本人にとっても、家族にとっても
幸せでない事例も増えてきているわけです。
 
今回の対談で、気になった部分をいくつか箇条書きで・・・。
 

 

 

1)延命をするとどういう可能性があるのかを、きちっと教育する必要性

 

 

 

 
3「ああよかったね」ってなるんですか?
という3つ目の記事ですが
延命をして、万が一生き延びた時に
どんな可能性があるのか
そして、それがその人の生き方の哲学と合っているのかっていうのを
ちゃんと学ぶ場が増えて欲しいです。
私自身も、延命処置の問題を痛いほど理解しており
「家族には延命治療はしたくない」って思っていたのに
いざ、その場になったら、
思いもかけない方法で、
お医者さんから揺さぶりをかけられてしまい、
反対意見が言えませんでした。
 
本人がどれだけ考えていたとしても
何も考えてなくて、教育も受けていない家族の意向で、
簡単に延命措置が行われてしまうからです。
 
どういう行為が延命処置になるのか、どんな種類があるのか
その処置は、どういう時に勝手に行われてしまうのか・・・ということを
きちんと学んでおかないと
「思っていたのと違う!」という自体に陥ってしまいます。
 
家族で常に話し合っておくことが何よりも重要ですが
そういうきっかけになるような
番組だったり、映画だったり、授業だったり
啓蒙活動があるといいな・・・と思います。
なんだったら、小学校から教えたっていいぐらいでは???
 

 

2)運に左右される要素を極力排する

 

 
第5話のところで「医療のシステム」と「環境のシステム」について
触れられていて、そこで結局は運次第だから、運に左右される要素を極力排除することが必要・・・と言っていて
これも納得でした。

 

 
はっきり言って、運と言ってしまえば、全部は運なんですよね。
どんな家族や親戚に囲まれているのか、どんな友人がいるのか
そもそもどんな病気になっているのか、
どんな痛みがあるのか、
そして、どんな医者と出会い、どんな病院で治療を受けるのか・・・
全ては、運としか言いようがないわけですけど
でも、そういった運の要素を排除するには、
自分がどんな医療を受けたいか、どんな人生を歩みたいか
どんな最期を迎えたいかをしっかりと考えて
尚且つ、それに賛同するような病院とか医師を
探しておくしかないですよね。
 
あとは、自分の考えと合わない親戚とは縁を切っておくこと。
まさにその通りだなと思いました。
 
 

 

AIが答えを出してくれる世界観

 

 

第8話の中で出てきた、AIが自分の代わりに答えを出してくれる仕組みって

すっごくいいなって思いました。

 
ずっとその人の哲学とか生き方とかを学習してきたAIであれば
「こういう場面で、延命処置をするべきかどうか」みたいなことに対して
客観的に回答を出してくれるわけで、
何の準備もない家族が、急に医者に聞かれて
「とりあえず、延命してください」っていうよりも
よっぽど本人の意思に沿った要望になると思うのです。
 
しかもAIだから、
誰かが「僕の判断で延命治療をやめさせた」みたいに
責任を追う必要がないわけです。
 
この対談でも出てきましたし
私も経験したことですが
やっぱり、「いいえ、延命しなくていいです」って
医者や他の家族の前で言うのは、本当に勇気がいることなんです。
 
そう言う決定をして、その責任を負うって
かなりの決意がないとできないことだと思うのです。
 
だから、ほとんどの人は、延命が本人のためにはならないかも・・・と思っても
自分でその決断を下す勇気がなくて
とりあえず延命・・って言ってしまうわけですよね。
そして、誰のためにもならない延命が行われてしまう・・・
 
それを考えると
一人一台、終末期用のAIを準備しておくといいのかも・・なんて
思ってしまいました。
そして、そのAIの決定が本人の意思であるっていうなんらかの取り決めができれば
医者も家族も「延命しないほうがいいんじゃないですか」って言う必要がなくなって
「本人のAIが言っていることですから、望む通りにしてあげましょう」って
ニュートラルに処置ができるような気がします。
 
誰も責任を取りたくない日本人社会には
とても素晴らしい解決策のような気がしました!
 
今はまだ、そんな法律もないけれど
いつかは整備されるかもしれないから
AIをしっかり育てておくことは
大切かもな・・・なんて思ってしまいました。
 
これ以外にも色々と感想はあるのですけれど
終活をする上で、大変示唆に富んだ対談でしたので
ご興味のある方はぜひ読んでみてください!