最近、新刊「やはり死ぬのはがんでよかった」を出版された

中村仁一さん。

 

 

 

私がこの方を知ったのは

「患者よ、がんと闘うな」で有名な

近藤誠さんとの対談本で、

 

「どうせ死ぬならがんがいい」

 

を読んだ時でした。

もう10年ぐらい前の話です。

 

 

 

そして、

中村さんの「看取り」経験を読ませていただいて

「自然死」に興味が湧き、

 

すぐに

「大往生したけりゃ医療と関わるなー自然死のすすめ」

という、もう一冊の本を読みました。

 

 

 

この本に書かれていたことは

本当に衝撃的でした。

 

人間の体は、終わりを悟ると、

自然と物を食べなくなり、

枯れるように亡くなると言うのです。

 

でも病院で最期を迎えるとなると、

「何もしない」とか「放置」はできないので

 

その体に点滴したり、栄養剤を入れたりして

枯れた植物に肥料を与えるような

無理矢理なことをしてしまう・・・

 

中村さんによれば

自然死というのは、飢餓と脱水ということです。

 

しかも、死は自然の営みだから、

過酷なことではないというのです。

 

なんと、その状態になると、

脳内モルヒネが出るため、苦痛がなくなるというのです。

そして、それが老衰死の特権であると・・・。

 

だから、命の火が消えかかっている状態で

胃瘻をやったり、点滴したり・・・というのは

ある意味、「拷問に近い」というのです。

 

もちろん、それによって劇的な回復や

QOLが期待できるのであれば

それもありでしょうが、

ただベッドに寝たきりの状態を

延長させるだけなのであれば

それは酷なことだと・・・

 

そして、中村氏が書いている言葉に

衝撃を受けました。

 

「残される人間が、

自分の辛さ軽減のため

あるいは自己満足のために

死にゆく人に余計な負担を強い、

無用な苦痛を味わわせてはなりません。

 

医療をそんなふうに利用しては

いかんのです。

 

辛くても

『死ぬべき時期』にきちんと死なせてやるのが

”家族の愛情”というものでしょう」

 

(上記の本から引用させていただきました)

 

そして、中村氏は、

きたるべき日に向けて、

ちゃんと「死ぬ時のためのトレーニング」を

しておかなければいけないといい、

 

自分が死にそうになった時

どうして欲しいかなどの

「事前指示書」を作っておくことを勧めています。

 

また、

いざというときに動揺しないように

普段からイメージしておくことの重要性を

説いています。

 

 

 

この本を読んだ当時、

全くその通りだと思い、

「私も、ちゃんと心構えをしておこう!」と

そう思っていたのです・・・・・・・・

 

 

 

 

 

でも、その数年後

看取る側の「家族」としては

全くイメトレができていなかったことを

痛感させられます。

 

 

それは、祖母が

全く食べなくなって、

病院でほぼ寝たきりの状態になった時でした。

 

 

活動的で、本を読むのが大好きで

お買い物が大好きで、

人と話すのが大好きで、

食べるのが何よりも好きだった祖母が

ほとんど寝ている状態で

あまり目を覚ますこともなく

ベッドに横たわっている・・・

もちろん、

自分から食べ物を欲することはありません。

 

つまり、中村さんが言うところの

「自然死」に近くなっている状態です。

 

でも、家族の前で

病院の先生から言われたことは

「栄養剤ぐらい、点滴しましょうよ」

ということでした。

 

私は

「それはやらない方が・・・」

と口に出そうとしたのですが

 

医者は

 

「このままほっといたら、餓死ですよ。

僕が息子の立場だったら、

栄養剤ぐらい点滴するけどな」

 

と、周りにいる家族に伝えたのです。

 

まさに、中村さんが

この本で書いていた

「医師が必ず言う言葉」が放たれたわけです。

 

もちろん、医者は、

脅しのつもりではなかったはずです。

 

状況を教えてくださったんだと思いますし

どう考えても、親切心だったと思うのです。

 

だけど、そんなこと言われたら

 

「いえ、それでも何もしないでください。

栄養剤で長生きさせても、

祖母のQOLが向上することはないですから」

 

って、

 

家族全員が満場一致になるほど、

私たちの間で、

話し合いはできていませんでした。

 

しかも、「自然死」と言う考え方を持っていたのは

普段はメキシコに住んでて

祖母が危ないと知って

急遽帰ってきた

部外者の私だけだったと思います。

 

祖母が軽い認知症を発症し、

「病院に連れて行け」と騒いだり

色んな問題を起こした時も

ずっとずっと面倒見てきた他の家族に、

そのような選択肢は

あり得なかったと思います。

 

家族が、なんの迷いもなく

医者の提案に従って

「はい、お願いします」と言うのは

当然の結果です。

 

私だって、

もし、中村さんの本を読んでなくて

「餓死させるんですか?」なんて言われたら

祖母を見捨てる罪悪感に苛まれて

「お願いします」って言ってしまうと思います。

 

結果的に、

祖母はそこから1年以上生きましたが

ほとんどの時間を寝て過ごしていました。

 

最期まで、家族の認識もでき、

思い出話もできましたが

幻覚を見ていることが多かった印象です。

 

唯一、本当に救われる点は、

栄養剤の点滴の後

すぐに体力が回復し

「あれが食べたい、これが食べたい」と

食べたいものを自分から言い出したことです。

そして、実際にそれを食べられたことです。

 

これまでの数ヶ月

病院食、流動食、もしくは、点滴・・・などで

本当に味気ない生活だったのでしょう。

 

それを取り戻すかのように

自分が食べたいものを次々と言って、

とても満足そうに頬張っていました。

 

あの栄養剤の点滴と言う措置が

合っていたのか、間違っていたのか

今となっては正直わかりません。

 

だけど、祖母のQOLが上がる

祖母のための措置だったか・・・

と言われたら、それは今でも疑問です。

 

結局、寝たきりの

おむつ生活であることには

変わりがなかったからです。

自宅にも戻れませんでした。

 

ただ、残される側の家族にとって

「祖母との別れ」を準備をする時間として

機能したことは、間違いありません。

 

実際問題、

祖母の「事前指示書」はなかったわけで

祖母の言い分はわかりません。

 

でも、時々

 

「私、もう向こうに行ってもいいよね?十分だよね?」と

幻覚をみて言ってるのか、本気で言ってるのか

わからない状態で

私に伝えてくることがあって、

その度に、あの点滴を後悔しました。

 

祖母のことを見ているからこそ

私は、やっぱり事前指示書を作って

自分の意思は明確にしておきたいのです。

 

私はおひとりさまですから、

医者から「餓死しますよ」なんて言われて

ショックを受けた家族が

点滴をお願いするような場面は

絶対にないと思うのですが、

 

万が一、両親もしくは兄弟が存命の時に

そんな状態になったら

同じことをされてしまう可能性があります。

 

私は中村さんのいう自然死を目指したいと思います。

 

でも、そういう

「医療界の非常識」を貫くには

やはり、相当な意志が必要なわけで

 

何を言われても揺るがず

瞬時に自分の決断を伝えられるよう

トレーニングを積んでおくことは

とても大切だと思いました。

 

この本は、本当にいい本だと思うので

皆さんにも読んで欲しいと思います。

 

死について考えることは

どうやって生きるかを考えることであり

決してネガティブなことではないと思います。

 

死は人間にとって自然の営みの一つだから

過酷であるはずがないっていう

中村さんの言葉は、とても素敵です。

 

本当に何もしなければ、

きっと脳内モルヒネのおかげで

とっても気持ちよく

逝かれるんだろうなって思いますので・・・

 

自分がそうなる場所が

日本になるのか

メキシコになるのか

全く想像がつきませんが、

どちらで何があってもいいように

まずは準備です!