(1)参考文献『新編常陸国誌』(明治32年4月24日発行)から式内社の位置を見てみる
出典:中山信明 編[他]著、『新編常陸国誌 上』【コマ番号35/662】より抜粋引用した。国立国会図書館デジタルコレクション
以下、見づらいので、分割拡大してみました。
これによって、この参考文献『新編常陸国誌』(明治32年4月24日発行)の編集者達の式内社の位置から、現在の神社を想像してみるのも面白いと思う。
この本の中では、各式内論社の比定に関する考え方が書いてある。いささか、明治時代の文章の言い回しが難しく感じて読みずらいが、参考になる。
しかし、夷針神社、佐志能神社など複数の論社があるような神社に関しては、大変興味深い説明があって、参考になると思った。
(2)多珂郡、久慈郡
・久慈郡の②薩都神社と③天之志良波神社では、現在では、②薩都神社の方が南側にあります。
・久慈郡の④天速玉姫命神社が2つあるように見える(文字が潰れてしまってハッキリしない)。
・久慈郡の①長幡部神社は、現在よりちょっと西側に古宮の跡はあるが、それでも里川の右側なので、場所が違うと思います。
(3)那珂郡
(4)鹿島郡、新治郡、真壁郡、筑波郡、茨城郡
(5)信太郡
(作成日:2020年3月29日、最終更新日:2020年3月31日)