延喜式神名帳 常陸国28社を巡る

延喜式神名帳 常陸国28社を巡る

延喜式神名帳 常陸国28社を巡ってみました。

2024年最強の開運神社(※) 泉神社[(日立市水木町)【(論社)天速玉姫命神社】]へ初詣。

 

※神社ソムリエ 佐々木悠太さんによる。

 

YouTube、テレビなどのメディアで取り上げられるようになってきたので、近隣に駐車場を設けられたりして、遠方からの訪れる人達も多くなっているようです。

 

常陸風土記に記載がある泉は、相変わらず、こんこんと湧き出しています。

 

最近追加された「泉龍木」。

 

(2024年1月4日 13:30頃の状況)

 

(2024年1月4日 13:30頃の状況)

 

 

【余りにも渋滞がひどいので、神社までのアクセス方法について記載】2024-01-07

(Google Earth)上に、ルートを記載しています。

大甕駅からのアクセス

 赤色:BRT(バス専用道路を走行するバス)で、大甕駅西口学園前→泉が森 の1区間バスで乗って、後は徒歩で一の鳥居向かうルート。

 黄色:大甕駅東口から徒歩ルート

 

自動車でのアクセス

 青色:(神社近くには大きな駐車場が無いので、渋滞待ち時間よりも、ちょっと遠くに止めて、海沿いの町を歩いてみるのもよいと思います。72年に一度の西・東金砂神社の浜降り神事の舞台がここ水木海岸です。)

 太平洋に面した海水浴シーズン向けの駐車場に駐車して、後は徒歩で歩くルート。

 

 

 

 

 

(作成:2024年1月3日、最終更新日:2024年1月7日)

 

『読み下し 日本三代実録』武田祐吉、佐藤謙三訳 戎光祥出版、平成21年9月10日復刻版発行から、常陸国の神社に関する神階、神位の記述を拾ってみた。


清和天皇、上巻P.333、1661、第12巻、貞観8年5月27日庚午、常陸国従五位上勲七等薩都神に正五位上、正六位上天之白羽神、天之速玉神に並びに従五位下を授けき。

清和天皇、上巻P.523、2613、第13巻、貞観13年2月26日壬寅、常陸国正四位下筑波男神に従三位、~(省略)~を授けき。

清和天皇、上巻P.633、3163、第25巻、貞観16年5月11日戊戌、~(省略)~常陸国立野神、~(省略)~従五位下を授けき。

清和天皇、上巻P.656、3176、第26巻、貞観16年11月    26日辛亥、常陸国従四位下筑波女神に従四位上を授けき。

清和天皇、上巻P.658、3287、第26巻、貞観16年12月29日発未、常陸国正五位下勲十等薩都神に従四位下を授けき。従五位下天之白羽神、天之速玉神に並びに従五位上、~(省略)~。


陽成天皇、下巻P.42、3790、第31巻、元慶元年6月28日丁酉、~(省略)~、常陸国正六位上河江神に従五位下を授けき。

陽成天皇、下巻P.96、4064、第34巻、元慶2年8月8日辛未、常陸国従四位上勲八等吉田神に正四位下を授けき。

陽成天皇、下巻P.98、4069、第34巻、元慶2年8月23日丙戌、常陸国正六位上稲村神に従五位下を授けき。

光孝天皇、下巻P.371、5433、第47巻、仁和元年5月22日丙午、~(省略)~、常陸国従五位下静神、稲村神に並び従五位上を授けき。

光孝天皇、下巻P.378、5467、第48巻、仁和元年9月7日戊子、常陸国従五位上羽梨神に正五位下、従五位下村上神に従五位上を授けき。

光孝天皇、下巻P.415、5652、第49巻、仁和二年6月28日丙子、常陸国正六位上郷造神に従五位下を授けき。

光孝天皇、下巻P.429、5725、第49巻、仁和二年12月9日発丑、常陸国従五位下阿波神に従五位上を授けき。


(作成:2023年3月27日)
 

泉神社(日立市水木町)【(論社)天速玉姫命神社】


1.御由緒
 泉神社は人皇第十代崇神天皇の御代、宇治49年(紀元前42年)にこの地方に鎮祀されたと伝えられている。
延喜式内社の由緒深い旧郷社である。
久自國造船瀬宿禰(くじのみやつこ ふなせしゅくね)の奏請により、大臣伊香色雄(いかがしこおのみこと)が勅命を受けての久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国に至り、天速玉姫命を祭祀して、久自の国の総鎮守としたことが泉神社の創立である。
 社記に「上古霊玉此地に天降り霊水湧騰して泉をなす号けて泉川云ひ霊玉を以て神体とする」とある。ご祭神はこの霊玉を神格化した天速玉姫命をお祀りしている。
「東夷の荒賊を平討する」最前線基地としての地域性を反映し、古くから多くの武将が祈祷に参拝している。
特に、後奈良天皇の御代、享禄三年(1530年)9月に書かれた棟礼には、佐竹義篤が泉神社を崇敬し社殿を修造したと記録されている。残念なことに、享和2年(1802年)社殿が焼失し、旧記録を始め宝物などが散逸してしまった。
現在の社殿は氏子らの浄財により昭和58年(1983年)5月に再建されたものである。
(出典:泉神社ホームページ https://izumi-jinjya.com/about.html)

2.『常陸国風土記』(奈良時代初期の713年(和銅6年)に編纂され、721年(養老5年)に成立。)
久慈郡の記載
(1)「長幡部神社」、「賀毗禮(かびれ)の高峰」の記載はあるが、天速玉姫命神社の記載は無い。
(2)通称「泉が森」については、(厳島神社(弁天様))の左側の泉についは、『常陸国風土記』の「大井」のこと。
(3)『常陸国風土記』を現代語訳すると、下記の通り。
高市といっている所がある。
ここから東北二里(約1キロメートル)に密筑の里がある。村の中に清らかな泉がある。土地の人は大井といっている。夏冷く冬温かい。湧いて流れて川となる。
夏の暑い時には、遠く近くあちこちの村里から酒と肴を持参して、男も女も寄り集まり、ゆったりし、宴会となり、酒を飲み楽しむのである。密筑の里の東と南とは海辺に面している。
石決明(アワビ)・ウニ・魚・貝などの類がとても多い。
西と北とは一帯が山野である。椎・檪(イチイ)・榧(カヤ)・栗が生え、鹿・猪が住んでいる。
およそ、山海の珍味は書きつくすことができないほど多い。
(出典:中村 啓信著『風土記 上』現代語訳付き (角川ソフィア文庫) (p.101). KADOKAWA / 角川学芸出版. Kindle 版. )
 

 

(鳥居)

 

(社号標)・・・式内 郷社 泉神社

 

 

(鳥居)

 

(拝殿)

 

(拝殿扁額)

 

(目洗の泉)・・・飲めないですと看板があります。

 

(本殿)

 

(本殿)・・・女千木

 

(本殿)

 

(厄割の玉)・・・近年になって設置された。

 

(厳島神社(弁天様))

 

(厳島神社(弁天様))

 

(厳島神社(弁天様))

 

 

 

(御神木)

 

(御神木の説明板)

 

(泉が森の説明板)

 

(日立のささら、水木ささら の説明板)

 

 

 

(境内社)・・・三峰神社

 

(境内社)・・・三峰神社

 

 

(当屋祭)

 

 

 

 

 

 

(泉龍木)2024年1月3日追加

 

(作成:2023年1月27日、最終更新日:2024年1月3日)

 

鹿嶋神社(常陸太田市春友町)【(論社)天速玉姫命神社】

 

(鳥居と社号標)・・・村社 鹿島神社

 

(鳥居の扁額)・・・鹿嶋大明神

 

(手水舎と拝殿)

 

(拝殿)

 

(拝殿扁額)・・・鹿嶋神社

 

(本殿)・・・女千木・・・武甕槌命ではない? 天速玉姫命?

 

(境内社)

 

(作成:2023年1月27日)

 

阿彌神社(阿見町竹来)【(論社)阿弥神社】

 

(社号標)・・・県社 延喜式内 二宮 阿弥神社

 

(阿見町名所百選の看板)

 

(参道から拝殿へ)

 

(拝殿)

 

(拝殿扁額)・・・延喜式内と書いてあります。

 

(本殿)

 

(本殿)

 

(境内社)

 

(神楽殿)

 

 

(作成:2023年1月27日)