教書より①-364号- | いのちの納得

いのちの納得

様々な方の日記を通し、「幸せ」とは何かを探して行きたいと思います。
生活の中の気づきをもって、法華経の心を日常生活で活かすことを大切に。
宗派にはとらわれることなく、真の意味においての魂の向上を目指して。

私達は誰もが同じですが、何の自覚も無いまま、気がつけばこの世に両親の子として生まれ、その環境の中での自分の人生を生きることから人生を出発します。

どういう境遇に生まれようが、人間はこの世を一人で生きていくことはできません。他の人々と否が応でも関わり合いながら生きていくしかなく、他人との関係性の中で他人より恵まれ、幸福である自分を成就するべく欲望や執着の思いが主となって(程度の差こそあれ)この人生を進んでいきます。

 

 

多くの人は現実の人生において理性よりも感情(情緒)に翻弄され、自らの宿業に引っ張られる度合いが強く、地獄・餓鬼・畜生が基底を占める境涯の中を経巡りながら、社会や世間が示している幸福への道を疑いもなく惰性的に従って生きています。

こう書いている僕だって例外ではありません。

でもそうした生き方の中でも不幸にして貧窮、虐待、いじめ、病気、障害、災害、離婚、死別、会社の解雇・・幸せを求めていたいはずのこの自分に人生の途上、予想もしない様々な事象や出来事が襲ってきます。

多くの人がそうした人生を生きるプレーヤーとしての人生の総括的な実感は、この世は「苦しいことばかりなり」と、まさにお釈迦様の悟られた「四苦八苦」を感じざるを得ないことが多いのではないでしょうか。(センシティブな性格であればなおのことそうした感慨は

強いです)

弘法大師空海の語った言葉として知られている、「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」の通り、盲目の状態からこの人生を出発せざるを得ない私達凡夫、この世の生を他人様より幸せになるべきだと自身に無自覚の圧をかけて生きる我執まみれの私達凡夫は、自分はどこから生まれ、死んでどこへいくのか、生まれる前のことも、生きた後のことも何もわからないまま、そうした一番大事な問題をなおざりにして

無自覚で盲目の人生を送っており、寿命が来たら死んでいきます。

そして自分が死んでしまえば、大抵、他の人はその人のことなどすぐに忘却していってしまうのが寂しいことではありますが、冷徹な見方をすれば、それは紛れもない現実だと思います。

 

 

 

「どんなに苦しい状況に陥っても、生きることには意味がある」「それでも人生にYESと言う」

自らの壮絶で過酷な体験を通じて得た思想と信念を以てそう語るのはオーストリアの精神科医であり、心理学者のヴィクトール・フランクル(1905~1997)です。

フランクル自身のナチスによる強制収容所での体験を元に著わした「夜と霧」は全世界の発行部数900万部の世界的ベストセラーとなっている名著です。

先日来、NHKの番組「こころの時代」で数回にわたりフランクルの人生とその思想が紹介されています。

フランクルはいわゆる心理学者の三大巨匠として名高いフロイト、ユング、アドラーに次ぐ第四の巨頭と呼ばれているようですが、特にフロイトやアドラー(この人の著書「嫌われる勇気」は日本でも愛読されています)に師事し、その影響を受けながらも、彼らとは一線を画した新たな心理学のロゴセラピーの分野を確立しました。

心理学者としてロゴセラピーの分野を確立した彼の思想や生き様に影響を受け、人生の救いを得たという人も少なくないと聞きます。

東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市のある医師が、津波で夫や妻を亡くすなど、悲惨な体験をし、まさに生きる意味を見失った人々と一緒にこのフランクル氏の「夜と霧」の読書会を定期的に開催し、互いに啓蒙し合い、励まし合っているというニュースを見たことがあります。

 

 

安全地帯の大上段から高尚な宗教らしきことを語り、人の耳目を引くことが得意な〇〇教や××会の教祖様やネットの世界に跋扈するあまたのスピリチュアルリーダーが説いていることの中には本当の意味の宗教(信仰)はないといつも感じています。

たとえ彼らの発する言葉や文字上で真理の一片を含んでいたとしてもです。

形や文字としての宗教があるところに本物の宗教はありません。

真実の宗教は宗教とは無縁の所から生まれてくるのです。

(泥の中から可憐な華を咲かす蓮はまさにその正しい真理の在り方は本来どういうものかを示している象徴です)

最も尊ぶべきものとは、その人の生き方そのものであり、決してその人の思想や言葉ではありません。

このフランクル氏の肩書は精神科医、心理学者でありながら、本当の意味で普遍的な宗教の真理を体現した人物であると僕には感じられます。

 

 

当時ウイーンで37歳の精神科医であったユダヤ人のフランクルは第二次世界大戦の時、両親、結婚してまだ9ヶ月目だった最愛の妻と共にナチスの強制収容所に送られ、解放されるまでの約3年をその地獄のような環境の中で生き抜きました。

フランクルが地獄の3年間を経て生還できたこと自体が奇跡だと思います。

収容されて程なくして父親が病気で死んだことは彼自身も知ったようですが、その後、別の収容所に送られることで離れ離れになった母親はアウシュビッツ収容所のガス室で殺されたこと、そして最愛の妻が衰弱死したことは後になって知ることになります。

 

 

ナチスドイツによる強制収容所は占領下のポーランドに計6ヶ所あり、最初は反ナチスの政治犯を収監することが目的だったようですが、次第にそれが拡大され、思想的な理由からユダヤ人という人種そのものを憎悪したヒトラーの考えでユダヤ人が次々と時の権力によって強制収容所に送られていきました。(大魔の憑依したヒトラーのその偏狭な信念には国家としてのユダヤの因縁を強く感じさせますが)

第二次大戦時には600万人のユダヤ人が殺害され(大量虐殺・ホロコーストといいますが)、その約半分の300万人が強制収容所で殺されていったと伝えられています。

特に絶滅収容所として名高いアウシュビッツの強制収容所では男、女、大人も子供も関係なくたくさんの人が一度にガス室に送られていき、天井から投げ込まれた有毒ガスによって、わずか20分の間に苦しみながら絶命していったといいます。

 

 

もちろんこれだけではなく、ナチスドイツの戦況悪化に伴い急遽増設が急務になった兵器工場の建設等のための過酷な強制労働によって疲弊し亡くなった人、毎日一切れのパンとスープだけの食事、何人もの人がギュウギュウに詰め込まれた狭く、寒い、糞尿が垂れ流しの部屋の中で衰弱死していった人、いつまで続くのかわからないこの生き地獄のような環境に絶望し、脱走防止用の高圧電流の流れる金網に飛び込んでいって自殺を図る人、衰弱しきった肉体のためすぐにチフス等の伝染病によって亡くなる人、強制労働中に疲れたため少し休憩したところナチスの監視役から殴る蹴るの暴行を受けて亡くなっていった人・・・、いろいろな生き地獄の風景がそこにはありました。

もちろんフランクルも強制労働や粗末な食事、劣悪な寝場所・・、他の収監者と同じ立場であり、彼自身もいつ命を落とすのか一寸先のことでさえ、全く予想すらできない状況であったにも関わらず、彼は収容所に行く前に構想していた自らの学説の信念に則って実践し、また時には同じ収監者で絶望する同胞のユダヤ人もその考えをもって励ましながら、この地上最悪の生き地獄とも呼んでいい強制収容所での3年間を生き抜いたのです。

フランクルは、後年、アメリカを始め多くの国の大学等で幾度も講演を行っているのですが、図らずもこの過酷な体験の中で自らが実験台になるような形で体得した自らの信念(思想)の正しさを証明したのです。

 

 

 

 

強制収容所に多くのユダヤ人が収監され1年程経った頃、苦しい中でも何とか生き延びていた人たちの中で一つの噂というか、願望のような言い伝えが広まったそうです。

それは1944年のクリスマスにはナチスは我々を解放してくれるだろう、今度はいくら何でも間違いない・・というムードが収監者の中でまことしやかにあったようです。

ところがそれは結果として全く根拠のないデマでありました。

途轍もなく苦しいものだから、期待を抱くのは当然のことですが、今度のクリスマスには解放されるだろうと未来に希望を抱いていた多くの人が1944年のクリスマスの後に不自然なほど大量に死んでいったそうです。(ガス室や強制労働の衰弱死とは関係なく)

収容所の中で今度のクリスマスには家に帰れるらしい、帰してもらえる・・、という期待が裏切られることで心が打ちのめされ、それによって体の抵抗力が下がり、何かしらの伝染病に

感染しやすくなり、あっという間に亡くなっていったとフランクルは記しています。

フランクルはこれを自分の外側に期待をする人たちであると表現しています。

今度のクリスマスには解放される・・、というのはこの自分が決定することではなく、外部への期待でしかありません。

99%の人がもう死んだ方がマシだと感じざるを得ない過酷な環境であるので人間として致し方のないことだとは思いますが、こうして外部に依存し期待する人は生命力が弱まっていくのだということです。

フランクルは反対に外部ではなく、自分自身に期待をする人たちは凍えるような寒さ、しんどすぎる労働、癇癪持ちのナチスの警備員の暴力にも耐えられると自らの体験を元に述べています。

 

 つづく・・・