私はトイレ掃除をしながらいつも、周利槃特(しゅりはんどく)


お話を思い出します。


心を無心にして、取り組むことができるので、このお話が


大好きです。


今日は、周利槃特(しゅりはんどく)のお話を紹介します。


            
         
           

           

仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわ


れていたのが、この周利槃特(しゅりはんどく)という人です。


どのくらい愚かだったかというと、ときどき自分の名前すら忘


れてしまうほど、頭が悪かったそうです。


周りの弟子達からバカにされていた周利槃特は、あまりの


自分の愚かさを嘆いて、仏弟子をやめようと思って仏陀の


もとを訪れます。


「仏陀よ、私はあまりに愚かなので、もうここにはいられません・・・」


その時、仏陀が彼にこう言います・・・


「自分を愚かだと知っている者は愚かではない、
 

自分を賢いと思い上がっている者が、本当の愚か者である」


すっかり弟子をやめようと思っていた槃特は一瞬キョトンとします。


そして、仏陀はこう続けます・・・


「おまえの一番大好きなことはなんだね?」


槃特は、「はい、私はそうじが好きです」とこたえました。


「そうか、おまえは多くのことを憶えられないようだから、

 その大好きなそうじをしながら、このように唱えるがよい」


「塵を払い、垢を除かん」(ちりをはらい、あかをのぞかん)


「はい、それなら、私にもできそうです!」


「そうか、ではがんばるのだよ・・・」


仏陀にそういわれて、嬉しくなった槃特は、たまに忘れそう


になりながらも、

「塵を払い、垢を除かん」と唱えながら、箒をもって掃除をして


いきます。


一年、二年、五年、十年、二十年と、ひたすらにやっていき


ます・・・


その姿勢に、始めはバカにしていた他の弟子達も、次第に


彼に一目を置くようになります。


やがては、仏陀からいわれたことを、ただ黙々と、直向きに、

淡々とやり続けるその姿に、槃特を心から尊敬するようにな


りました。


そして、ついに槃特は、

仏教でいうところの「阿羅漢(アラカン)」の境地に到達します。


「阿羅漢」とは、反省修行をおこなって、心の汚れや曇りを落とし、

第一段階の悟りを得ることです。


ある日、釈尊は、大衆を前にしてこう言いました。


「悟りを開くということは、 なにもたくさん覚えることでは決して


ない。たとえわずかなことでも、徹底して行うことが大切なのだ。」


「見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、
 

ついに悟りを開いたではないか!・・・」



           



掃除に限らず、日常生活には周利槃特(しゅりはんどく)の行(ぎょう)


ごとく、目の前の事に一心に取り組めることが色々あると


思います。


一つ一つの事に、一心に取り組む中から、自分自身の向上


につながる何かが得られるような気がいたします。


家族の食事を作る事であったり、職場で目の前の仕事を


こなすことであったり、畑の野菜を育てることであったり、


勉強であったり、部活動であったり、洗濯であったり、


遊びであったり、子育てであったり・・・・


人それぞれ行う事は違っても、その事に魂を込めて取り


組む姿勢が、その人自身を作り上げ、内なる輝きを


増していく。


そう信じてやみません。


また、そういう方を数多くおみかけします。


日常生活のその場その場が、行場(ぎょうば)であると思って


取り組んでいきたいものです。