豊中市には人権平和センター条例があり、人権や平和を考える拠点があります。 

センターは、豊中と螢池に2カ所あり私は豊中を見学。

各務原市にもあったらいいなと思う場所を視察してきました。

 

 

豊中市には同和地区があり、もともとはどちらも解放会館だったそうです。

 

2019年に「人権まちづくりセンター」条例を廃止し、新たに「人権平和センター」条例を設定することが議会で可決(2020年4月1日施行)

1973年に豊中解放会館、1976年に蛍池解放会館がそれぞれ開館し、豊中市における部落問題解決を進める行政(同和行政)が本格的に始まってから40年。

新しく生まれ変わることとした、豊中市の部落問題解決行政の大きな転機となる。

 

「人権」と「平和」は当然表裏一体です。

しかし、部落問題対策を縮小させるのではないか?

無理やり「平和」に置き換えてないか?

厳しい声がたくさん届き、最初は針のむしろのようなスタートだったそうです。

 

人権平和センターでは

平和学習で使う戦争遺品を一括して窓口となるよう収集。リストを作り各小・中学校に貸し出しをしています。

 

パネル展を複数の会場で巡回展する取り組みなど、アウトリーチの工夫がされていました。先日各務原市は、市役所低層棟で各務原空襲のパネル展ありましたが、こうして巡回展できたらいいなと思いました。

 

 

平和展示室では、公平な視点に配慮していました。

歴史をどちらかに偏らず、事実として知るための情報提供が大切だと感じました。

 

 

 

 

同じ敷地内に児童館があり、子どもたちが自由にセンターを見学できる環境。

そして非核平和都市宣言 素敵だと思いました。

 

 

しかし、「同和問題」に触れる場がないことに違和感がありました。

 

後でネットを検索すると「特別措置法」の失効を機に、「同和(行政)はおしまい」といった受けとめが広がり、「同和」は「人権」に置き換えられ、部落問題は人々の視野から外れ、各界各層におけるとりくみも一気に後退。「人権」が「平和」に呑み込まれ、部落問題が不可視化されるような事態を危惧する意見もありました。

 

解放会館以来の歴史的使命を引き継ぐことが大切だと感じました。

そして各務原市も米軍基地があったこと、各務原空襲の背景、朝鮮学校があり、朝鮮人が労働を強いられていたことなど、平和と人権を学ぶ場の必要性を感じました。