前各務原市長 森 真さんが亡くなりました。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

 


私にとっての森さん。

 

とっても 魅力的な人でした。

 

子ども頃は父の友人のおじさんという存在。

18歳~27歳までの9年間は上司という存在。

結婚してからは市民として市長という存在。

 

その時々の印象や思い出があります。

 

高校生の時、父親と喧嘩をして家を飛び出し

真っ暗の雨の中、森さんの家まで逃げたことがある。

その時のエピソードを私の結婚式のスピーチで話してたなぁ~

 

高校卒業後、一般企業に就職し1ヶ月で辞めた私は

当時社会党の県会議員だった森さんの事務所、各務原相互納税組合で9年間働きました。

私が最も森さんと深く関わったのは、この頃ですね。

 

 

 

中小企業の組合員さんの帳面をつけて確定申告をしていました。

当時、私に簿記を教えて下さった事務所の皆さんは、これで全員亡くなりました。

 

確定申告の時期は森さんも一緒になって深夜まで仕事をしていました。

税務調査に立ち会い、税務署との交渉をしている姿をよく見ていましたが、相手を唸らせる追及と駆け引きの上手さが印象的でした。

 

そして4年ごと選挙のたびに、住宅地図を塗りつぶしながら、不自由な足で、各務原市内全域を歩いていました。

真っ黒に日焼けして、「○○くん、行くぞ!」(事務所の人)と毎日、楽しそうに出掛けていく姿を、よく覚えています。

 

とにかくパワフルでした。

 

昨日訃報を聞き、古いアルバムを開き思い出に浸っていました。 事務所の人たちや、支持する会の皆さんと何度も旅行に行ったこと、懐かしく思い出していました。

 

 

出産と同時に退職をし、各務原市長になってからは、森さんとは直接関わる機会はなくなりました。 

NPO法人各務原子ども劇場の理事長となってからは、活動を通しての要望を聞いていただいたことがあります。

 

私が議員となってからは、いつも遠くから私のことを見守って下さいました。

 

時々電話がかかってきます。 

何十回も着信があると大抵が森さんです。

 

「みらい通信読んだ。頑張っとるな」

「いいか、議会というところはな・・・」

とはじまり、言いたいことを一方的に伝え

頑張れよと電話を切ります。

 

笑えるくらい、変わっていない・・・

納税組合で働いている時もそうでした。

「ええか、まず手を止めて、ちょっと聞け」

上機嫌の日は、こちらの都合も聞かず延々と夢を語るんです。

 

そんな森さんが 議員になった私に伝えてくれたこと。

 

夢を持つこと。

ビジョンを持ち続けると必ず実現する。

高い夢を持つこと。

低い夢は100%叶っても、たいしたことない。

高い夢は70%でも叶えば凄いこと。

高い夢を持つと、必ず実現する。

 

 

市のグランドデザインを描くことが大切。

全力をあげて頑張って下さい。

 

森さんから頂いた年賀状には、いつもそう書いてありました。

もっと、いろいろ教えて頂きたかったです。

でも不思議なご縁で、今は森さんと親しかった、前犬山市長の石田先生のふるさと政治塾に通っています。

 

 

森さんがつないでくれたご縁に感じています。

いろいろな出逢いが本当に必然であり、

ご縁に心から感謝です。

 

政治家としての背中を一番間近で見せてくれた森さん。

あまりにも大きくて、強くて、眩しい存在でした。

全然及びませんが、各務原市議として、私らしく全力で頑張ります。

これからも見守って下さい。

 

今まで ありがとうございました。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

二人の森さん | ~なないろ通信~ 古川明美 (ameblo.jp)