”「陰謀史観」のアホらしさ” | 本を読んでも賢くなりません。

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ごく普通の読書ブログのつもりではじめたら、ごった煮のようになってしまいました。

最近リブログ続きです。

実生活との兼ね合いで、一時期ほどブログに時間を割けず、といってこのところの世界情勢の目まぐるしい変化(大変化)を前にして、黙っていることも出来ず・・・

 

 

そんな時、おれの褌を使えー!と、投げてよこしてくれるのが、ブログ師匠の果樹園さんであります(笑)

(イヤ、勝手に取って使ってます)

師匠のおフン、皆様もご堪能ください。

 


 

 

最近元なんちゃら大使とかこしみずなどのイルミナティ説とかがしきりと説く陰謀史観が流行っているようです。

 

ユダヤの金融資本だの軍産複合体だの、ロスチャイルドだの、はたまた宇宙人だのと、様々な力のある勢力の支配欲の働きが歴史要因だとするのが陰謀史観です。


支配したい者が力を駆使しているであろうことは想像に難くありません。


 

このようなミステリ-じみた歴史解釈が横行しており、若者の価値観に影響を与えています。


 

世の中は正義と邪悪が混在し、力と力、知恵と知恵、戦略と戦略が交錯する、相互作用により動いているのは確かでありましょう。



仮にそのような力が絶大だとして、それが歴史要因となるか否かは全く別問題です。


 

仮に現象分析論として通用しても、歴史観にするには飛躍がありすぎます。


 

私は陰謀史観には関心がないので調べたことはないのですが、世界分化の要因がどうやらグロ-バリズムとナショナリズムにあると説いているようです。


 

しかし、世界史を紐解いてきた私から見ると、このような分類が論理として通用するのは戦後の一時期にしか過ぎないことが分かります。



日本人が唱えれば「負けて悔しい花いちもんめ」でしかありません。ならば「戦犯を志願して負けた責任を負いなさいな」と言いたくなります。人のせいにしてはいけません。


 

グロ-バリズム(価値観の統一による世界統合)が現象化したのは第二次世界大戦終了後でした。


 

第二次世界大戦とはまさに自由民主主義と共産主義がという二つのグロ-バリズムが結託してナショナリズムと戦った戦争でした。


 

ナショナリズムによる世界統合の試みは終戦により終わりました。


 

故に戦後世界は自由民主主義と共産主義という異なる価値観による世界統合を巡り、世界主義(グロ-バリズム)が対立した時代なのです。



ところが対立する二つの価値観は互いを統合できずに核兵器やミサイルなどの軍事力で守りながらも、内部はそれぞれが衰退の一途をたどりました。


 

人間は本心の欲望に於いて自由で公正な価値とそれを実現できる社会を求めてきましたが、戦後のグロ-バリズムを担ってきた社会体制はその欲望に応えられませんでした。


 

だから西欧社会ではナショナリズムへの回帰現象となって表面化しているのです。


 

二つのグロ-バリズムは内部崩壊過程にあり、窒息寸前だから価値観の止揚が必要なのであり、ナショナリズムへの回帰に解答はないのです。



この歴史過程の一時期を捉えてするグロ-バリズムとナショナリズムの二極分化説にはかなりの無理があります。


 

皆様、人類の営みは男女の愛から始まりました。

子をもうけ家庭を作ると、互いの血縁との関係を良好にするために氏族社会を形成したのです。


 

氏族社会は部族社会の安寧のため、協力して民族を形成し、果ては共通な民族理念を共有する国家を形成してきました。



つまり人間は価値観を中心としたグロ-バルな共同体のために努力してきたのです。


 

この本心の願いは民族や国家に留まらず、イデオロギ-や宗教的価値観を越えて、世界、人類の共通な価値観を求めて今日を迎えているのではありませんか?


 

だからグロ-バリズムは本性の欲望の必然であり、

ナショナリズムに相対立する概念にはならないのです。


 

この人間の欲望こそ歴史要因であり、陰謀の力を凌駕する生命パワ-なのです。


 

陰謀史観に惑わされないでいただきたいと念願するゆえんです。

 

 

記事の冒頭、元なんちゃら大使というのは、駐ウクライナ兼モルドバ大使を務めた経験のある馬渕睦夫氏のことですね。

言論界では(たぶん)ほぼ無名だった氏が、6年前に出した本を、保守言論界の重鎮・渡部昇一氏が激賞したことで、一気に有名になった・・・と記憶します。

 

 

実は、本の評判が高いので入手したところ、面白い着眼で世界情勢分析をしており、なかなかの説得力がある反面、結論でオヤ、と首を捻る部分もあり(私が特に変だと思ったのは、ロシアのプーチンが親日で、ロシアと仲良くするのが国益だというあたりでした)・・・で、果樹園さんにご意見を伺ったことがあったのでした。

 

 

果樹園さんは、その本をお読みではありませんでしたが、馬渕氏が当時チャンネル桜などに出演していた動画をご覧になっていて、氏の陰謀史観(ユダヤ金融資本が世界史の裏を操ってきた)を一刀両断にされたのでした。

その時の説明で、陰謀的なものが裏の力として働いたとしても、それが世界の歴史の大きな流れを決定する要因にはならない、と仰ったので、なるほどなぁと納得し、以後、陰謀史観には近づかないようになりました。

 

 

確かに、陰謀史を認めるということは、一部の支配者集団が歴史の主役で、我々も、我々の祖先も、脇役にしか過ぎない(被搾取層?)ということになります。

私は、歴史において祖先が果たしてきた結果を(正も負も)負うのが民族だと考えているので、過去の父祖の行いと自分達を切り離す革新層のような考えには乗れないのと同様、上の考えにも同調することは出来ないのです。
(分かりにくいかな~、説明が下手で御免なさい。)

 

 

グローバリズムが崩壊して、ナショナリズムに移行(回帰)し、それが固定化するとみる馬渕論は、今までの歴史で、人間が歩み(変化)を止めたことがない事実を無視しています。

馬渕氏だけでなく、確か国際問題アナリストの藤井厳喜さんもそんなこと(ナショナリズムへの移行)を仰っていたような記憶(うろ覚えです)があります。ただ、こちらは陰謀史は関係ありません。


 

世界の国を個別に見ると、ナショナリズムに回帰する動きのようにもとれますが、果樹園さんが書いているように、グローバリズムとナショナリズムは対立する概念ではないのに、さも2つしか道がないかのように説くナショナリズム回帰論は間違っています。
 

 

人類の歩みは、そんなチャチなもんじゃない。

ここが終着点ではない。

我々はまだ、人類共通の価値も見つけられず、右往左往している段階とみた方がいいと思います。

 


 


馬渕睦夫さんの近著は↑です。レビュー欄を見ると、評価は高いようです。
もともと、買って読んでレビューを書くのは、好きな人しかしないでしょうから、不思議ではありません。



 

というわけで、次は

「陰謀論」に関する対談を取り上げる予定です

(予告は不安・・・それっきりになる確率高し)

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