さわいでも
怒りをぶつけても
そこにある事実に変わりはない。

見つめても
向き合っても
それはそこにある。

それがそこにあるという「そのこと」に変わりはないけど、

「そのこと」を認識することで、変わることもある。

私という主観の中で、
「そのこと」についての見え方が変わる時がある。

見え方が変わると、捉え方が変わる。

捉え方が変わると、行動が変わる。

行動が変わると、人とのつながりが変わる。

人とのつながりが変わると、私という主観の世界が変わっていく。

そこにある事実そのものは一向に変化しなくても

私の世界は、変わっていく可能性を秘めている。

そのひらめき
いくつもの小さな作用

それは、一歩をふみだす勇気の源。

途切れるときもあるけど、
寄せては返す波のように
また押し寄せる。

どこかへ行って、誰かに逢おう。
誰かに逢いに、どこかへ行こう。



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昨日は、夕方から私ひとりで飲み会に出かけました。

子供たちと旦那さんは、家で焼肉して留守番してくれました。

帰り道、家の近くの餃子の王将は11時を回っているのに満席でした。
私も何かしょっぱいものが食べたいなー、と思いつつ家に帰ると、

台所に7才娘(愛称つくぴー)の書き置きが。

photo:01



幼稚園の頃、ママ達で飲み会に行く機会があるごとに、
「ぜったい9時までに帰ってきて!」と言ったり
私がいないと泣いて寝付けずにいたりしていた娘。

しかし、たまの飲み会。
つい時のたつのも忘れ、可哀想かなと思いつつも約束の時間にはもちろん?帰れず…。

それを何度か繰り返すうち
「できれば、寝るまでに帰ってきてね。」
と言うようになり、さらに
「できるだけ早く帰ってきてね。」
くらいになっていきました。

今回も、出掛けるときはあっさりと見送ってくれ、
帰ってみればなんと、みそ汁と書き置きを残して、すっかり夢の中。

旦那さん曰く、
それでもやっぱりひとりはさみしいからと、普段は後から寝る息子に頼んで一緒に布団に入ったとか…

「1ぱいでものんでね」とありましたが、お椀によそったらピッタリ一杯分でした。

ありがとうラブラブ
とっても美味しかったです。

一緒にみそ汁作ってくれた旦那さんも、
一緒に寝てくれた息子も
どうもありがとう。

ありがたや、ありがたや。


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今日の終電を最後に、小田急線の下北沢駅が地下化されます。

下北沢の魅力は、街のゴチャゴチャ感にあると思いますが、
その代表が下北沢の「駅」だったような気がします。

春分の日に、家族で駅の構内を探検しました。
photo:03


小田急線の上を井の頭線がバッテンに交差して、
その連絡通路はクネクネと上がったり下がったり。
まるでトンネルか穴ぐらのよう…

この地上の穴ぐらで私が特に好きだったのは、井の頭線から小田急線下りホームに通じる連絡通路。
photo:01


ゆるい傾斜に、変に広い幅の低い階段が並び、微妙に歩幅が合わない。
全力疾走でもしようものなら、段差でつまづいて転びそうな感じ。
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こんな建物、もう2度と建つことはないんだろうな。
いまどきのキレイなビルになっちゃうのは、正直さみしい…。

駅の地下化にともなって、周辺の通称「開かずの踏切」もなくなります。
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10年近く前、ヨチヨチ歩きの息子を連れて、何十分も電車を眺めた踏切。
もう閉じることも、ロマンスカーが通り過ぎることもなくなります。

終業式を終えた子供たちは、
今夜、終電を見送りに行くと張り切ってます。

ふぅ。
春は変化の季節ですなぁ…



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