懐古麻雀 | 極楽ブログPart2

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世の中に寝るより楽はなかりけり浮世の馬鹿が起きて働く(「母の教へ給ひし歌」なのです)

遠い昔、ワタシは、週一度ノー残業デーの水曜日に、会社の近所の雀荘で麻雀を打っていた。


メンバーは、新工場立ち上げで苦労した戦友たちである。Yさん、Mさん、ワタシ、Tくん、Oくん。メンバーが揃わない時は、ゲストを呼んで、コテンパンにやっつけていた。


ルールは、25,000点持ちの30,000点返しで、エリート、ドボン、ヤキトリあり。半荘8回を基本とし、23時を過ぎて新しい回には入らないというものであった。


賭けのレートは点5(1,000点50円)という健全なもので、余程ツイてなくても、一晩の負けは1万円台だった。


ワタシは、人間が優しいので、前半大勝ちすると後半緩むのだが、 Yさんは、前半ツイてなくても耐えに耐えて、必ず後半で盛り返して来るのである。これが強いということだと思った。


一番若手のOくんが、メンバー集めと点数の集計を担当し、年間のランキングをつけていた。


ワタシは、毎年ランキング上位だったが、1年間だけ大負けしたことがある。新規工場建設のプロジェクトリーダーとして、エンジニアリング会社と支払金額で揉めた時であったが、それはまた別の話。


さて。


先日の退職者会で出会ったTくんに麻雀をやろうではないかと持ちかけたら、すぐ喰いついて来て、MさんとOくんに連絡を取ってくれた。


画像は、左からMさん、Tくん、Oくん。皆歳をとった。現役はシニア社員のOくんのみである。




13時から18時近くまで半荘5回打って、1位Mさん、2位Tくん、3位ワタシ、4位Oくんであった。


今回のルールは、4位が1位に2千エン、3位が2位へ千エン渡すというものであった。ま、よかろ。


実は。


ワタシは、途中で腹具合が悪くなったので、ワザと派手に振り込んでドボンになり、トイレに駆け込んだのである。あの回がなければ、少なくとも2位だったのに・・・


Tくん曰く「sifusoさんは、昔から腹が弱かった」


色んな話題が出た。あの人が死んだとか、この人も死んだとか。生死事大無常迅速・・・


一番驚いたのは、数年前からYさんが認知症になり、奥さんの顔もわからなくなっているということであった。


「それなら、この麻雀に呼んで剥ぎ取ってやろう」

「負けたことがわからんのじゃないの」

「そうか。ははは」


麻雀が終わった後、Mさん、Tくんとワタシの馴染みの店で一杯やった。Oくんは、奥さんが怖いので帰宅。


まずは、ビール🍺で乾杯して。


頼みましたものは。


刺身の盛り合わせ。




メゴチとケンブツの唐揚げ。




鯛のあら煮。




日本酒🍶を呑みながらのMさんの話が止まらなくなったので、20時過ぎにお開き。勘定は1人5千エンであった。ま、こんなもんか。


来月から月イチで集まろうということになった。ランキングもつける。ひとつ生き甲斐が出来た。よしよし。