わたしは自室に一人で閉じこもり、ぱたりと横になった。
起きている気力もなくなり、横になったままぼんやりとした。
あふれてくる涙はそのまま目尻を通って流れていった。
先ほどのやりとりを思い返す。
これまでの育て方を思い返す。
いったい自分はなにをしてきたんだろう。
こんなにがんばっているのに、伝わらない。
どこで間違えたんだろう。
なんでこんなにダメなんだろう。
そこに憤りはなく、ただただ悲しく、無気力だった。
なにもしたくない。
なにもできない。
こういうときは、寝てしまおう。
昔からそうだった。
わたしは嫌なことがあると寝て忘れようとする。
少なくとも、寝ている間は忘れられる。
うたた寝のような、ぼんやりと夢うつつの浅い眠り。
どれくらい経っただろう。
うっすらと開いたわたしの目に、本棚が映った。
娘が生まれてから読んでいる育児本が並んでいた。
わたしはそのなかの1冊に手を伸ばした。
初めての育児でわからないことだらけだったわたしは、本をたくさん読んだ。
壁に当たるたびに、何度も何度も読み返した。
幼いころに抑えこんでしまった感情、ストップしてしまった気持ちが子育てをしているなかで復活してしまうことがある
自己分析をすれば、どちらかというと自分は真面目な人間である。モラルやルールを守り、枠からはみ出さないように生きてきた。
親せきで集まっても一番上だったから、しっかりしなきゃと思ってた。
お姉さんらしく振舞っていた。
年下の面倒をよく見ていた。
そうすることで、大人に褒められた。
宿題もきちんとする。
ノートもきちんととる。
提出物もきちんと出す。
保護者懇談会では「サクラさんはよくできるので言うことありません」とよく言われたらしい。
家の手伝いもして、掃除や片付けもきちんとしていた。
親の言うことはよく聞き、逆らわなかった。
(ピアノの練習はサボっていたけど。よく怒られた)
そうすることで、母や母の友人に褒められた。
でも。
母に対しても。
父に対しても。
言いたいことはたくさんあった。
間違ってると思ったことはたくさんあった。
だけど言えなかった。
お母さん自身の幼いころの生育環境が関わっている場合もあります。自分が子どもの頃はそんなわがままを言わなかった、親の言うことを一生懸命きいてがまんしていた。自分はがまんしてきたのに、どうして子どもはがまんできないのか! 親の言うことを聞いてあたりまえでしょう!という気持ちです。
言えばよかったのかもしれないけど、言ったらきっと怒られた。
親に口ごたえするな、と。
いまでも母に間違っていると思っても、言えない。
でも、そうか。
わたしの今の気持ちはそういうことか。
少し気持ちが落ち着いて、わたしは時計を見た。
あれから2時間弱。
娘はさすがに数学は終わらせているだろうな。
きっとがんばってやってるんだろうな。
お昼を、作らないといけないな。
そう思って、部屋を出た。