前回続く

 

なかなか使えなかったシャワーが

使えることになった。術後4日目か

5日目かそれぐらいだったと思う。

記憶力が悪くて(-_-;)

左手の甲に点滴の針が

刺さったままなので

動かし方によっては痛いし

片手で何でもせねばならず

大変だった。




 

この時ジックリ手術したところを見たが

やはりほとんどわからない。アオタンも

10円玉と500円玉の間位の大きさのが

薄くあるだけ。

手術うまいんじゃないのか?と思った。

退院してから1週間ぐらいで

アオタンはわからなくなった

 

食欲も凄くあって、病院食は

それこと米粒一粒も残さず完食。






 

暇プ~なので廊下を歩くが小さな病院で

歩くとこもそんなにない。

廊下に貼ってあるものを見る。

 

「ん?」なんと病院食のアンケートが

何度となく行われている。

主食はどうか?副菜は?など細かく

アンケートがとられている。

 

「なるほど」きっと食事がおいしくない

の苦情があったのじゃないのか?と

思う。で、アンケートを何度もとって

改善されたに違いない。半年前は

全くおいしくなかった食事が、凄く

美味しくなっていたのは、患者さんの

声を聴いていたからか!と納得する。




 

そして、先生の紹介みたいなのが貼ってある。

これは、診察の受付にあるものと同じ

なので、何度も見たよねぇ~と思って

見たら、院長先生の紹介文が変わっていた。

 

前は覚えてないけど、二刀流だとか

趣味とか書いてあったように思うのに

「血管内手術の経験がとても豊富で

****回以上の経験あり」と書いてある。

 

はっΣ(゚Д゚)ここで手術するかどうか

決めかねていた時、私はやたら

看護士さんとかに

「こちらはカテーテル手術って年間

どれぐらいされてます?」とか訊いた記憶が。

あ~ホームページ見てください。とか

言われてハッキリしない。

 

娘も「フローダイバーターの手術って

凄く最近の手術法だけどこちらでは何度か

されているのですか?」と院長先生に

聞いたことがあった「もちろんあります」と

答えていたけど回数とか全然言わないので

もしかして凄く少ないのでは?と疑っていた。

 

この紹介文が変わったのって患者さんに

訊かれた(私たち家族を含む)ので

文面変えたのでは???と思った。

 

食事がまずいと言われたらすぐに対応

患者が不安がって手術回数を

聞いてきたらすぐに紹介文で対応

院長先生は凄く忙しい方なのに

(凄い人気。院長先生が診察の

あるときと無い時の患者数が

信じられないぐらい違う)


大忙しワン!!

 

院長先生は子供の頃、大好きだった祖母が

脳卒中で倒れ、地方だったために

なかなか治療してもらえる病院がなく

都会の病院まで行かねばならなかったため

手遅れになってしまった事があった。

その時に地域に密着した脳外科病院を

作る!!!おれは、脳外科医になる!と

決めたらしい。

(文面はもっと真面目でした(-_-;))

そして医科大に行き医師免許を取り

経済学部に再度入り、経済の勉強をされ

病院経営をされた。

脳卒中後のリハビリにも力を入れ

凄い勢いで小さいながらも病院を

広げて行っている。

そして患者さんに不安を与えず

私が何気に言った言葉も全部覚えていて

それに対応してくれる。

え?あのちょっと言った事

覚えてくれていたんだ!

と驚く記憶力の良さ。





 

そして、一番すごいなと思ったのは

今どき当たり前なのかもしれないが

20歳そこそこのナースとかにも

凄く丁寧に対応される。

 

「ねぇ~なんとかちゃん、これやっといて」

みたいなことは絶対に言わない。

「なんとかさん、これをこうして

あ~してくださいね。」と丁寧におっしゃる。

これ、患者の前だけかと思っていたら

階段とか人の見ていないところでも

「それは、こうしてください」と丁寧に

おっしゃってる。

すごいよね。





ナースの人は忙しくて忘れたり勘違いされてる

事あるけど院長先生は、記憶力というか

仕事に対しての集中力というか

凄すぎ。わたしがちょっと言ったことも

すぐに対応してくれる。←わがままなもんで

まぁそれぐらいの人で無かったら

脳外科医は無理なんだろうなぁと

思う。

 

院長先生に手術してもらって、まだ

これからどうなるかわからないけど

(実は目の方がちょっとおかしな

現象がおきてきてるんだよね)

良かったと思う。

近いので会社から歩いて行けるし。




 

もう次で一旦終わると思います。

 

続く……