ブログを始めてから、
死別された方々のブログをたくさん読ませていただきました。
そしてそのブログのほとんどは、
愛しいご主人や奥さまへの想いを綴られているブログばかりです。
そんな愛が溢れるブログを読むたびに、
どこか哀しみにどっぷり浸かることが出来ない自分がいました。
脳出血を起こし53歳で突然逝ってしまったダンナ…
ダンナの死を知った瞬間、
強烈に私のなかに飛び込んできたメッセージは…
『終わってしまった…』
でした。
終わるというよりも、
とうとうダンナに強制終了されてしまった…と言った方がその時の気持ちに近いかもしれません。
そして…
17年前の修羅場からダンナとの距離は近づくことも遠のくこともなく、
ある一定の距離を保ったまま時間だけが流れていきました。
時間では解決出来ないココロの深い深い傷を放置したまま、
屍のようにただやり過ごしていくだけの長い日々…
こんなはずじゃなかった…
このままでいいわけがない…
どうしたらいいのかわからない歯痒さとジレンマを感じながらも、
向き合うエネルギーなどもう残っているわけもなく、
私たち夫婦は惰性だけで続いていたのかもしれません。
そうした日々のなかで突然訪れた強制終了…
でも…
こうして強制終了されてしまうと、
遺されたほうの気持ちは未消化のままで後悔しかないのです…
ダンナの死は…
まるで最期の最期にダンナから仕返しをされたような気分でした。
いったい何のために私たちは結婚したんだろう?
付き合っている時は、
結婚するならこの人以外考えられないと思ったから4年も付き合って結婚したのに…
独身の頃はあんなにお互いが愛しい存在だったはずなのに…
父の不倫と両親の離婚を経験し寂しい幼少時代を送っていた私は、
休日に家族連れを見るのがツラく外出するのが嫌いでした。
お父さんとお母さんが仲良しで、
休日は家族でショッピングセンターで買い物したり遊園地に遊びに行ったり…
平凡だけど笑いの絶えない家庭…
人一倍温かい家庭への憧れがあった私は、
結婚したら平凡でもいいから、
そんな温かい家庭を築きたかっただけなのです。
でも…
とうとう最後まで理想の家庭を築くことができませんでした。
そんな家庭を築けなかったのは、
私がダンナを許せなかったせいなのかもしれない…
という自責の念や、
ダンナが不倫さえしなければこんなことにならなかった…
という思い…
そしてその他にも、
ダンナが転職を繰り返したことで経済的な苦労を背負い、
生活レベルが生活保護寸前まで落ちてしまった過去…
結婚記念日や私の誕生日に、
プレゼントやサプライズなんて一度もなかったのに、
記念すべき銀婚式の年にダンナが死んでしまうという最悪のサプライズによる終止符…
結婚生活25年間の間にいろいろなことがありすぎてダンナの死に直面したとき、
哀しみだけに浸ることがどうしても出来ませんでした…
オンナとして妻として幸せにして欲しかった…
オンナとして妻として幸せにしてあげればよかった…
今でもまだいろいろな想いが私の胸のなかを駆け巡っています。
ダンナの死から間もなく1年を迎え、
来月にはダンナの故郷で一周忌を執り行います。
先に逝ってしまったダンナに腹立たしさもありますが、
長年連れ添った情はもちろんあります。
そして…
苦労のほうが多い結婚生活ではありましたが、
ダンナでなければ、
かけがえのないふたりの娘を授かることが出来ませんでした。
可愛い娘たちに巡り会えたのはダンナのお陰ですし感謝もしています。
まだまだ気持ちはくすぶってはいますが、
その時その時の気持ちは引き続きブログでこれからも綴らせてください。
エピローグが長引いてしまいましたが、
『傷だらけの過去と向き合う』
というタイトルで書かせていただいた過去へのタイムスリップのお話しも、
これで40記事目になるのでキリのいいところで終わりにしたいと思っています。
よろしければ皆さんのご意見やご感想もお待ちしてます
長い間、最後までお読みいただきホントにありがとうございましたm(_ _)m
また明日以降コチラの記事の続きから綴っていこうと思っていますので、
引き続きこれからもよろしくお願いします