世界14か国に翻訳権が売れたという話題のエッセイです。大工という職人の心持ち、はっとする名言があり、ふむふむと感心しつつ楽しめます。この職業において、良質な仕事と悪質な仕事の差は、わずか1ミリしかないということばには驚きました。

あるノルウェーの大工の日記

オーレ・トシュテンセン
中村冬美 リセ・スコウ
翻訳
牧尾晴喜 監訳 

2017年9月発行 エクスナレッジ

 

180字紹介文(本の花束2019年11月)

著者は個人で工務店を営む大工。小さな男の子がふたりいる家族から屋根裏改築を考えているという電話を受け、見積から契約、工程、引き渡しまでを時系列に、さらに職人として、ビジネスマンとして、どこに手を尽くすのか、その矜持や心情を緻密に描く。ノルウェーの住宅・仕事事情も興味深い。時折出てくる親方の金言、パブに集う仲間や見知らぬ客との会話など、文章の魅力で読ませます。
 
さらに興味深く読んだのは、イケアをどう思っているかよく聞かれるということ。引用してみます。(274-275p)
イケアはどこにでもある。製品の質という面では、多くの人が自宅用に買う他の家具店やインテリアブランドのものとあまり変わらない。だがイケアの家具はシンプルで値段は妥当だ。つまりコストパフォーマンスがいいということだ。
ペータセン夫妻や一般的な施主にとって、イケアのカタログに載っている商品は馴染みがあって、設置したらどうなるかを想像しやすい。重力で私たちが地上に立っているのと同じくらい、当たり前の光景だ。私自身も家にイケアの製品を持っているが、たいていもっと素敵なインテリアの下や後ろに隠してしまっている。イケアの機能性は評価するが、できるだけ目に入らないに越したことはない。
イケアは一つの社会現象であり、インパクトの大きな存在だ。イケアの製品は、オーク製の丈夫な家具や天然無垢の床と比較して耐久年数の短い設計で造られるが、それは私たちの時間に対する感覚が変化したせいか、あるいはこの時代そのものの産物なのかもしれない。
ある製品を買い換える必要があるとき、それは製品の品質のせいでもあるし、またその品質の理由でもあるかもしれない。つまり、人々がすぐに物に飽きて買い換えたがるのに、耐久年数の長い物を造る必要があるだろうか。このような製品は、長持ちはしないが取り換えが効くため、愛着を持って大切に使う気にはなれない。
だが私としては、こうした質の違いが存在するのは喜ばしいことだ。そういった製品と比較できるからこそ、自分がイケアの商品と対極にあるものを体現し、自分の造る物には本質的な価値があるのだと思える。だが、以前はイケアが職人の技術を真似ていたが、今では職人がイケアの真似をするという危うい現象が起きている。長期的に見れば、私たちのような職人にとっては好ましくない事態だ。
気になった方はぜひ飛び出すハート
 
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