2019/04/23放送
マツコの知らない世界

'全国200軒のドライブインを巡った男'
橋本倫史(ハシモトトモフミ)さん(以下、[橋本])




[マツコ]「ドライブインなんて、物心ついた頃には廃れていたよね?私の時ですら物心ついたときはちょっとヤバめだったもん」
[橋本]「そうですね。時代の移り変わりの中でちょっとずつお店が減ってきて、昔、日本ドライブイン協会っていうのもあったんですけれども今ドライブインが下火になるにつれて名前を変えまして、今は日本観光施設協会って名前になりました」
[マツコ]「この番組的に言うと逆に朗報です」
[橋本]「そうなんですか」
[マツコ]「協会が乱立してる」

[橋本]「今の時点で言うと結構もうレトロな雰囲気と言うか、昔からあるっていう佇まいのお店が多いんですけれども。ドライブインってそもそもそういう場所ではなかったっていうのをお伝えしたい。そのできた当時の魅力というのはこちらです。ドライブインは若者たちの憧れ、最先端のレジャー施設だった。これはマツコさんももしかしたらご存知ないかもしれない」
[マツコ]「いやあ、ちょっとわかんないわ、レジャー施設って言われちゃうと」
[橋本]「実は都心にもドライブインはあった」
[マツコ]「え?どの辺に?」
[橋本]「赤坂にもドライブインがあった。赤坂見附のほうだと思うんですけど。六本木の辺りとか結構ドライブインがあったらしくて。ミッドタウンになってる所って元々基地だったじゃないですか。それがその戦後すぐの時は米軍が接収してた場所だったので、その人たち向けのドライブインが最初都心にできてた」
[マツコ]「なるほど。アメリカンな感じがしたから日本の人にとっては憧れだった」
[橋本]「すごいハイカラな場所だったと思うんですよね。それで今も沖縄にあるドライブインで A & W っていうのがあるんですけども」
[マツコ]「それ分かりやすいんじゃない?」
[橋本]「創業まもない頃の様子なんですけれども」
[マツコ]「おしゃれ!じゃあいわゆるアメリカンダイナー的なものを、日本人が解釈して作り上げたものがあの古き良きドライブインなわけだ」
[橋本]「そうなんですよ。それを見てるとおもしろくて、ドライブインにもいろいろパターンがあるんですけど、渋谷にあったお店なんですけれども今もある大盛堂書店っていう、あそこがかつてドライブイン書店っていうのをやってたんですよ。車で乗り付けてこの本が欲しいって言ったら受付の人が走り回ってその本を見つけてきて。最近まで残っていたもので言いますと、ドライブインシアター」
[マツコ]「ああー!ららぽーとの所にあったわ。FMで音を聞くのよ。外にいると無声映画」


《昭和・平成を生き抜いた家族ドラマのある名店》

[橋本]「僕のプロフィールを作って頂いたので、ご紹介させていただければと思います。職業はライターをしてるんですけども、ライター仕事をしてる時にマツコさんに一度をお会いしている」
[マツコ]「そうなのよ、なんかすごい見たなってずっと思ってた」
[橋本]「en-taxiっていう扶桑社からでている雑誌があるんですけども、西村賢太さんと対談された時」
[マツコ]「ああー!なんか地下のスタジオで」
[橋本]「はい。そこのまとめ役で」
[マツコ]「この人知ってる、ってずっと思ってたのよ。その時も私いじってた?」
[橋本]「一回だけ。お二人の話が面白くて途中でふふっと笑った時に、マツコさんが僕の方をご覧になって『デブのオカマがこんな話をしてるのがそんなにおもしろいか』って」
[マツコ]「ぶれてないわね。あたし同じことをずっと言ってるわ。3日ぐらい前に同じこと言ってるわ」

[橋本]「両親ともに共働きで教員をやってた」
[マツコ]「ぽい」
[橋本]「初めて言われました」
[マツコ]「あとおばあちゃん子っぽい。おばあちゃん子の人って、ものすごいホワ~っとしたいい人に育つじゃない。手の置き方もおばあちゃん」
[橋本]「ドライブイン巡るようになったきっかけというのがありまして26歳の時に ZAZEN BOYS というっていうバンドがいるんですけれども、全国ツアーを原付で追いかけた」
[マツコ]「そんなアグレッシブなことをする人だったの?意外ー!」
[橋本]「その原付を買ったばっかりだったんですけど、26歳の時に鹿児島を走ってたんですよね。国道10号線を走ってる時にすごいギョッとする建物に突然出会いまして、それがドライブイン薩摩隼人という店だったんですね。すごいインパクトのある外観で」
[マツコ]「とりあえず家紋はついてるけど絶対島津家とは関係ないっていうのはわかりますね。よっぽどの緊急事態じゃないと寄らない。名前が良いわね。『ドライブイン薩摩隼人』」
[橋本]「お店を経営されてる老夫婦の人柄に触れたことがきっかけとして大きかったんです。二人とも桜島出身の方。最初焼き鳥屋さんをされていたらしいんですね。焼くときに前掛けが汚れる姿をお店の常連さんが見て、『女房に綺麗な格好で仕事させてあげた方がいいんじゃない』って言われて、当時鹿児島にドライブインが増えてる時代だったのでそれで今の薩摩隼人ってお店をはじめるんですけど。そういうお店をやるまでにも色々なドラマやきっかけがあるって事が面白くて、もうちょっといろんなドライブインに話を聞きに行ってみようと思ったのが最初のきっかけでした」
[マツコ]「追っかけっていうよりは、そっちを専門にして回り出すのね」
[橋本]「そうですね。僕はドライブインに巡ってるっていうのも、昭和レトロな魅力に惹かれてってことではなくてもうちょっと違う理由があって。ドライブインの最大の魅力は、家族の歴史がお店に詰まっている。今も残っているドライブインは家族経営の店が多い。ドライブインっていうのは街の食堂と何が違うかっていうと、そこに車が通るようになったからドライブインを始めた方が多い」
[マツコ]「だからもともと食堂していたとかではなくて、車通ったね、金稼ごうか、っていうことね」
[橋本]「そうですね。もともと農家をされていた方とかが道路が出来て、車が通るようになったから、じゃあ始めてみようっていうことが多いんです。最初は多分すごい賑わった時代があって、その後街の構造が変化して、道路の移り変わりがあって時代の波みたいなものが全部詰まっている場所としてドライブインが気になって巡るようになったんですね。家族の物語が詰まったお店というのは何件もあるんですけど、その中でも特に印象的だったのを紹介できればと思ってまして。その一軒がこちらです」

人通りゼロの逆境に一致団結、家族の絆
・大川戸ドライブイン
栃木県益子町

[橋本]「ここは何度も建て替えされてるので比較的新しい建物なんですが。店主の黒子美津子さんというかたがお一人で切り盛りされている」
[マツコ]「あの広さのお店一人でやってんの?」
[橋本]「そうですね。今一人で経営されてますね。どんなお店なのかっていう歴史をまとめていただいたんですけれど。お店がそもそもできたのは1968年。何でそこにドライブインを作ったかっていうのも理由がありまして、益子から茨城の笠間のほうに抜けるトンネルを作ろうとしてたという計画が持ち上がったらしいんです。それを聞きつけた今の美津子さんのお父さんが、きっとこれから交通量が増えるぞっていうことで」
[マツコ]「確かにあの辺不便なんだよね。東北道からも常磐道からも遠いからね」
[橋本]「そこがこれから便利になるということで、ドライブインを始めてみたんですけど、そこのトンネル開通計画が立ち消えになってしまって」
[マツコ]「すごいわよね。だから一切交通量が変わらなかったのに今までもったってことよね」
[ナレーション]「山道を進んだ突き当たりにある大川戸ドライブイン。ほとんど車通りゼロにも関わらず、週末は大勢の観光客で賑わう。そこには家族の絆が生み出したある秘密が」
[橋本]「誰も通らないから行き止まりなんですよ。そうすると何かを作ってお客さんを呼ばなきゃいけないということで、そこで目を付けたのが流しそうめん。それを代替わりした今でも続けている」
[マツコ]「お店の中でやってるの?」
[橋本]「そうなんです。中の様子なんですけれど、各テーブルに流しそうめんのマシンが。これ50年前に流しそうめんやってみようと思って、ご家族で開発して自分たちで作ったらしいですよ。改良に改良を重ねて今のこのマシンになっているそうですが。そうめんもちょっとこだわっていらっしゃって。塩分が強いんです。そうじゃないと伸びちゃうんです。特注で小豆島で作っている。わざわざ茹でて流してくれるって言う事なんですよね。だから一人でも切り盛りできるわけでもあるんですけども。湯がいて流しておけばもうあとは好きに食べてくれっていう仕組みで」
[マツコ]「なるほどね」
[橋本]「家族連れがたくさんいて」
[マツコ]「まぁでもあれ子供は面白いよね」
[橋本]「僕が行った時も家族連れだらけだった。その中で一人で行って流しそうめんをすすって食べて過ごしてました」
[マツコ]「自分で笑っちゃダメ」
[橋本]「そうですねすいません、笑」


《全国の観光地ドライブイン、家族で作った!名物メニュー》


[橋本]「この糸島っていうところにある、ドライブイン夕陽っていうお店があるんですけれども」
[マツコ]「今、糸島ってすごいよね。福岡のお金持ちの人はみんな別荘を持ってるもんね」
[橋本]「今は基本的には地元のお客さんが多い店ではあるんですけれども、目の前に綺麗な海が広がっていて」
[ナレーション]「このように全国の観光地の近くには今でもドライブインがあり(玉屋ドライブイン・群馬県)、富士山を一望できるお店(ドライブインもちや・静岡県)から滝の近くにあるお店(ドライブイン赤目)など旅の途中で立ち寄ることができる。その中から知れば行きたくなる家族の物語があるドライブインをご紹介」

・レストハウスうしお
岩手県普代村、三陸海岸

[橋本]「国道45号線を海岸沿いを走っていくと、三角屋根の建物が左手に見えてきてこれがレストハウスうしおっていうお店」
[マツコ]「かわいらしい」
[橋本]「昔のドライブインってしゃれた外観が多くて、しかも一面ガラス張り」
[マツコ]「これはできた当時はすごかったんだろうね」
[橋本]「ちょうどこの時期、三陸海岸が観光ブームだったらしくてすごいにぎわったって言われてました。きれいですね、海が見えて」
[ナレーション]「親子二代でお店を経営すること49年。大震災の影響で閉店に追い込まれるも、お客さんの要望により復活。看板メニューが...」
[橋本]「磯ラーメンっていう、近くでとれたわかめとムール貝も入ったラーメンなんですけど。これは意外とさっぱりした味でおいしいですね。もう一つ名物があって、むしうに丼。すぐ近くでウニが取れるので食べられるお店ですね。あそこも国道45号線沿いなんですけどもそこの内陸の方に復興道路が建設中なので、そこができてしまうと通りがまた減ってしまって」
[マツコ]「バイパスができるとね。商売してる人は大変だよね、旧道でね。でも景色がないわけでしょ、新しいほうには」
[橋本]「そうですね、内陸を走るので」

・ドライブイン七輿
群馬県藤岡市

[ナレーション]「少し年季の入った建物ですが、実はここ、全国からファンが押し寄せる人気のドライブインなんです。その人気の秘密が...」
[橋本]「今すごい観光客で賑わっているお店で、なんでかって言うとこの自販機がずらっと並んでる食堂なんですね。昔だったらオートパーラーとかオートレストランとかって言ってたお店でもあるんですけども。40年以上前の古い自動販売機が今も稼働していて。トーストとか。お父さん世代ぐらいだとちょっと記憶もあって懐かしいし、子供は初めて見るから物珍しくて。なかでも一番人気があるのがこのチャーシュー麺が食べられる自動販売機で」
[マツコ]「なつかしい」
[橋本]「これすごい人気で、1日100杯以上売れるっていう。作ってらっしゃる方が木村ご夫婦。自販機は当時最先端で、古い記事とか読んでいくと西武百貨店とかに自販機コーナーができましたっていうのが、すごい最先端のこととして記事になってたりして」
[マツコ]「そうよね。おじいちゃんおばあちゃんなんて、中に誰か入っていると思ってるわよ」
[ナレーション]「自販機とともに44年間歩んできた木村さん夫妻。古くなった自販機を今でも家族のように大切にしている」
[橋本]「ご主人が調理して女将さんがそれを自販機の中に入れる」
[マツコ]「トーストも?」
[橋本]「トーストは仕入れている」
[マツコ]「仕入れるってことはアレを専門に作ってる会社もあるってこと?大丈夫なの?」
[橋本]「それも紆余曲折があるというか、何回も倒産して新しいお店に頼んでってことで何回も入れ替わりがあって」
[マツコ]「誰作ってるんだろ?近所のばばあとかが手焼きで作ってたらおもしろい」

・ロードパーク女の裏
石川県能登半島

[橋本]「金沢から能登半島に向かって1時間ぐらい走ったところにあるドライブインです。このロードパーク女の浦っていうのが左手に突然見えてくる。普通に走ってたら、のぼりがなければ民家と間違えてしまうぐらいの感じ。すぐ目の前が海になってまして、松本清張の小説『ゼロの焦点』の舞台となったの店の目の前の能登金剛っていうところ。入ると片方がお土産物になっていて、こっち側が食堂になってる。時代を感じるなっていう感じですよね」
[ナレーション]「13年前にご主人を亡くし一人でお店を営むのが岡本澄子さん」
[橋本]「今僕が見ることができるのは穏やかなおばあちゃんっていう感じですが、この店をやってる時に当然いろんな苦労があったんだなってすごい思ったんですね」
[岡本さん]「私と主人でお店を始めたんだけど、主人は何にもしないで『やれ』って言われて」
[ナレーション]「『ゼロの焦点』の大ヒットにより、能登に観光ブームが到来。それを受け飲食店経験ゼロにも関わらずご主人の発案でドライブインを開業」
[岡本さん]「ラーメンのだしでもうまくできないから苦労しましたよ。お客さんにどんだけ叱られたか」
[ナレーション]「そんな非難の声に耐えながら、女将さんが生み出した名物料理がこちら」
[橋本]「これがその能登ラーメンですね。この具がチャーシューに見えるかもしれないですけど、チャーシューじゃなくてカニとイカなんですよ。地元のカニとイカを使って、今では名物になっているというお店なんですよね。もともとやりたくなかったけど、まあ言うならしょうがないっていう、もう今の感覚すると不思議というかもっと反対にしたりするんじゃないかなと思うんですけど」
[マツコ]「どうしたらもっとお金稼げるとかさ。そうじゃないところで生きてらっしゃるじゃない、皆さんね。それが幸福なんだろうなーってなんとなくはわかってんだけど、もう無理じゃない。こうやってあたし達みたいな都会で薄汚れたメディアでおまんまを食い始めてしまったら」
[橋本]「何が幸せですか?」
[マツコ]「何が幸せなんだろ?」
[橋本]「西村健太郎さんと対談された時は、あたしはテレビの世界にまみれてしまったからここで心中していくしかないっていうことをおっしゃってました」
[マツコ]「ぶれてないわね、すごいわねあたし」


《安くてうまい!ドライブイン飯 究極のデカ盛りNo.1》


[ナレーション]「ドライブインの楽しみといえば、安くてボリューム満点のご飯。200点を巡った橋本さんが選ぶ、家族の思いが詰まった究極のデカ盛りメニュー」

この道40年、感謝を込めたデカ盛り
・野菜たっぷりタンメン
ドライブイン扶桑(栃木県)

[橋本]「4号線からちょっと離れた場所にあるんですけど、突然現れるドライブイン扶桑」
[マツコ]「じゃあわざわざみんなそれてくるわけね」
[橋本]「工業団地があるので、そこに行くトラックとかが走ってまして。店主の鈴木廣子さんなんですけど、この方も一人で切り盛りされてるんです。とにかくお客さんのためにっていう感じが強くて、今は地元のお客さんも多くて。夕方5時からはカラオケも楽しめる。それを目当てに地元のお客さんはその時間になると、次々車できて賑わっている」

[橋本]「わざわざ来ていただくのは悪いので、スタジオで再現しますって話をスタッフの方がしてくれたらしいんです。けれどやっぱり私が作らないとっておっしゃってくださって」
[マツコ]「じゃあ今日はお仕事どうしたの」
[橋本]「お店わざわざ休んで来てくださったらしくて」
[マツコ]「みんなどこで歌ってるのよ」
[橋本]「今日は家で歌うしかないですね」
[マツコ]「うわー!どうやって食べたらいいかわからないくらいの。すごいわねこれ。スープを飲むためにレンゲが入っていかないもん。久々だわこの味。本当においしいです」
[ナレーション]「そんなデカ盛りタンメンが誕生したのは今から4年前。巨大な台風の直撃を受けたのがきっかけだという」
[鈴木さん]「すごい雨風で。川からとか用水堀からとかどんどん水が1 メートル ほどお店に入ってきまして。もうお店ができないかなと。どうしようどうしようの言葉を繰り返していました。ところが多くの皆さんのボランティアをいただきまして、なんとか再開することができまして。ふと浮かんだのがそのたっぷりタンメン。それを恩返しとさせていただこうと思って」
[マツコ]「結構食い続けてるけど全然減らない」



~完~