そもそも私がなぜ宅建試験を勉強始めたのか?



約10年前、主人と二人で始めた不動産賃貸業。



知識つけるためにとってて損はないのかな?

と宅建試験の勉強をはじめました。




最初購入した物件との出会いは競売物件でした。




超古い1戸建て住宅です。



広さは4LDK。


広さはかなり広い。



昭和の香りのする懐かしい雰囲気。


その頃テレビなんかで





劇的ビフォーアフター



とかなんとかいうテレビが流行っていて、暇なとき何気にみていたんだけど、



まぁ!なんということでしょう!?



っていうやつ。



あんな古い家が手を加えるとすごく綺麗におしゃれに劇的に変身するのをみていつも感動してた。





私の父は大工をしていたのですが、我が家はずっと団地暮らし。



狭い住宅2部屋と小さいキッチンひとつ。



そこの狭い庭を潰して12畳程の広さのプレハブのような建物を父が手作りしてくっつけて生活してたみたいな。


長屋みたいな感じ。



団地だったから、周りもみんなそんな感じだった。




今はなき古き良き時代。



長屋作りだから、となりの家とは壁1枚。

一棟が6世帯。



それが何棟もあるでっかい団地。



同じ世帯の人が沢山住んでいて、みんな親戚みたいな感じ。



その頃はそれが普通と思っていたけど、今思い返せば結構な家に住んでいたんだなぁと思う。




子供はすごく多いから、学校まで遠くてもみんなで集団登下校。



となりの家との距離も超近くて、窓を開ければすぐ隣の家。



窓からおはよう!ってくらい。




近所の誰かが泣いてたら、近くの家の人が



どうした?



って出てくるのが普通。



私が小学校低学年くらいのとき、学校から帰ってきたらすぐに団地の中の公園に行ってそこにいる人みんなでワーワー遊んでいた。



遊具で遊んだり、缶蹴りしたり、鬼ごっこしたり。



毎日帰宅時間の夕焼けこやけの音楽がなっても、なかなか帰るのが遅く。




帰宅時間を守らなくて、我慢しかねた母が家の鍵を全部かけてて家に入れてくれなかったときがあったわ。



私は大声で泣きわめいて、



鍵開けてよ‐!って。




ドンドンガラスを叩いていたら、パリーン!


私の足はガラスで切れて血だらけ。



それをみた母は急いで戸を開けて私を家に入れて治療を始めた。



焦っただろうな。




冷静になったとき周りをみたら近所の人達が集まっていて一部始終をみていたみたい。





地区の行事も多くて、地区の運動会、クリスマス会、十五夜。



十五夜のときは、袋を持って団地内の家をあちこちまわってお菓子もらいに回るのがうちの団地の恒例。



お供え物くださーい! 




って。



たまに豪華なおやつを用意しているところがあると、すぐにクチコミで広まってその家に子供が殺到。



買い物袋いっぱいにお菓子をもらって喜ぶ子供たち。



平和な時代だと思うよ。



あの頃は狭い家が当たり前だったけど、自分の部屋がある人や広い家に住む人がうらやましくてたまらなかったわ。



いつかあんな広い家に住みたいなぁって。



おしゃれな家や内装をみるとワクワクする。



すごく古い家が手を加えたらとってもおしゃれに生まれ変わるのがたまらん!



見るだけで涙でそうになる。



その憧れだった綺麗なお部屋を今は自分でデザインして創れるのが楽しい。



しかし宅建試験に合格して、宅建士登録までしたものの、宅建業を始めてからの責任の重さにびびりまくって貝に閉じこもってる状態です。



若いときなら勢いでがーっと突っ走っていたかもしれないけど、年重ねるうちにいつのまにか臆病になってしまってる私。



いろいろ頑張ってる方のブログとかみて勇気が欲しいです。